4.魔法の本と白の毛玉
「蒼き乙女の祈りかぁ……」
リセは、その星座の名を何度も呟きながら、2年前に最後にお父さんとお母さんと3人で過ごした、穏やかだった一日を思い出していた。
あの日も、今日のような冬の空だったけれど、とてもよく晴れていた。
父は辺境伯家の忠実な騎士だった。けれど、任務中に不運にも強力な呪いを受けてしまった。魔物を惹き寄せてしまうその呪いのせいで、父は今、人里離れた森の中にある古い塔で暮らすことを余儀なくされている。
辺境伯家の騎士団としても、何度か高名な魔導士や聖職者を呼び、呪いを解こうと尽力してくれた。そのおかげで呪いはだいぶ弱まったものの、完全に消し去ることまではできなかったのだ。
皮肉なことに、辺境伯家は父を「街へ向かう魔物を引き付ける便利な囮」として利用することに決めた。塔から離れることは禁じられているが、勤務中の事故として扱われ、家族への仕送りや待遇だけは決して悪くはなかった。
……あの日、お父さんと一緒に夜空を見上げながら、あの星座の話をしたっけ
切ない記憶を振り払うように、リセは小さく頭を振った。今は目の前の本に集中したい。
とはいえ、大体の形は覚えているものの、細かい部分はあやふやだ。記憶を頼りに魔力を流して、また「バチッ」と弾かれるのは地味に痛いし出来れば避けたい。
……どこかに星座の本がないかしら。
リセはカウンターの中で、周囲を見渡した。カスパルさんが適当に積み上げた本の山、その中の一つ、その上から2冊目に、ちょうど良さそうな題名の背表紙を見つけた。
『美しい星座と伝承』
「あった……!」
リセは慎重に手を伸ばし、一番上の本が落ちないよう支えながら、その2冊目をそっと抜き出した。古い紙の匂いと共に、表紙には金箔が剥がれかけた乙女の横顔が描かれている。
ページを素早くめくり、目当てのページを探す。「あ行」の索引から指を滑らせ、ついに見つけた。
「……これだわ。『蒼き乙女の祈り』」
本に描かれた図解は、リセの記憶よりもずっと精緻だった。乙女が膝をつき、祈るように重ねた両手。それを形作る星は、表紙の刺繍の星と見事に重なった。どこが「意味のある星」で、どこが「ただの飾り」なのか、消えてしまった星も一目で分かった。
「そうだ、おじいちゃんのペン!」
さっきおじいちゃんからもらった銀のペンをポケットから取り出し、しっかりと握りしめた。
「よし。今度は間違えない」
リセは星座の本を広げたまま横に置き、再び群青色の本へと指先を戻した。
起点の大きな星にペン先を合わせる。
ペン先が触れた瞬間、ペン先から滲み出す魔力が星を結ぶ銀色の光の糸に変わった。
そこから、乙女の祈りをなぞるように、迷いなく銀のペンを滑らせていく。
背景の星は避け、主要な星の位置だけを温かな魔力の糸で結んでいく。まるでお父さんと一緒に夜空を指でなぞった、あの日の夜のように。
最後の、乙女の胸元にあたる星にペン先が触れた、その瞬間――。
パアァッ……!
本全体がカチリと小気味よい音を立て、ページの間から眩い銀色の光が溢れた。
『――本は開かれた。汝、知を継ぐ者として相応しき光を宿せり』
重厚で、地響きのような威厳に満ちた声が店内に響き渡る。リセは思わず肩をすくめて手を耳に当てた。その声は耳からではなく、直接脳内に響いてきているようだった。
リセは凄く凄く感動していた。
おじいちゃんに教わったこと、そしてお父さんと見た星空。そのすべてが繋がって、ついに目の前の難解な魔法の鍵を開けることができたのだ。
「出来た、出来たよ~っ!」
パッと顔を輝かせ、リセは逸る心を押さえながらページをめくった。
最初のページには、端正な筆致で**『一人旅の魔道士の心得』**という題名が躍っている。
パラパラと指を滑らせると、中身は驚くほど充実していた。
栄養満点そうなレシピから、野宿に役立つ探索魔法や検知魔法。さらには簡単な回復魔法や攻撃魔法といった実用的なものまで網羅されている。それだけではない。宿の選び方や予約の取り方、有名な都市の美味しい食事処の紹介、さらには地方ごとの独特なマナーまで、まるで一人の熟練した魔道士が一生をかけて書き溜めたガイドブックのようだった。
(すごい……これ一冊あれば、どこへだって行けちゃうじゃない!)
