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銀のペンと魔法の回路 ―見習い修復師リリスティアと氷魔法を使う謎の少年、ときどき食いしん坊精霊のモフモフな日々。―  作者: 海優璃


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3.古書店での店番

 「……ハンバーグ? シチュー?」

 リセは思わず、自分の口元を指先で押さえた。

 今のは、誰かの声? それとも、お腹を空かせた自分が聞かせた幻聴……じゃないよね。


 高い窓から差し込む午後の光の中で、先ほどの虹色の蝶の名残、キラキラとした粒がまだ少しだけ宙に舞っている。高い天井まで続く本棚が、まるで巨大な生き物のようにリセをじっと見つめている気がする。


 リセは、コートの琥珀色のボタンを一度だけ指先でギュッと握りしめた。


「この声も気になるけど……。おじいちゃんのお得意さんだし、やるしか無いよね。一時間……」

「……よし。まずは、カスパルさんが言ってたものを確認しなきゃ」


 積み上げられた本の塔の裏側に、カスパルさんの言っていた算盤スクロールが広げてあった。

 その横には、細い鎖に繋がれた小さな銀色の箱がある。表面には繊細な彫刻が施されており、これがお金の出し入れに使うものだろう。

「本を乗せて魔力を流すと金額を教えてくれる……。それから、この箱にお金を入れると、自動で吸い取ってお釣りを出してくれるんだよね」


 リセは、算盤スクロールの表面を指先でなぞりながら、おじいちゃんの工房で練習した感覚を指先に呼び起こした。

 パチパチ、と小さな火花が弾けて浮かび上がった「0」の数字。その柔らかな光を見て、リセは少しだけ強張っていた肩の力を抜いた。

「よかった。使い方はおじいちゃんのところのとほとんど同じだ……」

 横にある銀色の箱の蓋をあけるとカチリ、と小さな歯車が噛み合うような音がして、箱の底とスクロールがふわっと光った。けれども今は本の代金もないので、中からお金が出てくる様子はない。

「本番で、ちゃんとお釣りが出てきてくれるといいんだけど……」

 リセが、少し不安げに銀色の箱を見つめていると、カウンターの後ろ側、修理待ちの箱の中から、またはっきりと「オムライス、フレンチトースト、お腹空いた⋯⋯」と声がした。


 何が起きているのか分からなくて、ドキドキしながら、年季の入った木の箱をそっとのぞき込んだ。

 「もしかして、おしゃべりな精霊さん?」リセは呟いた。


 背表紙が完全に剥がれ落ち、中身の綴じ紐が見えてしまっている分厚い冒険譚。

 押し花の跡がページを茶色く染め、バラバラになった挿絵が隙間からこぼれ落ちそうな植物図鑑。

 そして、箱の端っこで、一冊の小さな本がカタカタと音を立てていた。


 かつては深みのある群青色だったであろう革の表紙は、長い年月を経てすり減り、所々が白っぽく変色している。表紙の縁には、色褪せた銀の糸で星図のような紋様が刺繍されていた。


