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非エス三原則のハットを破り、フラチに恋慕るユリとユラ ~大正から令和へ受け継がれる百年の掟を打ち破らんと、二人の乙女が愛を誓う~  作者: 団田図


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第16話 初舞台

 夜の闇に紛れて交わした、息継ぎすら忘れるような口づけの余韻は、翌朝になっても二人の身体の奥底に熱く、濃密に燻り続けていた。


 学校の古い体育館に朝の光が差し込む中、京本琴子と飯倉蘭は、何事もなかったかのように劇會員たちの前に立っていた。しかし、ふとした瞬間に視線が絡み合うたび、互いの脳裏には、月光の下で激しく貪り合った互いの体温や、衣服をきつく握りしめた指先の感触が鮮烈によみがえってしまう。公私の境界を辛うじて保ちながらも、二人の間には、誰の目にも触れさせてはならない密やかな熱情が、静かに、しかし狂おしく波打っていた。


「全員、よく聞きなさい!これが、私たちの記念すべき初舞台の台本よ!」


 琴子は凛とした声を響かせ、猛烈な勢いで書き上げたばかりの束を一同に手渡した。

 演目は『白椿の咲き誇る朝に~帝都恋歌~』。大正デモクラシーの華やかな気風の裏で、根深く残る男社会の偏見や抑圧にさらされながらも、自分たちの手で「本物の居場所」を創り上げようと奮闘する女性たちの物語である。


 集まった少女たちは、いずれも家や社会から「女のくせに」「大人しく良妻賢母になれ」と夢を奪われ、抑圧されてきた者たちばかりだった。彼女たちは台本に目を落とし、そこに綴られた切実な言葉の数々に、たちまち魂を揺さぶられていく。


「これは、お遊びなんかじゃない。私たちが、私たちの足でこの世界に立ち、声を上げるための戦いなのよ。私の言葉に、みんなの魂の叫びを乗せてちょうだい!」


 琴子の放つ、燃え盛る炎のようなカリスマ性に呼応するように、少女たちの瞳に強い光が宿る。

 蘭はそんな琴子の背中を誇らしげに見つめながら、劇會員たちの元へと歩み寄った。


「さあ、まずは衣装の着こなしから始めましょう。和服の美しさを残しつつ、西洋のレースやリボンをあしらうの。新しい時代を生きる、新しい私たちの姿を形にするために」


 蘭は楚々《そそ》とした佇まいで、劇會員たちの帯を締め、髪をハーフアップに結い上げていく。その聡明で的確な指導は、琴子の情熱を現実の舞台へと昇華させるための、なくてはならない起爆剤であり、道標であった。


 しかし、彼女たちの熱気とは裏腹に、周囲の男社会からの風当たりは日に日に厳しさを増していった。

 体育館の窓の外からは、学校の男性職員や地域の男たちが、歪んだ好奇心とさげすみの混じった冷ややかな視線を投げかけてくる。


「女だけで集まって、不純なお遊びをしている」

「おなごの浅知恵で何ができる」


 そんな陰口や嫌がらせを受け、体育館の使用時間を理不尽に制限されることもあった。


 だが、その抑圧が強まれば強まるほど、少女たちの結束は一糸乱れぬものへと研ぎ澄まされ、琴子と蘭の絆はどこまでも深く、強固に結びついていった。


「……蘭、お前をどこへも行かせはしない。この世界の全てが敵になろうとも、私はお前を抱きしめ、守り抜いてみせる」


 立ち稽古の最中、男役を演じる琴子が、ドレス姿の蘭の前に立ち、その細い手をギュッと強く握りしめた。

 それは台本上のセリフでありながら、他でもない琴子の本気の独占欲と、蘭への狂おしいほどの愛の告白そのものだった。至近距離で見つめ合う中、琴子の涼しげな目元には、世界を敵に回してでも蘭を離さないという強烈な執念が宿っている。


 蘭はその圧倒的な愛の猛攻を真っ正面から受け止め、大きな瞳を潤ませながら、琴子の手のひらに同じだけの強い力で握り返した。


「ええ、どこまでも付いていきます。あなたの創り出す光のなかで、私はあなただけの花として咲き誇りましょう」


 二人の視線が火花を散らすように交錯する。周囲の劇會員たちは、そのあまりにも切実で迫真に満ちた演技に息を呑み、圧倒されていた。しかし、それが演技という枠を優に超えた、二人の魂のむき出しの結びつきであることに、この時はまだ誰も気づいていなかった。