リセが、夕御飯に良いかもと、「冬野菜のクリームシチュー」のレシピに目を留めた、その時だった。
「……ううっ、ひっ……ぐすっ……」
どこからか、微かな、けれど胸を締め付けるようなシクシクという泣き声が聞こえてきた。
「えっ……?」
リセは顔を上げ、辺りを見回した。店内にはお客さんはいないし、カスパルさんもまだ帰ってきていない。
「えーん。出られないよ〜。さっき一瞬開きそうに動いたんだけど……。シチュー食べたいよ〜。うっうっ……。
あのオッサン、今は忙しいからとか言って、もう絶対1年以上たったよ……グスッ。」
声は本の中から聞こえるようだった。
「あなたは誰?何処にいるの?本の中なの?」
リセは囁くように問いかけた。
切実で情けない声が返ってきた。
「あっ、助け……助けが来たの!?さっきのは君なの? 助けて! 僕は……えーっと、迷子?いや、えっと、たぶん高貴な精霊? とにかくこの本を修復して、僕をここから助け出して~!!」
あまりの必死さに、リセは思わず目を丸くした。
迷子の子犬が泣きついているような、放っておけない響きだ。
けれど、リセは「修復」という言葉を聞いて、ハッと表情を引き締めた。
「修復……? 壊れているのね?」
「ちょっと美味しそうな匂いがしたから、この本に入ってみたんだけど、帰ろうと思ったら、出口がぐにゃって通れなくなって出られなくなっちゃったんだ。」
リセは、何を言っているんだろうと思いながら、出口がと言うんだからやっぱりさっきの星図に原因があるんじゃないかとなぁと考えた。そして、思い出した。
「……あ、そうえば、刺繍糸が切れてたし、……」
刺繍糸はすぐにないけど、もし、あれのせいなら、もしかして応急処置出来るかもしれないと思い口を開く。
「あんまり長くは持たないと思うんだけど、今から、星を魔力で繋いでみるから、出口を探してみてくれる?」
リセは、銀のペンをもう一度手に握った。本の中から、期待と不安が入り混じったような声が聞こえた。
「やっ、やってみる……。準備はいいよ!」
リセは表紙の星図を睨みつけ、気合を入れた。
ペンの先から、針の穴を通すような繊細さで、魔力を細く、細く流し込んでいく。
「いけっ……!」
乙女の祈りを形作る星々を、銀のペン先から出した魔力の細い糸で繋いでいく。
けれど、一番重要な「乙女の胸元」にある終着点の星まで繋いでも、手応えがない。何も起こらないのだ。
「うーん。違うのかな」
よく見ると、途切れた刺繍糸の端は、星座の終着点からさらに、「最初の星」へと、環を描くように戻っていたように感じた。
リセは念のため、星座を一周させるようにして、最後の一線を最初の一点へと伸ばした。
「上手くいって……!」
祈るような気持ちで、円環を閉じたその瞬間、何かが噛み合ったような確かな感触と共に、本の中から溢れんばかりの光が噴き出した。
「うわぁぁっ、道が見えた! 出口だ、出口が開いたぞーっ!!」
歓喜の叫びと共に、本のページの間から、光り輝く「白い塊」が勢いよく飛び出してきた。
それはカウンターの上で何度かポンポンと跳ねると、リセの目の前でぴたっと止まった。
「……えっ?」
リセは、思わず持っていたペンを落としそうになった。
光が収まったあとにいたのは、真っ白で、丸くて、綿飴をギュッと丸めたような……どこからどう見ても、手のひらサイズの「ふわふわな毛玉」だった。
毛玉には、こぼれ落ちそうなほど大きなつぶらな瞳が二つ。それがリセをじっと見つめ、次の瞬間、毛の中から短い手足がポヨンと飛び出した。
「ぷはぁっ! 助かったぁ! 死ぬかと思った……。もう一生、シチューの挿絵の中で暮らす羽目になるかと……」
「……あの、あなたが、さっきの精霊さん?」
リセが呆然と問いかけると、白い毛玉は短い手で自分の体をペタペタと触り、実体化できたことを確認すると、感極まったように足をバタバタさせた。
「そうだよ! 僕は……えーっと、名前は何だっけ。忘れちゃったけど。助けてくれてありがとう! 」
白い毛玉ちゃんとやっと出会えました。
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