第24話 ディストピア
大劇場の空間が、警告を知らせる不気味な赤色のフラッシュライトで染め上げられる。
舞台は『クロノス・ディストピア~記憶の底のラブレター~』のクライマックスへと突入していた。
「エラー発生。記録係の感情数値を規定値以上に検出。これより、対象のフォーマット(初期化)を実行します」
無機質なシステムの音声が響き渡る中、舞台中央でユラ演じる記録係が膝をつく。彼女の手には、先ほど廃棄物の中から見つけ出した、過去の人間が綴った『恋文』が固く握りしめられていた。
迫り来る消去の恐怖。しかし、ユラの大きな瞳には一切の怯えはなかった。彼女の網膜には、東京でユリが大切に保管しているであろう、創設者・蘭から託された百年越しのラブレターと幻の台本の姿が鮮明に重なっていた。
(私たちの愛は、システムなんかで消去できるような、安いものじゃないわ……!)
記録係を処刑するために銃を構えていた治安維持官の雄飛が、ユラの放つ圧倒的な「人間の熱」に呑み込まれ、微かに震え始める。そして、処刑のカウントダウンがゼロになる直前、雄飛は自らの銃を床に投げ捨てた。
「……くそっ!こんな狂った世界、もうたくさんだ!」
幼馴染の治安維持官はユラの元へ駆け寄り、その白く細い手を力強く握りしめた。
「俺は、お前を愛している!システムなんかに、お前を奪われてたまるか!」
初めて自らの意志で愛を叫び、二人が手を取り合って絶対的なシステムへと反逆するシーン。
それは、百年の長きにわたり劇會を支配してきた「非エス三原則」という時代遅れの掟に対する、ユラ自身の命懸けの反逆そのものであった。
「一緒に逃げましょう。感情のある、本当の世界へ!」
ユラが治安維持官の手にすがり、客席へ向けて放ったその一言は、演技という枠を完全に凌駕していた。魂の底から絞り出された真実の叫びが、物理的な熱量となって劇場中を駆け巡る。観客は皆、自分たちの心が震える音を聞き、あまりのカタルシスに涙を流しながら立ち上がっていた。
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「……ユラさん、本当に凄かったわ……!」
割れんばかりのスタンディングオベーションで幕が下りた直後。
熱気冷めやらぬ舞台袖で、ユラはさぬき華組の劇會員たちに取り囲まれていた。
帝都から突然移動させられてきた当初、彼女たちはユラに対して「東京から来たよそ者」「スキャンダルで飛ばされたのでは?」という冷ややかな視線を向けていた。しかし今、彼女たちの瞳に浮かんでいるのは、純粋な感嘆と羨望、そして一人の舞台人としての深い敬意だった。
「あのクライマックスの表情、鳥肌が立ったわ。システムに抗うあなたの目が、本物の光を放っていた……どうしたら、あんな演技ができるの?」
同年代の麗花が興奮気味に問いかけると、ユラは艶やかな黒髪を揺らし、花が咲くような美しい微笑みを向けた。
「私一人の力じゃないわ。治安維持官役の先輩が私の手を強く握ってくれたから、私も本気で『この手だけは絶対に離さない』って思えたの。皆が作ってくれた冷たいシステムの世界があったからこそ、私の感情が爆発できた。……本当に、ありがとう」
ユラは驕るどころか、深く頭を下げて周囲の仲間たちを讃えた。その謙虚さと、舞台に懸ける恐ろしいほどの情熱。奔放でありながらも芯の強いユラのカリスマ性は、あっという間にさぬきの劇會員たちの心を掌握していった。
孤立無援だったはずのさぬきの地で、ユラは自らの実力と魅力によって新たな絆を構築し、確固たる自分の居場所——反逆のための「強固な城」を築き上げていた。
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『クロノス・ディストピア』の公演は大成功を収め、その評判は瞬く間に全国の演劇ファンの間を駆け巡った。
「さぬきに、とんでもない熱量を持った麗花がいる」
「あの魂の演技は、華會の歴史を変えるかもしれない」
連日、劇場は満員御礼となり、観客を魅了したユラの知名度は爆発的に上昇していく。
左遷という名の処罰を受けたはずの八千草ユラは、皮肉なことにその逆境を完璧なバネにして、劇會の次期トップスター候補の筆頭へと一気に上り詰めていた。
千秋楽の夜。
喧騒が去ったさぬき大歌舞座の屋上で、ユラは一人、冷たい海風に吹かれながら星空を見上げていた。手には、固く握りしめたスマートフォンがある。
(ユリ……聞こえる? 私、ここまで来たわ。このさぬきの地で、誰にも文句を言わせないだけの力を手に入れた)
東京という遠く離れた空の下で、同じ星を見上げているであろう最愛の人の横顔を思い浮かべる。
創設者・蘭から託された幻の台本と、百年の歴史を打ち砕くための推薦状。それを最大限に生かすためには、自分自身が劇會の中で「絶対に無視できない存在」にならなければならなかった。その第一段階を、ユラは今、見事にやってのけたのだ。
「いつでもいいわ。……さあ、共に抗いましょう」
ユラの艶やかな唇から、甘く、そして恐ろしいほどに力強い囁きが漏れる。
夜空に浮かぶ月に向けられた彼女の大きな瞳には、愛するユリを取り戻し、二人で新しい時代の舞台の中央に立つという、決して揺るがない覚悟の炎が静かに、そして激しく燃え盛っていた。




