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銀のペンと魔法の回路 ―見習い修復師リリスティアと氷魔法を使う謎の少年、ときどき食いしん坊精霊のモフモフな日々。―  作者: 海優璃


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9.ジャンの事情

 ブランは「僕のシチューがない。もうない……」と世界の終わりとでも言いたげな顔でおじいちゃんの横で床に伏していた。リセは(なんなの、この可愛い生き物は……!)と心の中で絶叫しながら駆け寄り、その白い毛玉を抱き上げて思いきりなでまわした。


「ね? シチューよりも寝る前にぴったりの、私のお気に入りを作ってあげるから元気出して?」


「リセのお気に入り!絶対美味しいやつ!」

 ブランは、途端に機嫌を直してリセの肩にちょこんと乗った。


 リセは、手鍋でミルクを温めたっぷりの蜂蜜と、仕上げに香りの良いシナモンを振る。


「はい、シナモンハニーミルク。これで機嫌を直して?」

「わあぁ……! 甘い、いい匂い! リセ、大好き!」


 ブランが幸せそうにカップに吸い付いた、その時、ギィ……と古びた蝶番が鳴り、廊下の奥の扉が開いた。

 現れたのは、空のボウルをトレーに乗せたジャンだった。

 まだ足取りはおぼつかないが、その瞳には先ほどよりも力強い光が宿っている。


「……ごちそうさま。その……凄く美味しかった。おかげで、少し動けるようになった」


 ジャンが今出てきたのは、2階にあるリビングのすぐ隣、**「客間兼本部屋」**だ。かつてはお弟子さんが使っていたこともあるらしく、壁一面が古い書物で埋まっている。

 その隣におじいちゃんの部屋があり、その廊下を挟んだ向かいにリセの部屋がある。


 キッチンを片付けていたおじいちゃんが、濡れた手をタオルで拭きながらジャンに声をかける。


「少し話せるかい?」


 その落ち着いた、けれど重みのある声に、ジャンはわずかに肩をこわばらせ、緊張した表情で頷いた。


「……はい」


 おじいちゃんは、すでに座っていたリセの隣の椅子を引くと、自分も腰を下ろし、静かにジャンを見つめた。


「まあ、そこに座りなさい。……話せないことは、話さなくていい。だが、君が話せる範囲で、少し話を聞かせてくれるかな?」


 ジャンは促されるまま、リセたちの正面にある椅子へおずおずと腰を下ろした。


 ジャンが答えを探して言い淀んでいると、おじいちゃんは静かに目を閉じ、深く、重い吐息を一つ漏らした。


「……無理にとは言わん。だがな、ジャン。その首のアザ……わしは、昔似たものを見たことがあるんだ」


 ジャンの顔から、さっと血の気が引いた。隠していたつもりだった襟元を、無意識に手が押さえようとする。リセもまた、おじいちゃんの言葉に驚いたように、ジャンの首もとと祖父の顔を交互に見つめた。


