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銀のペンと魔法の回路 ―見習い修復師リリスティアと氷魔法を使う謎の少年、ときどき食いしん坊精霊のモフモフな日々。―  作者: 海優璃


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6.布革再生屋のエレナさん

「日が暮れちゃいそう。ちょっと急ぐね。……ブラン、そこにいるの?」


 返事がない……と思ったら、「僕は基本的に気に入った人の前にしか姿を現さないから。……内緒だよ」と凄くちっちゃな声に続いて、「ふわぁぁ〜」と大きなあくびが聞こえてきた。


 リセの髪は腰まで届くほど長く、柔らかなウェーブがかかっている。その豊かな毛量は、小さなブランが身を潜めるにはあつらえ向きの場所だった。


(確かに精霊様がうろうろしていたら街の人がびっくりしちゃうかな?)


 もう一度話しかけてみるけれど今度は返事がなく、リセは少し不安になりながらも、エレナさんの布革再生屋へと影の伸びる石畳の道を駆けて行った。


 エレナさんは、おじいちゃんと二人暮らしのリセのことをいつも気にかけてくれている。リセのお気に入りのチョコレート色のこのコートもエレナさんの娘さんのお下がりだ。


 二年前に、おじいちゃんの工房へ来たばかりのリセが寒さに震えているのを見かねて、エレナさんが「もううちの子には小さいから」と持たせてくれたものだ。


 エレナさんが長すぎる袖を内側に折り込み、ボタンで調整できるように仕立て直してくれたお気に入りだ。今はボタンを外しても少しゆとりがある程度までぴったりになっていた。


 角を曲がると、窓の外まで溢れた真っ白な湯気が、街灯の光に照らされてゆらゆらと揺れていた。


 いつもなら、今日の分の仕事を終え、工房の後片付けをしたり、明日返す予定の綺麗になった預かり品を並べたりして穏やかな時間が流れているはずなのに、中からはまだ、焦ったような話し声と、バシャバシャと激しく水が跳ねる音が聞こえてくる。


「エレナさーん! 直ったよ、これ!」


 リセが勢いよく飛び込むと、そこにはむわっとした獣の血の匂いが漂い、まるで戦場のような光景が広がっていた。


「……あぁ、リセちゃん! ごめん、今ちょっと手が離せないんだ!」

 大きな洗濯桶の向こうで、エレナさんが額の汗を拭いながら顔を上げた。


「明日発つっていう冒険者の厄介な毒付きの血の染みなんだけどさ、予備の染み抜きのスクロールの効果も弱まっててね! みんなで秘伝の液に魔力注いでさ、無理やり手でもみ洗いだよ」


「……エレナさん、もう魔力も体力もすっからかんです……」

 従業員の一人がふらふらと椅子に座り込み、ため息をついた。普段ならスクロール一つで「あっと言う間」に終わる仕事が、手作業のせいで何倍もの重労働になってしまっているのだ。


「そんなに大変だったんだ……。でも、もう大丈夫だよ!」

 リセは胸を張って、修復し終えたばかりのスクロールを差し出した。


「おじいちゃんにも確認してもらったし、さっきテストもしたんだから!」

 リセが自信満々に胸を張ると、エレナさんの目が大きく見開かれた。


「……あのおじいさんが認めたのかい? 買い替えなきゃいけないって、諦めてたのに!」

 エレナさんは半信半疑のまま、濡れた手をエプロンで拭き、リセからスクロールを受け取った。


「まずは、確認だよ。お客さんので確かめるわけないからね」

 テスト用なのか革の切れ端を桶に放り込むと、祈るように魔力を流した。


 桶の中の液体がキラキラと霧のように浮き上がる。金色の粒子が革の切れ端に吸い込まれて、汚れが押し出されてポロポロと落ちた。光が静かに収まると、革の切れ端は見違えるほど汚れが落ち、艶が出ていた。


 綺麗になった革の切れ端を見て、エレナさんは息を呑んだ。

「……新品みたい! 汚れもないし、ツヤツヤよ!」


 確信を持ったエレナさんは、先程まで三人で洗っていた血が染み込んでしまっている外套に向き直り、スクロールに魔力を通した。


 金色の粒子が革の外套に吸い込まれていく。すると、繊維の奥に入り込んでいた魔物の血が浮かび上がり、光に浄化されるように消えていった。


 従業員たちは「おおっ!」と歓声を上げた。従業員の一人が急いで持ってきた乾燥のスクロールを通すと、あたり一面におひさまの匂いが立ち込め、その後には完璧な仕上がりの革の外套があった。

「はぁーーっ! リセちゃん、ありがとう。これで本当にお客さんに迷惑かけないで済むよ」


 エレナさんは涙ぐみながら、リセの肩を抱き寄せた。リセは、誇らしさで胸がいっぱいになった。


「リセちゃん、修理代、少なくて悪いんだけど。これ受け取っておくれ」

 エレナさんは銀貨二枚を差し出した。

 けれど、リセはそっと首を振った。


「ううん、エレナさん。これは受け取れない。練習させてもらったんだもん。……失敗して使えなくしちゃうかもしれないのに貸してくれてありがとうございました」


 真っ直ぐな目でそう言うリセに、エレナさんは目を丸くして、呆れたように、けれど愛おしそうに溜息をついた。


「そう言う訳にもいかないわよねぇ……。わかったよ、この件は今度ベルテさんと直接お話させてもらうわ」

 エレナさんは少しの間考え込むと、

「ちょっと待ってな」

 と言い残して店舗の奥のキッチンへと消えた。


 数分後、彼女は温かな湯気が立ち上る、ずっしりと重みのある小さな紙包みを持って戻ってきた。


「これを持っていきな。今日が修羅場になるのは分かってたから、朝からたくさん仕込んでおいたんだ。ミートパイ好きだったでしょ?二人で食べてね」


 エレナさんのミートパイはリセの大好物だ。包みから漂う香ばしいバターとお肉の匂いに、リセは思わず頬を緩める。


「……ありがとう、エレナさん!」


 リセは、ずっしりと重くて温かいその紙包みを、宝物のように大切に受け取った。


 外へ出ると、街は燃えるような夕焼けの残光に包まれていた。


 もう少しで工房だというところで、突然、髪の中から「リセっ、リセ!」と、焦ったようなブランの小さな声が響いた。


「どうしたの、ブラン?」

 リセが足を止めると、ブランは髪からひょっこりと顔を出し、細い路地の奥を指差した。

「あそこの道を見て! 男の子が倒れてるよ!」

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