42.【閑話】古書店の店主の思い
ノープスの街の片隅、いつも静まり返った古書店の奥で、この店の店主カスパルはパイプに火をつけた。
外は激しい嵐だ。高台にあるあの工房の灯りは、ちゃんと灯っているだろうか。
リリスティアと初めて会ったのは、ヴァルカンが、依頼していた魔法本の修復を終えて納品に訪れた時だった。事情があってカイルの娘をしばらく預かる事になったという話は聞いていた。
リリスティアは、利発そうな可愛らしい子供だった。だが、目の下には薄っすら隈が出来ていて、もしかしたら、その事情とやらで眠れない夜があるのかもしれないと思い至った。
ヴァルカンの後ろに隠れるようにしながらも、店内の本を好奇心に満ちた綺麗な目で見つめる少女。カスパルは、かつて同じような目で世界を見ていた、一人の旅人の男を思い出していた。
あいつが置いていったあの本なら、この子の夜を少しは穏やかにできるかもしれないな……
そう思って、棚の奥から引っ張り出してきたのが、あのボロボロの仕掛け絵本だった。
「これ、やるよ」
と渡すと、戸惑ったように受け取って、そっとページを捲った。飛び出したキラキラする蝶に。もっとキラキラした瞳をして、すごく嬉しそうに「すごく綺麗!⋯⋯おじさん、ありがとう」と言ったんだ。
あいつの年の離れた妹は病弱で、風邪を拗らせて10歳にならない頃に亡くなってしまったらしい。そんな妹がベッドで楽しめるようにと、魔道具師として一人前になった頃に作った本なのだそうだ。こんなボロボロだけど、中は機能している。誰か必要そうな人がいたらあげてくれないかと、旅立つ前に何冊かの本と共においていったんだ。
……あいつの願い通り、これ以上ないほどに相応しい使い手へ、あの本は渡っただろう。先日一人でやって来たリリスティアは、すっかり元気そうに見えた。
まさか、あの旅の本(群青の本)まで持っていくとは思わなかったがね。これも精霊様のお導きってやつなのだろうか。
あの本は、始めは普通に読めていた。それがいつの間にか、どこぞの変なおしゃべり精霊に入り込まれたからなのか開けなくなってしまい……。いつかヴァルカンにでも直してもらおうと思って、ずっと店に放置していたものだった。
リリスティアが、修復師見習いをやっているというから、子供向けので、ちょっと手直しが必要な本でも1冊譲ってやろうと思って声をかけたんだがね。まさかあの本を選び取るとは……
カスパルはパイプから紫煙を吐き出し、窓を叩く激しい雨音に耳を傾ける。
あの子が自分の足で歩き出すための準備をしていることは、先日ふらりと店に寄ったヴァルカンから聞いていた。東の山へ素材を採りに行くのだと、ヴァルカンはすっかり好々爺の顔をして、心配そうに、けれどどこか嬉しそうに話していた。
あの旅の本も、きっと今のあの娘に必要な本だったのだろう。俺には専門外でよく分からなかったが、あいつのことだ、あの本にも色々と仕掛けを仕込んでいたはずだ。
「そろそろ、何か気が付いたかな?」
カスパルはそう呟いて、ニヤリと笑った。
あいつがまだ生きて旅を続けていれば、リリスティアは、いつかどこかの空の下で会えるかもしれない。
カスパルは静かに紅茶のカップを傾け、暗い嵐の夜の向こう、高台にある工房へと祈るように視線を向けた。




