43.嵐の後片付け
嵐が通り過ぎたその日は、空はどこまでも青く、雲ひとつない、そんな日だった。
リセは、魔力切れになったことなんて忘れるぐらいに調子が良く、体中に魔力が巡るのを感じていた。
朝起きると、おじいちゃんはすでに工房のテーブルに色々な魔法素材を並べ、慌ただしく手を動かしていた。
リセが朝食ができたと声をかけると、おじいちゃんは素材を睨みつけたまま低い声で言った。
「今日は忙しくなるぞ。リセもジャンも、飯を食ったらすぐ出かけられるように準備しときな」
トーストを齧りながら、おじいちゃんから今日の状況について説明を受ける。
「昨日の嵐は、想像以上に街にダメージを与えていったようだ。前にこのぐらいの規模の嵐が来た時、街の周りの魔物除けの防護石に被害があって、中の魔導回路がイカれたことがあった。その時は、魔物が街に入り込みそうになって大変だったんだ。今ごろ大急ぎで巡回して確認してるんじゃないか?もし、何かあれば修復に呼ばれることになる」
ジャンが「他にも何か被害が出ているんでしょうか」と尋ねると、おじいちゃんはミルクを飲み干して頷いた。
「まあ、道沿いにある魔導灯あたりはいくつか割れてるだろうな。ただ、そっちの修理は街の魔道具師どもが対応するはずだ。ここに声がかかるとしたら、もっと面倒な――」
その言葉を遮るように、一階の工房の扉が激しく叩かれた。
ドンドン、と、切羽詰まったような硬い音が響く。
「噂をすれば、お出ましだね」
おじいちゃんがニヤリと口角を上げた。ギルドからの、正式な救援依頼だった。
ギルドの職員から状況を聞き終えると、リセとジャンはすぐに冒険者用の装備へと着替え始めた。
リセは、作業の邪魔にならないようにいつも下ろしている髪を高い位置でまとめ、柔らかなピンク色のリボンで結んだ。これは以前、アルクトスの街で巨大魔獣を討伐した際、その貢献のお礼にとギルドのお姉さんから贈られた、呪い耐性のあるアイテムだ。
着替えを終えて部屋を出ると、リセのいつもと違う髪型を目にしたジャンが、はっとしたように動きを止めた。
「……かわいい」
ぽつりと、ジャンの口から無意識のような呟きが漏れる。
だが、その声に被せるようにして、真っ白な毛玉が勢いよく飛び出してきた。
「リセー! かわいい! 大好きっ!」
ブランが嬉しそうにリセの周りをパタパタとグルグル回り始める。リセも顔をほころばせ、腕を広げてブランを受け止めた。
「ありがと〜ブラン。私も大好きだよー」
一人と一匹で頬をすり寄せてじゃれ合う姿を、ジャンは一歩引いたところから、なんとも言えない複雑な表情でじっと見つめていた。
「おい、いつまで遊んでやがる、置いてくぞ」
大きなマジックバッグを肩にかけたおじいちゃんが、呆れたような声を響かせながら先に工房の扉を開けた。
「あ、待って、おじいちゃん! すぐ行きます!」
ギルドの職員が先頭を歩き、その後ろを、おじいちゃん、リセ、ジャンと続く。
街の中は、どこからか飛んできた木の枝や、葉、露店の看板などが転がって、嵐の凄まじさを感じずにはいられない。いつもは賑やかな市場も、今日ばかりは、どの店も後片付けに追われていた。
さらに進むと、割れた魔導灯のガラスを片付けている街の人と、その側に魔道具師たちの姿も見えた。
リセ達が向かうのは街の東側の森の入り口近くにある魔物除けの防護石だ。かなり盛大に石が抉れているという。
今は近くを、何人かの冒険者が交代で警戒しているそうだ。
街を囲む石壁、東側の扉を抜けると山の手前に小さな森が見える。リセとジャンが今度ラルフさんから冒険者の手ほどきを受ける予定の場所だ。その森の入り口らへんに、見知った顔を見つける。ラルフさんだ。
ラルフさんが、リセ達を見つけて大きく手を振った。
「こっちだ」
