36.虹色の修復、重なる呼吸
昨日は、うっかりしてジャンの籠手をダメにしちゃうところだった。
ジャンが助けてくれて、本当に助かったな。修復師の先輩として、かっこいいところを見せたかったんだけど……。
一晩明けて、微睡みの中で思い返して、リセは少しだけ落ち込んでいた。ベッドの中で溜息をつき、モゾモゾと寝返りを打つ。すると、脇のあたりに「ふわっ」とした柔らかくて温かい塊があることに気が付いた。
「……あれ?」
毛布を少しめくると、そこには丸くなって幸せそうに寝息を立てているブランの姿があった。どうやら夜のうちに、こっそりベッドに潜り込んできたらしい。
ちょっと失礼して、ブランの背中に顔を埋めると、おひさまの温かさと、どこか懐かしくて甘い匂いが鼻腔をくすぐった。「うーん。頑張れそう!」
ブランは寝ぼけ眼で「ん……リセ、おはよぉ……」と小さく言ってもう一度すやすやと眠ってしまった。
リセはブランを優しく抱きしめ直すと、いつもより少しだけ早い朝の光を浴びながら、今日やるべきことを思い描いた。
「よし。今日は退魔のケープを修復するぞ!」
朝食は、市場で見つけてきた『妖精の粉薬』を使うことにした。
市場で食べた蜂蜜ナッツチュロスにかかっていて、すごく美味しかった。妖精の粉薬を売っているお店を見つけた時に、これから他の買い物をする予定だったから「また今度でいいかな」とうっかり呟いたのが悪かった。ブランが「これ買って! 買うまで一歩も動かないからね!」と、ポシェットごと看板にぴたっとくっついて離れなくなってしまったのだ。
お店のの人には「あらあら、ポシェットが引っかかっちゃったのかい?」と心配され、周りの人からはジロジロ見られ……。私は顔を真っ赤にしながら、早々に「ください! 妖精の粉薬ひとつ!」と叫ぶことになったのだった。
だから今日は、可愛いブランのためにフレンチトーストの上に妖精の粉薬をかけてみた。
遊び心で、粉を雪の結晶の形に散らしてみると、ブランは「わぁっ、リセ大好き!」とご機嫌で食べていた。
朝食の後、いよいよマントの修復に入る。
マントはしっかりした生地で出来ていた。布自体の劣化は殆どない、やはり、裏地に施された魔法の回路の為の刺繍部分に問題があるようだった。刺繍は三稜鏡蚕の糸が使われていて、魔力を通すと光るが、普段は刺繍がまったく分からない。
魔力を通しながら今ある糸と新しい糸を絡み合わせ、一本の糸として編みながら、修復していく必要がある。
この三稜鏡蚕の糸が、本当に貴重なものらしく、市場の素材屋さんには置いていなかった。帰ってきておじいちゃんに聞いたら、なんと、このマントの修復の為に既に取り寄せてあった。
「いやぁ〜。儂も忘れておってな。取り寄せはしたが、客もなく、急ぐ修復では無かったから。すまん」
と言われたので、リセは頬を膨らませながらも、その貴重な糸をそっと受け取った。
おじいちゃんが忘れるほど長く倉庫に眠っていた糸。けれど、木箱の中で守られていたそれは、光の当たり方で七色に揺らめき、まるで生きているかのような瑞々しさを保っていた。
(貴重な糸だから、絶対、無駄にはできない)
工房で、ジャンに修復のサポートをお願いする。昨日の失敗を思い返し、手順と使うものをジャンと、確認していく。
「私が、三稜鏡蚕の糸、これで今ある魔法回路を正しい位置に固定し直しながら強化していくね。これ、すごく時間がかかると思うの。多分途中で魔法回路が暴れるんじゃないかと思う。だからジャン、今日は固定剤が鍵になるわ。それに、始めたら途中でやめることが出来ないの。固定する迄は魔力を通しっぱなしにしないと、糸が劣化しちゃうの。」
ジャンはメモを取りながら頷く。
「なるほどね。俺は、固定化を手伝えばいいの?」
「そうなの、一人だとちょっと難しくて」
リセも、昨日の夜のうちに調べておいたメモを確認しながら固定剤について説明する。
「鏡晶石を細かく砕いたものに、月見草のオイルを混ぜて……。これで回路の熱を逃がしながら、魔鹿パウダーで糸を布に貼り付けるの。」
「ここをね、手伝って貰いたくて。私が魔法回路を固定したところから順に、その糸の上にだけ均等にこの固定剤を乗せてほしいの」
先の細い筆をジャンに差し出す。
「この筆の先に、ほんの少しずつ固定剤を付けてね」
「仕上げに魔力を逃すところは、私がやるから⋯⋯」