 カスパルさんは、この中から一冊くれるって言ってたし……たぶん、そんなに危ないものじゃないよね⋯⋯。


「……少しだけ、中を見てみてもいいよね?」

 リセは、恐る恐る手を伸ばして指先で触る。特に何も起きないことを確認して、カウンターの上にそっと置いた。

 箱の中から取り出したその本は、手のひらに収まるほど小さく、けれどずっしりとした重みがあった。

「ぐぅぅ〜」その時、その本からお腹のなるような音がはっきりと聞こえた。


「……どうなっているんだろう?」

 リセは、時折カタカタと微かに震えるその本を、壊れ物を扱うように慎重に観察した。

 表紙の群青色の革は、長い年月のせいか少し乾燥して強張っている。

 おじいちゃんのところにある、とっておきの馬油クリームを塗ってあげたら、もっと柔らかい手触りになるはず……

 そう思いながらよく見ると、表紙を飾る銀色の刺繍糸もかなり傷んでいた。色が褪せているだけでなく、いくつもの箇所で糸が切れ、端がひょろりと解けてしまっている。


 この糸、銀を細く叩き出したものかしら。それとも魔力を通しやすい特製の絹糸? 同じ素材の糸が見つかれば、私でも直せるかもしれない……

 そんなことを考えながら、リセは意を決して、革の表紙にそっと指をかけ、ゆっくりとページをめくった。


 慎重に最初のページを、めくる。

 けれど、開いたページに文字は一行も書かれていなかった。そこにあるのは、透き通るような滑らかな紙の質感と、ページ全体に広がる複雑な銀色の幾何学模様だけだ。ほかのページをペラペラとめくってみるが同じように何も書かれていなかった。


「これは魔法の本?」

 おじいちゃんが言っていた。魔法の本には「鍵」がかかっているものが多く、魔力を流すことで初めて読めるようになる仕組みがあるのだと。

 それは安全のため、その本を読むのに相応しい魔力量や、魔力の質を持たない者には内容を見せないための防壁だ。あるいは日記帳のように、あらかじめ登録した主人の魔力にしか反応しないよう制限されているものもあるという。


「私でも読めるのかな?」


 リセは深呼吸をして、開いたページの上にそっと掌を重ねた。

 おじいちゃんの教え通り、優しく語りかけるように魔力を流し込む。

 すると、白紙だったページに吸い込まれるようにリセの魔力が浸透し、真っ白だったページの上に、文字が浮かび上がってきた。


『第一の関門は開かれた。汝、言葉の迷宮に光を灯さば、星の導きを現せ』


「第一の関門……。次は、星の導き?」

 リセは思わずその言葉を口に出して繰り返した。魔力を流すことで、この本は「対話の準備」をしてくれたようだ。けれど、まだ中身は見せてくれないらしい。


「何か特別な手順があるのかな……。このページの模様を、魔力でなぞるとか?」


 おじいちゃんの工房で、魔法回路の跡を辿って修理したときのことを思い出し、リセは人差し指を立てて開いたページに触れた。描かれた銀色の幾何学模様。その複雑な線を、自分の魔力を指先に込めて、端から丁寧になぞり始める。

 ――けれど。


「あっ……!」

 半分も進まないうちに、パチリと弾けるような音がして、指先がページから跳ね返された。ページに書かれた文字は消えなかったが、なぞっていた銀色の光だけが霧散し、沈黙が流れる。


 失敗……。なぞる順番が違ったのかな。それとも、魔力が強すぎた?


 リセは少し気落ちして、指先をぎゅっと握りしめた。けれど、おじいちゃんはいつも言っていた。「魔法の道具と向き合うときは、焦るな。まずは全体をよく観察することだ」と。


 リセはページをなぞるのを一度やめ、本の全体をもう一度じっくりと観察し直した。

 表紙、背表紙、角の擦り切れ具合、そして――。

「あ……」

 さっき気になっていた、あの色褪せた銀糸の刺繍。本の表紙に描かれているのは、ページの中にある複雑な模様の一部――けれど、よりシンプルで、はっきりとした「星座」のような形をしていた。


「……これかも。なぞるのはページの中じゃなくて、こっち(表紙)だったんじゃないかな?」


 リセは一度本を閉じ、群青色の革表紙に描かれた一番大きな星にそっと指先を置いた。そこから銀の糸の微かな凹凸をなぞるように、隣の星、またその隣の星へと、指を滑らせながら魔力を流していく。

 ……けれど、4つ目の星まで来たところで、さっきと同じようにバチリと鋭い衝撃が走り、リセは思わず手を引っ込めた。

「うーん、ただなぞればいいわけじゃないのかな」


 順番かなぁ。リセはもう一度一番大きな星に手を置いて繰り返す。次は3つ目の星で失敗してしまった。


 うーん。これだと思うんだけどなぁ。リセは首を傾げ、答えを求めるように再び本を開いた。


 ページを確認すると、先ほどの言葉の下にもう1行増えている。


『――蒼き乙女の祈り――』


「蒼き乙女。……これって、春の星座のことだよね?」


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