「儂は、昔、ある貴族の家で仕事をしていてね。その時に、そういった『契約の印』を見たことがあるんだ」


 おじいちゃんの言葉に、ジャンは喉の奥が震えるのを感じた。


「君は……もしかして、どこかの貴族の若君かい? もしそうなら、心配しているだろう。家に連絡を入れようか?」


 おじいちゃんの声はどこまでも穏やかで、親切心に満ちていた。けれど、その優しさが、今のジャンには鋭い刃のように突き刺さる。


 ジャンは奥歯を噛み締め、震えそうになる声を必死に堪えながら、言葉を紡ぎ出した。


「……いえ。今は……誰とも連絡を取るべきではない、と考えています」


 その言葉は、肯定の返事も同然だった。自分は、家には帰れない事情のある「貴族(あるいはそれに類する者)」であると、暗に認めてしまったのだ。


「……そうか」


 おじいちゃんは短く応じると、今度はさらに核心へ踏み込んだ。


「誰から狙われているか、心当たりはあるかね?」

「いえ、はっきりとは……」


 ジャンは視線を落とした。自分の身に起きたことがあまりに急で、敵の正体さえ掴めていない。


「これからどうするか、何か考えはあるかい?」


「……叔父なら。旅好きで滅多に屋敷にはいませんが、彼なら、きっと……。でも、今はどこにいるのか分かりません」

「その叔父さんは、信用できるのかい?」


 おじいちゃんの鋭い問いに、ジャンは少し自信なさげに呟いた。


「……たぶん。……そう、信じています」

 おじいちゃんはふむ、と短く息を吐いた。

「そうだな……。部屋も余っているし、体力が戻るまではしばらくここに居なさい」

「いえ、それは……。ご迷惑でしょうから。明日、いえ、明後日には出ていくようにします」


 遠慮するジャンを、おじいちゃんは静かに、だが力強く遮った。


「誰が味方で、誰が敵か分からん状況で動くのは得策ではないよ。しっかり準備を整えてから行きなさい。せっかく助けた命だ、もし何かあればリセが悲しむ」


 しばらく何かを考え込んでいたおじいちゃんは、不意にジャンを真っ直ぐに見据えた。


「ジャン。魔法が使えるようだし、ここで『修復師見習い』になるのはどうかな。見習いの志願者は、紹介で来ることもあれば、飛び込みで来ることもある。見込みがなければすぐに追い出すが……君には素質がありそうだ。たとえ芽が出なくても、一年……いや二年くらい修行に励んでいると言えば、周囲に対しても不自然ではないだろう。出ていくのは、暫く情報をあつめ、準備をしてからでもいいんじゃないかね?」


「…………」


 ジャンは目を見開き、言葉を失った。


「おじいちゃん、それ凄くいい! 修復の練習、二人でやったら絶対楽しそう!スクロールとか魔導具の修復って凄く役に立つしカッコいいんだから!」


 ずっと黙って二人のやり取りを見守っていたリセが、暗い空気を吹き飛ばすように元気な声を上げた。

 ブランも、テーブルの上で得意げに胸を張ってアピールする。


「安心しなよ。この家の中はボクが『安心のおまじない』をかけたからね。悪い人が入ってくると、みんなぐっすり寝ちゃうんだから!」

「えっ……? 寝るの? そこは普通、入れなくするとか、追い返すとかじゃないの?」


 リセのツッコミに、ブランは少しだけ視線を泳がせて、声を潜めた。


「……だってさ、考えたんだけど……おじいちゃんの知り合いとかお客さんに、悪い人が……一人もいないって言い切れる?」

「……もう、ブランったら!」


 思わず吹き出したリセと、むくれたような顔のブラン。その賑やかな掛け合いを聞きながら、ジャンはいつの間にか、強張っていた体の力が抜けていることに気づいた。


(……ああ、そうか。僕はもう、この人たちを信じ始めているんだ)


「良いんだよ。甘えなさい。君はまだ、子供だ。ここで、少しだけ大人になるための準備をするとでも思えばいいさ。幸い、精霊様も味方に付いてくださるようだしね」


 おじいちゃんはそう言って、ジャンの頭に大きな手をそっと置いた。

 ジャンは、込み上げてくるものを堪えきれず、視界が涙で滲んでいくのを感じた。溢れそうになる雫を慌てて拭い、震える声で、けれど、はっきりとした決意を込めて言葉を絞り出した。


「……よろしくお願いします。……師匠」


 深く、深く頭を下げたジャンの背中に、リセとブランが弾んだ声をかける。


「私のことはリセって呼んでね!何でも聞いて、ジャン」

「僕はブランだよ! よろしくね!」


 ジャンは、まだ少し泣きそうな顔のまま、それでも嬉しそうに何度も頷いた。


「……はい。僕のことも、ジャンと呼んでください。よろしくお願いします!」

仲間を手に入れました。シナモンハニーミルク美味しいです。


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