38.朝の風景
修復師の工房の朝は早い。本来ならリセの忙しげな足音から始まるはずのその時間を、今朝は俺が一人で引き受けていた。
昨日の修復で魔力を使い果たしたリセは、今朝になってもまだ顔色が優れなかった。いつも通り出来ると言い張る彼女を、師匠が「簡単なものでいいからジャンにお願いしよう」と静かに、けれど断固として押し止めてくれたおかげで、今日の朝食当番は俺になった。
じゃがいも、にんじん、キャベツと野菜を切り、残っていたベーコンをリセが直した魔法のお鍋に放り込む。初めて彼女の修復を見たのもこのお鍋だった。その姿は、とてもかっこよかった。
お鍋からは野菜の甘みを引き出した優しい湯気が立ち上っていた。
キッチンを片付けながら、ナッツを粗く刻んでブランの好きな蜂蜜と混ぜた「蜂蜜ナッツ」を作る。パンを焼き、自分で塗れるようにチーズと一緒にテーブルへ準備した。
初めてこの家で食べた朝食は、豪華ではないけれども、温かくてホッとする味だった。素性の怪しい俺を優しく受け入れてくれて、申し訳ない気持ちと甘えたい気持ちで胸がいっぱいになったのを覚えている。⋯⋯けれど、あの時もブランがマグカップを宙に浮かせ、蜂蜜で口元を汚しているのを見て、驚きで涙も引っ込んでしまったんだ。
「おはよ、ジャン! 今日はジャンが朝ごはん作るの? この蜂蜜の何〜?」
神出鬼没なブランが、いつの間にか俺の周りをぐるぐると回り始めた。答えを催促するかのように、俺の頭にぽすんと乗る。
「これは蜂蜜ナッツだよ。トーストの上にチーズを塗って、その上にこれを乗せるんだ。ザクザクして甘くて美味しいぞ」
朝食の準備をしようと思った時、幼い頃、母さんと一緒に作った蜂蜜ナッツトーストをふと思い出した。
誕生日の日、父さんは「必ず帰ってきてお祝いする」と約束してくれていた。けれど天気が悪くて叶わなくなり、俺は泣いて、泣いて、仕方のないことだと分かっていても泣き止むことができなかった。
その時、母さんが「父さんが、こんな事もあろうかとプレゼントにナッツと蜂蜜を先に送っておいてくれたのよ」と言って、初めてこれを作ってくれたんだ。
今思えば、あれは母さんの優しい嘘だったのかもしれない。けれど⋯⋯それでも、あの時の俺は確かに、幸せな気持ちになれたんだ。
ブランが、蜂蜜ナッツをそろりそろりと空中に浮き上がらせるのが目の端に映った。
「つまみ食いしたら、おかわりなしな!」
ジャンが静かに告げると、ブランはすーっと離れてリセの寝ている部屋の方へ消えていった。
準備が終わった頃、ブランがリセを連れてきた。リセは食卓に並ぶ蜂蜜ナッツを見て、目を見張った。
「わぁ!……蜂蜜ナッツだよね?懐かしいっ。」
リセが嬉しそうに声を上げた。ジャンがトーストを差し出すとじっと見つめる。
「……お母さんが、好きだったの。『疲れた時は、蜂蜜ナッツ!』って。私は蜂蜜だけの方が好きで、いつもナッツ少なめで作ってもらってた」
おじいちゃんがいつもの挨拶を口にして食事が始まる。
「世界中の精霊様に感謝して。いただきます」
リセが一口、トーストをかじる。ザクザクとしたナッツの食感と、濃厚な蜂蜜の甘みが口いっぱいに広がる。
「美味しい……。ジャン、ありがとう。ナッツいっぱいも美味しいね! なんだか、少し大人に近づいた気がする」とリセは笑った。
ブランもザクザクいい音をさせて、蜂蜜ナッツトーストを食べていたが?急に首を傾げて、「うーん。なんか、どっかで食べた事あるような⋯⋯?」
「……? ブラン、どうしたんだ?」
ジャンの問いかけに、ブランはもう一度首を傾げて、「うーん。なんだったっけ?」と唸った。
「……まあ、いっか! 美味しいからいいや!」
ブランはすぐに考えるのをやめたらしく、また勢いよくトーストにかじりついた。口の周りをべたべたにしながら、幸せそうに羽をパタパタさせている。
そんなブランの様子に、リセはくすくすと笑い声を上げた。
「きっと誰かの蜂蜜ナッツを分けてもらったのね?」
リセの顔には、ほんのりと赤みが戻って来ていた。ジャンの胸の奥で、小さく安堵の火が灯る。リセが美味しそうに食べる姿は静かな充足感を与えてくれた。
「……リセ」
おじいちゃんが、スープを飲み干して静かに口を開いた。その声のトーンに、リセの背筋がわずかに伸びる。
「少しは魔力が戻ってきているようだが……。いいかい、今日は絶対に『修復』は禁止だ」
「えっ? でも、おじいちゃん、ラルフさんとの約束の日までにやりたい事がいっぱいあるの――マジックバッグにポシェットに、ジャンの剣だって一度診ておきたいの」
「ダメだ。昨日の消耗は、寝て治るほど軽いものじゃない。後少し対処が遅かったら危なかったんだよ」
おじいちゃんの厳しい、けれど慈しむような視線に、リセは反論を飲み込んで俯いた。
「……分かったわ。でもおじいちゃん、解析だけならいい? ポシェットがどうなっているかとか⋯⋯」
おじいちゃんはしばし沈黙し、それから小さく頷いた。
「……軽い解析までなら許そう。ジャン、リセが無茶しそうならすぐ止めてくれ。後、マジックバッグは、儂の昔使ってたやつを一つ貸してやる。無茶されたら困るからな」
「え?いいの!マジックバッグ助かる!解析までしかしないって、約束する!」




