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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第20話 愛の封印

 数日後の深夜、誰の目にも触れないよう固く施錠された演出室。琴子は完成したばかりの原稿の束を、蘭の目の前に静かに差し出した。


 蘭は震える手でそれを受け取り、ページをめくる。そこに描かれていたのは、極寒のシベリアの収容所という極限状態において、性別や劇會での役割というあらゆる鎧を脱ぎ捨て、ただの人間として魂を寄り添わせる二人の女性の姿だった。それはまさに、掟という名の氷の牢獄に閉じ込められながらも、決して心だけは離すまいとする自分たちそのものであった。


 読み進めるうちに、蘭の大きな瞳から大粒の涙が音もなく溢れ出した。その涙が、インクの文字を滲ませた。擬似的な恋愛ではない、むき出しの魂の結びつき。そこには、現実世界では決して口にできない琴子から蘭への究極のラブレターが、完璧な芸術として結晶化していた。


「琴子さん……これを、上演しましょう。この舞台なら、私たちは本当の愛を証明できる」


 蘭は原稿を胸に抱きしめ、涙声で懇願した。しかし、琴子は力なく、だが確固たる絶望をもって首を横に振った。


「駄目だ。これを上演すれば、私たちの真実の愛が完全に露呈し、掟が崩壊してしまう。そして何より……」


 琴子は苦しげに顔を歪め、自身の胸の辺りの衣服を激しく握りしめた。


「この結末を舞台で演じてしまえば、私はもう二度と、現実世界のお前を手放せなくなる。理性を保ち、掟に従うことなど、到底できなくなってしまうんだ」


 その言葉に、蘭は息を呑んだ。琴子の生み出した芸術が真実を的確にえぐり出しすぎたが故に、それは決して世に出してはならない、あまりにも危険な「禁断の果実」となってしまったのだ。


 琴子は痛む胸を押さえながら、原稿の束を無情にも二つに分けた。

 収容所の過酷な運命の中で二人が引き裂かれ、一方が極寒の地で倒れ、もう一方が帰国するという悲劇的な別れを迎える前半部分。そして、奇跡的に生還したもう片方が過酷な冬を越えて帰国し再会して、誰の目も気にせずに強く抱きしめ合う真の結末が描かれた後半部分。


「前半の悲恋の物語だけを上演する。私たちの真実の愛が描かれたこの後半の結末は……この世から抹消する」


 琴子は立ち上がり、部屋の奥に鎮座する重厚な鉄の金庫へと向かった。その後ろ姿は、己の魂の半分を切り落とすかのように悲痛で、痛々しかった。


 蘭は堪えきれず、懐に忍ばせていた一輪の「白椿」を取り出し、琴子の背中に向かってそっと差し出した。それは劇會のシンボルであり、二人が初めて古い体育館で夢を語り合い、劇會を立ち上げたあの頃の、純粋で汚れなき愛の象徴だった。せめてこの花だけは、真実の愛と共に添えてほしいという、蘭の精一杯の祈りだった。


 琴子がその白椿を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、廊下の奥から見回りの男の重い靴音が近づいてきた。昭和初期のこの時代、特高警察の検閲や周囲の監視の目は、大正の自由な気風とは打って変わって異常なまでに厳しくなっていた。女同士の密会や、意味深げな花の受け渡しなど、ほんの少しの隙も見せるわけにはいかない。


「……っ!」


 琴子は咄嗟に白椿をひったくるように受け取ると、その美しい純白の花弁を、自身の大きな掌の中で容赦なく握り潰した。


 ブチッ、という鈍い音と共に、二人の原点であった純白の思い出が無惨に壊される。指の隙間から、原型を留めないほどひしゃげた花弁がヒラヒラと冷たい床に落ちた。それは、自分たちの手で自らの愛を殺さなければならないという、あまりにも残酷な自己犠牲の象徴であった。蘭は口元を手で覆い、声を殺して泣き崩れた。


 足音が完全に遠ざかった後、琴子は握り潰した白椿の残骸ごと、台本の後半部分と、蘭へ宛てた想いを綴った日記や何通ものラブレターの束を、暗く冷たい金庫の底へと沈めた。

 重い鉄の扉が閉まり、ガチャリと冷酷な音が鳴る。


 琴子はその金庫から鍵を抜き取ると、床に崩れ落ちている蘭の震える掌の中にそれを力強く押し付け、自身の両手で固く包み込んだ。


「琴子さん……?」

「いつか、時代が変わる日が必ず来る。女が女のままで、役割などなく自由に愛し合える時代が。この劇會の冷たい檻が壊される日が来たら、その時は……」


 琴子の射抜くような強い瞳に、悲壮な決意と、未来への祈りが宿っていた。


「もし私に万が一のことがあっても、お前だけは生き延びろ。生き延びて、いつかこの鍵を開ける時代を、お前の目で見届けてくれ。これは私からの、生涯を懸けた願いだ」


 手渡された冷たい鉄の鍵の重みに、蘭は声を上げて泣き崩れた。それは実質的な永遠の別れの宣告であり、百年の時を待つ途方もない呪いの鍵でもあった。


「……はい。必ず、必ず見届けます。あなたの愛したこの劇會を、あなたの魂を、私が永遠に守り抜いてみせます」


 蘭は鍵を胸に強く抱きしめ、血を吐くような思いで誓った。


 その後、二人が分断して世に出した『凍てつく星のシベリア』の前半部分は、その切なすぎる悲哀と、絶望の中で引き裂かれる女性たちの痛ましい演技が観客の涙を誘い、華ノ乙女ノ歌舞劇會を代表する悲劇の人気作として長きにわたり公演されることとなった。


 しかし、その真の結末と、二人のむき出しの魂の結びつきは、重厚な鉄の金庫の中、そして昭和の深い闇の中へと完全に封印されたのであった。


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