34.至福の肉肉肉
たくさんのスパイスの匂いと焼ける肉の匂いが食欲を唆る。ラルフさんのお勧めは「森剛熊のスペアリブ」ワイルドに齧りつくのが冒険者風だ。
「ほらよ、今日は奢ってやるから、熱いうちに食え! こいつを食わなきゃバザールに来た意味がねえぜ」
ラルフさんが差し出したのは、大人の腕ほどもある太い骨に、はち切れんばかりの肉が巻き付いたスペアリブだった。炭火でじっくり炙られた表面は、野苺の甘辛いソースが結晶化して宝石のように照り輝いている。
「わあ……! すごいボリューム……。えっ食べ切れるかな?いただきます!」
リセが熱々の肉に顔を寄せると、鼻腔を突き抜けるスパイスの刺激と、野苺の甘い香りが一気に押し寄せてきた。
思い切ってガブリと齧りつくと、驚くほど弾力のある肉質から、濃厚な肉汁が溢れ出す。
「……んん〜っ! 美味しい! 噛めば噛むほど味が濃くなって……これ、最高に『元気が出る』味がする!」
隣ではジャンも、普段の冷静な姿からは想像できないほど大きな口で肉を頬張っている。
「……うまい。熊の肉か。ラルフさん、俺の靴は地剛熊でしたよね。種類は違っても、熊の肉ってのはこんなに美味いもんなんですか?」
ラルフさんが笑う。
「おうよ!地剛熊は装備品としては 特級品だな。それなりにうまいよ。でも、うまいのはこっちだな。森剛熊は、森の蜜や実をたっぷり食ってるからな、肉の甘みが強ぇんだ」
「ラルフさん。森剛熊を討伐したらいい値段で売れる?」
ラルフさんが笑う。「そうだな、この辺だと森剛熊を倒せるようになると、冒険者として生きていけるようになるって言われてるな」
ジャンが凄い勢いで齧りつきながら、
「これ、早く倒し方教わりたいっす。このソース中毒性大丈夫ですかね。止まらない」
「そうだな。氷の魔剣が出せて、一角兎を問題なく倒せるなら、割とすぐだな。二日とはいったが、じいさんにも頼まれたし、もう少し付き合ってやるよ」
「ラルフさん!ありがとうございます」
お礼を伝えながらも、二人が夢中で肉を食んでいると、リセの肩にかけられたポシェットが、これまでにないほど激しく「ブルブル」と震え始めた。
(……リセ。リセぇ……! ボク、もう我慢の限界だよ……! その、赤くてツヤツヤしたお肉……ボクにも、ボクにも一口!)ブランが小さな声でリセに訴える。
ポシェットの口から、真っ白な毛玉が今にも飛び出しそうな勢いでせり上がってくる。
(リセ、じっとしてて)囁くような声が聞こえて、はっとして、固まると、リセが持っていたスペアリブの肉の塊から、大きな一口大のお肉が、何かに引っ張られるように、するりと骨から外れて宙に浮かび、ポシェットの中へ滑り込んでいく。驚いて見ていると大きな口を開けたブランがパクっとお肉を口に入れるのが見えた⋯⋯ような気がしてすぐにポシェットの白いもふもふにもどった。
「どうなってるの魔法?何の魔法なのこれ?」とリセが混乱していると、「ん?何これ凄!幸せ!ジューシー!この野イチゴの甘酸っぱいソース最高!」と聞こえてはいけない声が聞こえてきた。
ジャンが慌ててポシェットの上からトントンと叩くと、今度は頭の中に「(うまい最高〜リセ〜ジャン〜聞こえる?美味し〜)」と聞こえてきた。驚いてジャンを見ると。ほとんど食べ終わったスペアリブを名残惜しそうに食べながら、「ブランって凄いなっ」と、言って笑った。
それを見ていたラルフさんが、不思議そうに首を傾げた。
「ジャンは食べそうだが。……リセ。お前も中々いい食欲だな?」
そう言っている間にも肉がどんどん減っていくのを見て、ラルフさんもやっと悟った。「ブランか?どこだ?」周りを見渡して、ポーチのもふもふを見つめる。「まさかこれなのか?」
そっとブランに触れると、ブランがジロリとラルフさんを見て「(お食事中だから触らないでっ)」とツンとした。
ブランの思念はラルフさんにも届いたようで、ラルフさんは驚きに目を丸くした。
「すまんすまん。……あまりに上手に隠れていて、まさか本当に精霊様とは思えず、無作法をしたな」
ラルフさんは豪快に笑いながら手を引っ込め、それから琥珀色のポシェットに向かって頭を下げた。
「お詫びと言っちゃなんだが、まだお腹に隙間があるようなら、甘いものはどうだい? 奢るよ」
その言葉に、ポシェットの中から少し落ち着いた声が返ってきた。
