44.蠢く海
潮の匂いが一気に濃くなる。街の東側から大急ぎで駆け抜けてきたリセたちの視界がパッと開けると、そこには嵐の爪痕が生々しく残るこぢんまりとした港が広がっていた。
港に近づくと冒険者達の焦ったような声があちらこちらから聞こえてきた。
「領の兵士が言うには、遠くの方の海が黒く蠢きながら近づいて来ているらしいぞ」
「そんなのどうやって見たのさ?」
「遠見の魔法を使えるやつでもいるんだろう?」
「やべーな。俺たちだけでどうにかなるか?ギルド長いるから何とかなるか?」
「さすがに人数足りないだろ応援はまだか?」
ラルフさんが人混みの中央にいた、大柄な男に近づくと、その男は目を上げてニヤリと笑った。
「おう。ラルフ! 良いところに来たじゃないか。そっちのちびっこいのはどうした?」
「ギルド長、こっちはリセ。こっちがジャンです。ベルテさんとこの見習いですよ」
そう言うと、ギルド長は、真剣な表情でリセとジャンを見た。
「こんな危ないとこまで来たってことはただのお遊びじゃ無いんだろうな?」
「まさか。彼女は立派な修復師だよ。この間の氷結スクロールを直した子だよ。じいさんが先に港の硬晶石の修復、途中までやっとけってな。」
ラルフさんがリセの肩をぽんと叩いて胸を張る。ギルド長は驚いたように眉を上げた。
「あぁ、君がそうか。あの時は助かったよ」
そして、すぐに近くにいた一人の女性を呼び寄せた。
「おい、カトリーン! こっちへ来い!」
人混みを割って現れたのは、ローブを纏い、長い杖を携えた凛とした佇まいの女性だった。ラルフさんと同じ、手慣れた上級冒険者のオーラを放っている。
「なによ、忙しいんだけど。――って、ラルフじゃない! これ終わったら今度こそ一緒に組んでよ!」
「カトリーン、久しぶりだな。積もる話は後だ。この子はベルテさんとこの修復師見習い兼孫娘だ。じいさんが来るまで、港の硬晶石の修復をやってくれる。この子を港の硬晶石まで連れて行ってお前の結界魔法で守ってやってくれ。ベルテさんが来たらすぐ連れて行く」
「あら、まだ子供なのにほんとに出来るの?」
カトリーンさんは、疑うようにジロジロとリセを見つめた。
「硬晶石の修復までは多分問題ないです。その後の回路の上書きはおじいちゃんが来てくれる予定で……」
「なるほどね。そういう事なら任せなさい。しっかり守ってあげるわ。……そっちの綺麗な男の子は?」
カトリーンさんがジャンに視線を移すと、ギルド長がジャンの腰の剣を鋭く見つめ、低く太い声を響かせた。
「坊主、お前だよな?氷結魔法が使えるってのは? ちょっとやっただけで庭に氷の小山を作ったと聞いたぞ」
「小山は作っていませんが、氷結魔法は使えます。……まだ、実戦では使ったことはありません」
「⋯⋯そうか。お前、海をカチコチに凍らせる事は可能だと思うか? まあ、そこまでは無理かもだけどさ、寒さで敵の動きを鈍らせる事が出来るかもしれないんだ。 防波堤に魔道具を設置するから、お前も手伝え。」
ギルド長の言葉に、ジャンは一瞬だけ驚いたように目を見張った後、大きく頷いた。
「――どのくらい出来るか分かりませんがやってみます」
「よし、いい返事だ! 実戦はあんまりだろうから俺のそばにいろよ。魔導砲台に魔力込めたら魔術師は後方へ下がる。ラルフ、この坊主は俺が預かる。お前はカトリーンたちと一緒に嬢ちゃんを守れ」
「応よ! ジャン、ビビるんじゃねえぞ!」
ラルフさんがジャンの背中をガシガシと叩く。ジャンは少しよろめきながらも、リセを振り返って小さく頷いてみせた。
「ジャン、気をつけて……!」
「リセも。……無理しないで」
ジャンとリセが目を合わせて別れを告げる。
ジャンがギルド長と共に防波堤へと走っていく後ろ姿を見送りながら、リセは胸に手を当てて深く息を吸い込んだ。緊張で心臓がバクバクと音を立てている。
「さて、リセちゃん。私たちはあっちの硬晶石ね」
カトリーンさんが長い杖をコツンと地面に打ち鳴らし、綺麗に微笑んだ。
「カイル! レオン! あんたたちもぼさっと突っ立ってないで、ついて来なさい! この可愛い修復師ちゃんをしっかり守るわよ!」
「へいへい、カトリーン姉さんの頼みじゃ断れねえな」
「ベルテ工房の孫娘だって? きっちり守ってやるよ!」
カトリーンさんが声をかけると、近くにいた腕利きの冒険者たちがニカッと笑って数名集まってきた。
「さあ、行きましょう。ベルテさんが来るまで、出来る限りの事をしましょう!」
「……はい!」
リセが無意識にポシェットを撫ぜると、ポシェットの中のブランがモゾモゾとリセの手のひらに頭を擦り付けるような感じがした。その柔らかさに少し心臓が落ち着きを取り戻す。
目指すのは、防波堤へ続く道とは反対側――港の端にある硬晶石だ。
ザッパーン!!
「うわっ!?」
凄まじい衝撃音と共に、防波堤を越えた高波が容赦なく降り注ぐ。
港の端に見えてきた魔物避けの硬晶石は先ほどのものの何倍もある。辺りには割れた硬晶石の欠片が飛び散り深く抉れ、縦に太いひび割れが走っていた。いつもなら港を優しく包んでいるはずの青い波動が、今は止まっている。
「これは……」
リセは息を呑んだ。
「カイル、レオン、前を警戒して! カトリーン結界を頼む!」
ラルフさんが鋭く指示を飛ばすと同時に、カトリーンさんが長い杖を地面に突き立てた。
「『光殻の盾』!!」
カトリーンさんの放った淡い橙色の半球状の結界が、リセと硬晶石を包み込むように展開される。
「リセちゃん、私の結界はこれで維持するわ! 周りは私たちが絶対に近づけない。あんたは安心して、修復して!」
「ありがとうございます……! やってみます!」
リセはマジックバッグから、ずっしりと重い資材の袋出す。
地響きのような波音の向こうから、海の魔物たちの不気味な咆哮が近づいてくる。遠くの海面は、まるで生き物のように黒く盛り上がっていた。
(おじいちゃんが間に合うといいんだけど……。せめて、おじいちゃんが来るまでに、硬晶石の修復まで完了させよう……!)
魔物避けの防護石をひび割れの奥までしっかりと観察する。先ほどおじいちゃんがやったのと同じように、硬晶石の粉と精霊の雫を空中で割合を変えながら混ぜ合わせて行く。少しずつ確実に。⋯⋯リセは額に汗をにじませながら、完璧に馴染ませていった。
どれくらい時間が経ったのだろうか。巨大な硬晶石の復元が終わりリセが目を上げると、結界の外側で、魔物をなぎ払うラルフさんの背中が見えた。
海は見渡す限り黒く蠢いていた。
結界の中は静かだったが、リセは焦った。魔物が押し寄せはじめてしまっては、おじいちゃんもここまでたどり着けないかもしれない。今はまだ、港に入り込んだ魔物は多くなく冒険者が対応できているが時間の問題だろう。
(このまま来るか分からないおじいちゃんを待てないかもしれない。あの精密な魔導回路⋯⋯。私でも描けるかな?)




