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銀のペンと魔法の回路 ―見習い修復師リリスティアと氷魔法を使う謎の少年、ときどき食いしん坊精霊のモフモフな日々。―  作者: 海優璃


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35/51

35.必要な所に、必要なだけ

その次の日、リセとジャンは工房の隅で頭を突き合わせて、修復内容を確認していた。ラルフさんとの次の約束は一週間後だ。それまでに装備を整えて行く約束なのだ。


「先ずは、ジャンの籠手からにしよっか? 地剛熊(アースベア)の脂をしっかり馴染ませてから、回路も確認していくね」

「脂を塗り込むのは、私がお手本を見せるから、ジャンもやってみて。こまめなメンテナンスが、道具を長持ちさせるコツなんだから」


 リセが小さな壺からヘラで脂を掬い取り、布にのせる。独特の獣の匂いが工房に広がった。

「こんな感じ。優しく、クルクルと手を動かして。……やってみて!」

「……こうか?」

 ジャンは布を受け取り、教わった通りに脂を馴染ませていく。

「上手上手! あっ、ここの段差があるところはね、こうして丁寧に……」


 リセがぐいっと顔を近づけ、ジャンの手に自分の手を重ねるようにして布を動かした。

「ね? こんな感じ」

「…………」

 ふと横を見ると、ジャンの顔が真っ赤になっていた。リセは、自分が近づき過ぎていたことにようやく気が付いた。

「あっ、ごめん!」

 リセは弾かれたように離れる。


 ほんの一瞬、肩が触れ合うほどの距離。自分でも驚くほど心臓が跳ねていた。おじいちゃんなら、こんなの全然平気なのに……リセは顔が熱くなるのを誤魔化すように、こっそり胸に手を当てた。


 一方のジャンは、手元を見つめたまま固まっている。耳の先まで赤くなっているのが、横からでもはっきりと分かった。

(……びっくりさせちゃったかな。教えるのに必死で、つい)

 

「……え、ええと! 脂、すごく綺麗に馴染んだよ。見て、ジャン。皮が少しずつ呼吸を始めたみたい」

 リセはぎこちなく咳払いをすると、作業台に並んだ他の装備に視線を移した。

 

「胸当ても、さっき教えたのと同じ感じでやってみてね。……あ、それは、後でジャンの部屋でゆっくりでいいから」


 リセは動揺を隠して、作業台の脇に置いてあった「墨色ウミウシのインク」の小瓶を引き寄せた。


「これ、この間海でジャンが見つけてくれたやつだよ」

「不思議だな。あれがどうして修復用のインクになるんだ?」

「確かに不思議だよね。でも、このウミウシの粘液には柔軟性と浸透力が両方備わっているんだって。特にこの墨色のインクは、アースベアみたいな硬い皮に馴染みやすくて、一度描いた回路をしっかり守ってくれるの」


 リセは銀のペンの先から、器用にインクを吸い上げる。

「おじいちゃんが何十年もかけて色々試した結果、この街の周辺で手に入る素材の中では、これが一番魔力の伝導率が良いんだって。……このアースベアには、ジャンが見つけてくれたこれが一番いいんだよ」


 ゆっくりと魔法回路にインクを馴染ませていく。足りない部分にはインクを足し、滞っている部分は不要なものを押し流しながら補っていく。リセの額に、じわりと汗が滲んだ。



(ここからジャン視点)

 リセの額から、ひと筋の汗がこぼれ落ちるのが見えた。

 凛とした表情で、真剣に修復に向き合う姿は、正直に言ってかっこいいと思う。普段は元気で明るい女の子なのに、修復のことになると、リセは驚くほど真剣な、情熱的な目をするんだ。


 俺はリセの隣で、ただそれを見守っていた。

(……すごいな。俺には見えないものを、リセは全部見ているんだな……)

 だが、その張り詰めた空気が一変した。


「……必要な所に、必要なだけ。……っ、さっきから、回路が脈打つ様に時々うねるのを感じる……っ!」

 リセの声が震えている。

 さっきまでの凛とした「職人」の顔が崩れ、不安そうに眉を寄せた、年相応の少女の顔に戻っていた。


「ジャン、定着剤の準備忘れてた……っ!」

 すがりつくような、泣きそうな声。

 その瞬間、俺の胸の中に「助けなきゃ」という熱い塊が突き上げた。

「魔鹿パウダーで大丈夫か? 師匠を呼んだ方がいいか?」

「魔鹿パウダーで大丈夫……っ!」

 弾かれたように立ち上がり、棚へ向かう。先週、一緒に必死に削り上げたあの白い粉だ。


 大急ぎで瓶を掴んで戻ると、リセは暴れる回路を必死に抑え込んでいた。

「リセ、持ってきたぞ!」

「ありがとう、ジャン! ――お願い、上からゆっくり振りかけて!」

 リセの合図に合わせて、俺は慎重に、けれど思い切ってパウダーを振りかけた。


 雪のような白い粉が、墨色ウミウシのインクと混ざり合う。すると、不規則にうねっていた回路の鼓動が、嘘のように静まり、銀のペン先からスッと皮の奥底へと吸い込まれていった。


 ――パンっ!

 小気味いい音と共に、柔らかな光が弾ける。

「……っ、ふぅ…………」

 リセが大きく肩を落とし、深く長い息を吐き出した。

 それから、ゆっくりと俺の方を振り返る。


「……ジャン、ありがとう。成功だね! ジャンがいなかったら、籠手をダメにしちゃうところだった!」

 少しだけ目を潤ませて、けれど心からの満面の笑顔。

 リセの修復が成功したこと。そして、それに俺が一役買えたことが、無性に嬉しかった。

 その真っ直ぐな笑顔に、俺はまた、耳の先が熱くなるのを隠すように、あいまいに頷くことしかできなかった。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。続きが気になる、あるいは気に入っていただけましたら、ブックマークや評価で応援いただけますと大変励みになります!

これからも、よろしくお願いいたします。

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