駆け寄ると、ラルフさんの後ろには真ん中が派手に抉れて、うっすらと煙を上げている巨大な防護石が鎮座していた。周囲には、武器を構えて森を警戒する冒険者たちの姿もある。
「じいさん、早く来てくれて助かったぜ。嵐の風で吹っ飛んできた岩がまともに激突しちまったみたいで、煙も出てるしどうしたら良いかわからなかったんだ。この辺の魔物はそんなに強くないんだけどさ。こういう日は他にも何か起きそうだからさ、よろしく頼むよ」
「やれやれ、派手にやったねぇ。あの硬い防護石がこんなになるなんて、やばい岩だな」
おじいちゃんは抉れた石の断面を睨みつけ、フンと鼻を鳴らし、マジックバッグから、硬晶石の粉と、精霊の雫、そして、巨大なインク壺を出した。このインクは魔物避けの魔導回路を描く為のおじいちゃんの特製インクだ。
「リセよく見ておけよ。割合を周りと合わせる事が大切だ」
そう言うと、おじいちゃんは、硬晶石の粉と精霊の雫を空中で割合を変えながら混ぜ合わせて、魔物除けの防護石に馴染ませながら、形を復元していった。
インク壺に手を伸ばそうとして、思い出したように、マジックバッグから、複雑な魔導回路が描かれた紙を出し、ざっと確認する。そして、「魔物避けの魔導回路だ、お前も確認しておけ」とリセに渡した。
「あ、ありがとうございます……!」
リセは緊張した手つきで、おじいちゃんの手書きと思われる緻密な図面を受け取り、じっくりと回路を確認し始めた。
おじいちゃんがインク壺から引き抜いたのは、リセが普段使っている精密な修復ペンではなく、長い持ち手がついた『修復筆』だった。
防護石のような巨大な対象に、一気に大量のインクを流し込んで太い回路を引くためには、ペンではなくこの筆が必要不可欠なのだ。職人の本気の道具を前に、リセは息を呑む。
おじいちゃんが修復筆にインクを吸い上げると、キラキラと筆の周りで光が舞う。美しい軌跡で回路が空中に描かれ、復元された石の表面へと次々に焼き付けられていく。
(緻密で気が遠くなりそうだ⋯⋯)
その正確さと速さに圧倒されながらリセが見守っていると、背後で突然ざわめきが起こった。
「ラルフさん! この後すぐに港の方へ行けますか? 海の方から魔物が近づいて来ているようで、A級のあなたを含め上級の冒険者を何人か港の方へ回したいんです!」
ギルドの制服を着た厳つい男が、血相を変えてラルフさんに詰め寄っていた。
さらにそこへ、北の方から息を切らせた領の兵士らしき男が、泥まみれになりながらこちらに駆けてくる。
「あっ、居た! 修復師さん、北東の防護石も上手く動いてないみたいなんです。森剛熊が近くに出たみたいで、ちょっと確認お願い出来ますか」
「なんだと?」
ラルフさんが顔をしかめる。南東の防護石と南の港、同時に問題が起きてしまった。
おじいちゃんの前で、防護石の周りを青い光がくるくると回り、一際明るく輝くと防護石に吸い込まれていく。
修復を完了させたおじいちゃんが、ふう、と深く溜め息をついた。
「おい、ラルフ。こりゃあ多分、港の防護石もやられたな」
「……リセ。ジャン、お前も。二人で先に港へ向かえ」
「えっ!? 二人だけで?」
ラルフさんとおじいちゃんは目を合わせて頷き合う。
「ラルフが付いていく。俺は北東の森の方をささっと見てくる。回路の修復はしないでいい。だが、硬晶石の修復、ああいうのお前得意だろ?」
おじいちゃんはマジックバッグの中に手を入れて大きな袋を掴み出した。
「予備の資材がある。これを持ってけ」
それをリセに手渡した。
港に向けて走り出した三人だったが――到着した港の海に、すでにおじいちゃんを待てないほどに黒く蠢くものが近づいている事を、まだ知る由もなかった。
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