不安そうなリセに、ジャンは差し出された細い筆を、慎重に受け取った。
工房の空気が、ピンと張り詰める。
リセが銀のペンを持ち、精神を集中させる。逆の手でマントの上の魔力の痕跡を確かめるようにマントをなぞる。
「始めるね、ジャン……」
繊細な魔力操作で、元の三稜鏡蚕の糸を少しだけ布から外す。新しい糸と絡み合い一本の糸へと生まれ変わらせる。そして、あるべき場所へ固定し直していく。少しずつ、少しずつ、気の遠くなりそうな作業だ。時々ジャンが、リセが固定した三稜鏡蚕の糸の上に固定剤を慎重に乗せてくれる。
リセはいったん三稜鏡蚕の糸はそのままに、固定剤に魔力をそっと流す。均等に隙間なく滑らかに……。糸はキラキラと虹色に輝いた後に布に吸い込まれて見えなくなった。
同じ作業をひたすら繰り返す。二時間はたっただろうか、スピードは始めの頃と比べようもなくあがっていた、スピードがあがっても、ジャンはタイミングをしっかり合わせて付いてきてくれる。それを嬉しく思った。けれども、リセの魔力と集中力は限界が近かった⋯⋯。額を汗が伝う。
魔力回路がドクンとうねるのを感じた。ジャンが「リセ、落ち着いて」と少し焦ったような声を出すのが聞こえた。
「はぁ。はぁ。はぁ。」
視界が白く霞み、ペンを持つ指先が冷たくなり感覚が消えていく。回路の暴走に飲み込まれそうになったその時。
遠くで見守っていたおじいちゃんが駆け寄ると同時に、ぽすんと頭の上に温もりを感じた。
瞬間、おひさまのような温かさが、頭のてっぺんからじわりと全身に広がった。回路の熱が穏やかなものへと変わっていく。
「リセ、後ちょっとだよ! お昼は、ハンバーグがいいな!妖精の粉薬でまた雪の結晶作ってね!」
温もりが全身へと広がると共に魔力が少しずつ流れ込み、リセの枯れかけていた魔力に火を灯す。
(……ブラン!)
魔力の回復のおかげか指先の震えが止まった。ブランが魔導回路を安定させてくれている。
「ブランありがと。ジャン、心配させてごめん。最後まであと少し……二人とも一緒にお願い!」
「……っ、了解だ!」
「任せて!リセ」
ジャンとブランが同時に応える。
そこからは、速かった。先ほどよりも、さらにスピードが上がりあっという間にすべての魔法回路の修復が終わった。
リセは少し余裕を取り戻して、銀のペンで、固定剤を吸い上げて、マントの上に均等に広げる。広がった所で全体に魔力をさっと通す。最後の仕上げとして、魔導回路にゆっくり確かめるように魔力を流し切る。
マントの魔導回路がキラキラと輝きふわりと浮き上がり静かにテーブルの上に戻った。
「ぷはぁ……。リセ、よく頑張ったね!」
頭の上から、ブランが満足げにポンと飛び降りて、リセの頬にふわふわの体を擦り付けた。
リセがその場に座り込みそうになるのを、ジャンが支えて椅子に座らせる。
リセは呆然としながらも「二人ともありがと」と感謝を口にした。
リセの魔力量は多い。魔力切れなんて初めてで、こんな事想定していなかった。
内心の動揺を隠して、まだ心配そうにリセを見つめていたジャンに、「タイミングばっちりで凄くやりやすかったよ。魔力切れはじめてで、びっくりしちゃった」と笑ってみせた。
おじいちゃんの手に握られた銀色に光るミスリルナイフを見て、リセは息を呑んだ。糸を切ろうとしたのだろう。
それだけ危険な状況だったということだ。糸を切れば、貴重な三稜鏡蚕の糸は二度と使えず、マントも修復不能になっていたはず。
「ね?リセ?ハンバーグ、とびきり大きいのをお願いね! あと、雪の結晶も!」
誇らしげに胸を張るブランの言葉に、張り詰めていた工房の空気がふっと緩んだ。
ブランには落ち着いたらとびきり大きいハンバーグを作ってあげようと、涙目になりながらリセは思ったのだった。
ナイフをしまったおじいちゃんが戻ってきて、リセの魔力とマントを確認する。
安心したように「ほう」と息をつき、「魔力はだいぶ減っているが、問題は無いだろう。マントは綺麗に修復出来ている。よかったな。」と言って頭にぽすんと手を置いた。
「今日のお昼は儂が作ろう。とびきり大きいハンバーグもな?いいかねブラン様?」
「そうだね。リセは疲れてるみたいだし、おじいちゃんのハンバーグも好きだよ!」
ブランはうきうきとキッチンへ向かうのだった。
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