第23話 反逆の始まり
帝都から遠く離れた、風光明媚な港町・さぬき市。
海風が吹き抜ける華ノ乙女ノ歌舞劇會の稽古場には、今日も八千草ユラの凛とした声と、しなやかなステップの音が響いていた。
氷室マネージャーによる冷徹なビジネス上の采配で、突如としてさぬき大歌舞座へと左遷されたユラ。愛する天海ユリと物理的に引き裂かれた絶望と孤独は、彼女の心を深く抉り、夜ごと涙を流させた。しかし、蘭の家を訪ねて創設の真実を知った今のユラに、悲愴な影は一切ない。
厳しいレッスンに打ち込み、筋肉の隅々まで意識を張り巡らせる入念なストレッチを行い、舞台に立つための徹底した食事管理をこなす。ストイックなまでに己の芸を磨き上げる日常の合間、ユラはふと手を止め、窓の外の青い空を見上げる。
その視線の先には、常に帝都で戦う愛しいユリがいる。
創設者である飯倉蘭から託された、百年の封印が解かれた『幻の台本』と、京本琴子が蘭へ宛てて綴った『時を超えたラブレター』。それらの現物は、反逆のための強力な武器として、ユリが東京で大切に預かっている。手元にはなくとも、ユラはそっと目を閉じれば、あの古びた和紙の感触と、そこに込められた創設者たちの血を吐くような愛の熱量を鮮明に思い起こすことができた。
愛するがゆえに劇會を守る盾となり、同時に二人の愛を封じ込めるストッパーとなった先人たちの想い。その悲痛な歴史を胸に刻み、ユラは己の内に眠る奔放で貪欲な愛を、舞台へのエネルギーへと変換していく。
(私たちが、この時代遅れの檻を終わらせるのよ……)
ユラは自身の胸に手を当て、誰にも聞こえない声で呟く。その大きな瞳には、掟という名のシステムを必ず打ち壊し、ユリと共に新しいルールを作るという、静かで確固たる闘志が煌々と燃えていた。
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一方、帝都・東京の銀座華劇場。
窓のない冷え切った執務室で、氷室弘樹は手元の報告書類を睨みつけ、銀縁眼鏡を微かに押し上げた。
「……どういうことだ」
感情を排した無機質な声が漏れる。書類に記されているのは、さぬき大歌舞座の最新の興行成績と、観客からの熱狂的なアンケート結果だった。
氷室は、劇會という巨大なビジネスを守るため、商品である劇會員に私情による瑕疵が生じることを絶対に許さない。だからこそ、関係が深入りし過ぎていたユリとユラを物理的に引き離し、劇會の存続を脅かすスキャンダルという火種を完全に消し去るためにユラを左遷したはずだった。
環境を変え、圧倒的な孤独を与えれば、若々しく未熟な熱情などいずれ冷めて忘れていく。彼は極限の合理的な計算に基づいてそう判断していた。
しかし、さぬきから上がってくる報告は、彼の冷徹な数式を微かに、だが確実に狂わせ始めていた。左遷されてきたばかりの「よそ者」であるはずのユラが、一切腐ることなく、その実力と圧倒的な表現力で瞬く間にさぬきの観客を魅了しているのだ。
(引き離したことが、かえって彼女の表現力に火をつけたというのか……。いや、それだけではない。まるで明確な反抗の意思を持って舞台に立っているようだ)
氷室は不快そうに眉間へ皺を寄せ、さぬきでの興行成績の資料を机に叩きつけるように置いた。巨大ビジネスを完璧に統制する冷徹な防波堤に、ほんのわずかな、しかし決して見過ごすことのできない亀裂が走り始めていた。
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さぬき大歌舞座の広大なステージに、冷たい電子音と青白いレーザーの光が交錯する。
平成サイバーSF『クロノス・ディストピア~記憶の底のラブレター~』の幕が上がった。
舞台は一九九〇年代後半、来るべき新世紀に向けて「不要な感情」がシステムによって完全に管理・統制された近未来都市である。
舞台中央の無機質なセットの中で、廃棄された過去の遺物を整理する記録係の麗花を演じるのが、ユラである。彼女の身体を包むのは、感情を抑圧された世界を象徴するような、灰色の無機質な衣装だ。
「また、無意味な文字列……。すべてフォーマット(初期化)しなければ」
ユラは抑揚のない声で台詞を紡ぎながら、小道具の古い紙片を手に取る。しかし、その紙片――過去の人間が書き残した『恋文』を目にした瞬間、彼女の大きな瞳に微かな動揺が走る。
文字から溢れ出す、誰かを激しく求める熱。それは、システムによって感情を奪われた記録係の魂に、初めて「愛」という名のバグを生じさせる決定的な瞬間だった。
そこへ、重いブーツの音を響かせて、感情を取り締まる冷徹な治安維持官の雄飛が歩み寄ってくる。
「記録係、お前の持つその遺物は、社会の調和を乱す不要なデータだ。直ちに廃棄しろ」
冷酷に銃口を向ける治安維持官。それはまるで、非エス三原則という絶対的な掟を振りかざし、ユラたちから愛を奪おうとする劇會のシステムそのもののようだった。
ユラは紙片を胸に強く抱きしめ、治安維持官を真っ直ぐに見据える。
「いいえ、廃棄しません。ここには……人間が人間であるための、本当の温もりがあるわ!」
その台詞は、単なる劇中のキャラクターの言葉を超え、ユラ自身の魂の叫びとして客席へ響き渡った。創設者・蘭から託された過去の恋文の重みを知り、自らも掟というシステムに反逆しようとしている現実の決意が、舞台上の演技と完全にシンクロし、尋常ではない熱量を帯びて発露していく。
システムへの反逆という物語の構図が、現実の百年の掟への反逆と重なり合い、舞台上にはこれまで誰も見たことのないような強烈なカタルシスが生まれていた。観客は皆、息を呑んでその圧倒的な演技に引き込まれ、劇場全体がユラの放つ凄まじい熱気で飲み込まれていくのだった。




