41.雷の夜と優しき旅人の遺したもの
ドォォォォンッ!!
地響きと共に、工房全体が震えるほどの雷鳴が落ちた。
「ひゃうっ!?」
リセは反射的にソファの上で丸まり、頭から毛布をすっぽりと被ってガタガタと震えだした。
同時に、部屋の逆側、食事を取るテーブルの上で、リセの入れたシナモンハニーミルクをちびちびと楽しんでいたブランが、天井にゴチンと頭をぶつける音がした。
「何!? えっ?誰か怒ってる?(パタパタパタパタ)僕悪いことして無いよ。お友達の精霊の毛を引っ張ったり、追いかけ回したりなんかして無い」
真っ白な毛玉が、部屋を横切って猛スピードで飛んで来て、リセが毛布の中なのを一瞥すると、ジャンの襟元へ飛び込んだ。
「うわっ! ちょ、ブラン、落ち着けって! 」
ジャンは首筋に軽い衝撃を受けながら、暴れる毛玉をつまみ上げた。そして、隣で震え続ける「毛布の山」を、ポン、と叩いた。
「大丈夫だよ、リセ。ただの大きい雷だ。……ほら、ブランもビビって飛んできたぞ」
「……だ、だって……すっごい音した……絶対に近くに落ちた。また近くに落ちるかも……」
毛布の隙間から、リセが涙目でようやく顔を出す。
「……あ、ブラン……。こっち」
リセがブランを毛布の中に引き入れて、ブランのふわふわモフモフをさり気なく堪能しながら抱きしめる。
ブランもリセの近くで少し落ち着いたのかリセに体を押し付けるようにしていた。
ジャンは苦笑いしながら、気分を変えようとテーブルの上に残された三冊目の本――魔法の仕掛け絵本――を、リセに見えるように手に取った。
「これ、だいぶ古い本だね。何の本なの?」
ジャンがそう言いながらそっとボロボロの表紙を開くと、中から柔らかな光が溢れ出した。
ページの中から、淡く光る青い蝶たちが次々と舞い上がり、嵐で暗い部屋を優しく照らしていく。パタパタという羽ばたきと共に、キラキラとした光の粉が二人と一匹の周りに降り注いだ。
「仕掛け絵本?」
ジャンが呟く。
「これ落ち着く魔法かかってるね。ふわぁ〜眠い⋯⋯」
ブランが大きなあくびをした。
「これ、古書店の店主さんから貰った本なんだけど、この光見てると気持ちが落ち着いて⋯⋯前向きになれる気がしてたんだけど、魔法だったんだ!」
ブランがうんうんと頷きながら、瞼が閉じてくるのを我慢するように、何度か目を開けたり閉じたりを繰り返す。
リセは腕の中のブランをそっと押さえながら、テーブルの上の本へと手を伸ばし、解析の魔法を使った。
すると、本の中に隠されていた優しい魔力回路が、淡く浮き上がってくる。
驚いたのはその先だった。
部屋を舞っていた光の蝶たちが、導かれるようにテーブルの上の空間に集まり、ぴたりと動きを止める。
蝶と蝶の間に、きらめく光の線がスーッと引かれ、一つの形を形作った。
「……えっ?」
リセは思わず息を呑んだ。
光の蝶たちが描いたのは、夜空に輝く【蒼き乙女の祈り】――
それは、すぐ隣に置かれた『旅の本』の表紙に、銀の糸で縫い留められている星座と同じ形をしていたのだ。
「なんで?蒼き乙女の祈り?」
ジャンが、本を見比べて、何かに気がついたように声をあげた。
「もしかして……」
ジャンは仕掛け絵本の表紙を開き、最初のページへと視線を落とした。そこには、どこか切なくも温かい筆跡で、一文が書き残されていた。
『最愛の妹に捧ぐ』
「やっぱりだ。リセ、こっちの旅の本の最初のページにも、同じ名前が書いてある」
「……本当だ。全然気が付かなかった……」
リセは腕の中のブランをそっと抱き直し姿勢を正し、二冊の本を見つめた。同じ作者。カスパルさんは「知り合いが趣味で書き溜めたもの」と旅の本を貰った時に言っていた。
「【蒼き乙女の祈り】って、古い神話の星座だろ?」
ジャンが光の余韻が残る空間を見上げながら、ぽつりと言った。
「確か……病気に苦しむ幼い妹を守りたいと精霊に願った乙女が、最後には星になってその人を守ったっていう……。子供の頃、ばあちゃんに読み聞かせてもらったことがある」
「苦しみから、守りたい……」
リセは、ページから溢れた青い蝶たちが、自分のトゲトゲした恐怖を消し去ってくれたことを思い出す。
「うん。だからこの本を作った人は、その神話にあやかって、この星座の魔法をかけたんだと思う。妹さんは、もしかしたら病気だったのかもな。……旅の本も妹さんに見せるためのものだったのかもしれないな」
ただの古い仕掛け絵本と、開かなかった旅の本。
そこに込められた優しさに触れて、リセの胸の奥がじわりと熱くなった。
パチ、と小さな音がして、空中に浮かんでいた光の蝶たちがふっと一斉に消える。
それを見届けるようにして、ブランがリセの腕の中で完全に眠りに落ち、小さな寝息を立て始めた。
「ジャン……私、この『旅の本』の回路、もっとちゃんと調べてみたい」
リセがそう呟いたとき、ふと、窓を激しく叩いていた雨の音が、いつの間にか遠ざかっていることに気がついた。あれほど響いていた地響きのような雷鳴も、もう聞こえない。
「ああ、明日の朝からじっくり付き合うよ。……ほら、嵐もおさまったみたいだ」
ジャンが小さく笑って、自分の肩を回す。緊張が解けたら、なんだか一気に眠くなってきちゃった、とジャンが欠伸を噛み殺した。
リセはテーブルの上に残された、飲みかけのハニーミルクのカップや広げた本を見つめ、それからちょっと眠そうにジャンを見上げた。
「……片付けは、明日でいいよね?」
「もちろん。俺がランプ消しとくから、リセはもう寝なよ」
恐怖が消え去った部屋には、ランプの柔らかな光と、しんとした心地よい静寂だけが残されていた。
「おやすみなさい」
リセは小さくあくびをすると、抱きしめたブランの温もりを感じながら、自室へ戻り、ベッドに潜り込んだ。
窓の向こうの暗い夜空には、雲の隙間から、星々が静かに輝き始めていた。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。続きが気になる、あるいは気に入っていただけましたら、ブックマークや評価で応援いただけますと大変励みになります!
これからも、よろしくお願いいたします。