「(……お詫び、受け取ったよ。でも、僕はまだ堪能中だから、リセ選んでおいて)」
これにはリセもジャンも、そしてラルフさんも思わず苦笑いだ。
「ふふっ。わかった、とびきり美味しいやつを選んでおくね。ラルフさん、お願いします!」
リセが立ち上がると、新しいブーツの石畳を叩く音が小気味よく響いた。
「よし。じゃあ、俺のとっておきの店へ案内するぜ」
ラルフさんが歩き出すと、その後ろをジャンとリセが追いかける。
ポシェットの中では、ブランがスペアリブの幸せな余韻に浸りながら、《リセ〜、ナッツがたくさん乗ってるのがいいな〜、あ、蜂蜜もたっぷりで……》と、堪能中のはずなのに、すでに次の甘いものの注文をリセの頭に送り続けていた。
活気に満ちたバザールの人混みを歩いていると、リセはふと、周囲からの視線がやけに自分たちに集まっていることに気がついた。
正確には、ラルフさんだ。ラルフさんは大きいし、この街ではそれなりに名の知られた冒険者だからだろう。
すれ違う買い物客の若い女の子たちが、ラルフを見た瞬間に「キャッ」と小さく声をあげて顔を寄せ合っている。
「ねぇ、ラルフさんよ!強くて優しいのよ」
「ねぇ見て、ラルフさんの後ろの男の子……凄く綺麗な銀髪で、かっこいい!えっ?年下?そんなの関係なくない!」
ひそひそと囁かれる興奮した声が、リセの耳にも届いてくる。
(そっか……ジャンって、もの凄く目立つんだな……)
いつも工房で作業着を着て一緒にいるから忘れがちだが、ジャンはさらりと流れる珍しい銀髪に、涼やかで整った顔立ちをしている。背はリセとそんなに変わらないが、これからしっかり伸びそうだ。
バザールの雑多な人混みの中でも、彼の周りだけ冷涼で洗練された空気が漂っているように見えて、リセはなんだか急に緊張してしまった。
当の本人はというと、周囲の熱い視線など一ミリも気づいていない様子で、リセの足元を心配そうに覗き込んできた。
「リセ、新しいブーツ、靴擦れしてない? 」
「えっ!? あ、ううん、大丈夫だよ!」
自然な気遣いに、リセの心臓がどきりと跳ねた。
ラルフさんが指差した先には、甘い蜂蜜と香ばしいナッツの匂いが漂う、行列が出来ている屋台があった。
「『蜂蜜ナッツのチュロス 〜夢見る妖精の粉薬を添えて〜』。ここのチュロスを食えば、どんな悩みも吹き飛ぶって評判だぜ」
屋台の主人にラルフさんが声をかけると、主人はニヤリと笑った。
「ラルフさん、久しぶりだな! 蜂蜜採ったらまたよろしくな!」
「ああ、新人に、バザールの本物を教えてやろうと思ってな。蜂蜜ナッツを三つ、それから『妖精の粉薬』もたっぷり頼む!」
屋台から揚げたてのチュロスの甘い匂いが漂ってくると、リセのポシェットの中でブランがフンスと鼻を鳴らした。
(リセ、蜂蜜とナッツの匂いがする……! ボク、もうスペアリブ堪能したよ! 甘いもの、早く!)
揚げたてのチュロスに、黄金色の蜂蜜がたっぷりとかけられ、仕上げに砕いたナッツと「妖精の粉薬」が惜しみなくまぶされる。
時々キラキラと煌めく金色の粉が熱々のチュロスに触れた瞬間、パチパチと小さな音を立てて、うっすらと虹色に結晶化していった。
「はいよ。蜂蜜ナッツチュロス、夢見る妖精の粉薬添えだ!」
リセがチュロスを手に取ると、蜂蜜の甘い香りとナッツの香ばしい香りが一気に押し寄せてきた。
「わあ……綺麗。ジャン、見て。これ、魔力が結晶になって定着してるんだ……」
解析が癖になりつつあるリセの目には、虹色の粒が微かな光を放ちながら、チュロスの熱を閉じ込めているのが見えた。
(リセ、美味しそう! 早く、早く!)
ポシェットの中でブランが身悶えする。
リセが一口齧ろうとした瞬間、チュロスの先端が「するり」と消え、ブランの口の中へと吸い込まれていった。
「(んんん〜っ! さっきのお肉の脂を、この蜂蜜とナッツが完璧に包み込んでいくよ……! リセ、これ『夢見る』って名前、本当だね。幸せすぎて、天国が見える気がする……!)」
器用なことに蜂蜜もナッツも少しもこぼしていない。リセは驚いて心臓に悪いっと、ドキドキする胸を押さえた。
その間もブランの幸せそうな思念が聞こえてきていた。
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