 +++


 そして迎えた、初舞台の本番当日。

 学校の古い体育館には、手作りの粗末な木組みの舞台と、あり合わせの布で作られた大幕が用意されていた。

 会場は、物珍しさに集まった見物人や、出資を決定した地元のパトロンたち、そして新しい浪漫の噂を聞きつけた大勢の女学生たちで、身動きが取れないほどに埋め尽くされていた。独特の白椿の舞台化粧を施し、色鮮やかな衣装を纏った劇會員たちが、緊張と興奮に胸を詰まらせながら出番を待つ。


 開演の大太鼓が体育館に響き渡り、手動の幕がゆっくりと左右に開いた。


 舞台上に作られた、大正の帝都を模した街並みのセット。そこに、袴を穿いた琴子と、華やかなレースの着物をなびかせた蘭が躍り出る。


「私たちは、操り人形ではない!自分の意志で歩き、自分の言葉で愛を叫ぶ、一人の人間だ!」


 琴子の凛とした、地鳴りのような声が体育館の隅々にまで響き渡った。その圧倒的な存在感と、雄飛としての気高い立ち振る舞いが、観客の心を一瞬で鷲掴みにする。

 蘭もまた、可憐でありながらも決して折れない芯の強さを持った麗花として、舞台上でしなやかに感情を爆発させていた。


 男社会の理不尽な偏見に立ち向かい、傷つきながらも互いの手を携えて未来を切り拓いていく女性の物語。その展開は、まさに現実の抑圧と戦う彼女たちの姿そのものであった。


 クライマックス、互いの存在を唯一の救いとして、舞台の中央で琴子と蘭が激しく抱きしめ合うシーン。

 交わされる熱い視線、互いの肌を確かめるような強い抱擁。それは観客から見れば「至高の芸術」としての美しい演出だったが、二人の間では、誰にも咎められることのない舞台の上だからこそ許された、本物の愛の交感であった。


「私は、お前と共に、新しい時代を築きたい。お前がいない世界など、私には意味を持たない!」


 琴子の魂の底から絞り出された切実な叫びが、体育館の空気を物理的な熱量で震わせる。蘭の大きな瞳から、視界を滲ませる熱い涙が零れ落ち、琴子の衣装を濡らした。

 客席の女学生たちは、二人の見せた魂の結びつきに激しく胸を打たれ、あちこちから堪えきれないすすり泣きが漏れ始める。パトロンの大人たちも、小娘のお遊びと侮っていた表情を完全に失い、その圧倒的な輝きに息を呑んで立ち尽くしていた。


 大盛況のうちに幕が下りた瞬間、体育館は地鳴りのような拍手と、割れんばかりの喝采に包まれた。アンコールを求める声が止まず、何度も幕が上がっては下りる。


 ようやく全てのステージが終わり、喧騒が遠ざかった舞台裏。

 劇會員たちが歓喜に沸く楽屋から少し離れた、大幕の陰の薄暗い隙間に、琴子と蘭は滑り込んだ。


 張り詰めていた緊張と重圧から解放された途端、琴子は蘭の華奢な身体を、壊れ物を扱うように、しかし骨が軋むほど強く、自身の腕の中へと引き抱いた。


「蘭……っ!やったわ、私たちやってのけたわよ!」


 琴子は蘭の首元に顔を埋め、歓喜と興奮に震える声で囁いた。雄飛としての重い鎧を今は脱ぎ捨て、ただ一人の恋人として、最愛の者を狂おしいほどに求めている。


「はい……はい、琴子さん……っ。自分たちの全てを賭けた舞台が認められました……!」


 蘭もまた、琴子の背中に腕をきつく回し、その分厚い衣装を強く握りしめながら、溢れ出る涙を止めることができなかった。世界からどれほど拒絶されようとも、この舞台の上には、自分たちの真実の愛を証明できる居場所が確かにある。重なり合った胸を通して、互いの激しい心臓の鼓動が生々しく響き合う。


「私たちの『華ノ乙女ノ歌舞劇會』が、今、産声を上げた瞬間。……お前と一緒なら、どこまでだって行ける」


 琴子は蘭の涙を指先で優しく拭うと、誰にも見えない幕の暗闇の中で、その艶やかな唇を深く、強く塞いだ。

 観客たちの万雷の喝采を背景に交わされる、熱く、濃密な口づけ。それは、百年の長きにわたって受け継がれる劇會の歴史の、確固たる第一歩が深く刻まれた瞬間であった。

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