28.月下の晩酌と銀河結晶
海から戻った工房の夜は、潮騒の余韻を飲み込んだように静まり返っていた。
ジャンは慣れない砂浜での特訓に力尽き、リセもまた、素材探しの疲れと心地よい満腹感に包まれて、早々に眠りについている。
キッチンで、おじいちゃんが一人、酒杯を傾けていた。傍らには、ラルフが持たせてくれた蟹の燻製と、リセとジャンが、おじいちゃんにも食べさせたいとウニを探して持ち帰り焼いてくれた焼きウニ。そして、小瓶に入った「銀河結晶」が置いてある。
「……リセも、ジャンも本当に優しい子達だ。」
おじいちゃんが独り言のように呟いた。その時、暗闇から白い毛玉がふわりと浮かび上がってきた。
「……リセのおじいちゃん、一人で何食べてるの? 」
ブランだ。食べ物の気配を察知したのか、久しぶりに飲む薬草酒の独特な香りに鼻をひくつかせ、怪訝そうな顔で空中に座り込んだ。
「大人の楽しみだよ。……ブラン様は、リセたちが焼いたこれを食べに来たのかな?」
おじいちゃんが苦笑しながら、まだ温かい焼きウニの殻を指し示すと、ブランは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「焼きウニー! いい匂い……」
ブランは空中で器用に静止し、ウニの濃厚な身を一口分浮かび上がらせ、パクっと齧りつき、幸せそうに目を細めた。
「……リセのおじいちゃん、それも僕に少し分けて! 絶対あうよね?」
ブランがじっとおじいちゃんの盃を見つめる。
「ほう、精霊様はお酒をご所望か。……今までにお飲みになった事は?」
「えっ? たまにね?」
「なるほど……、見た目によらずお酒の味もわかるのかな。何だか飲ませていいのか迷うけれど、精霊様だからねぇ」
おじいちゃんは、小さな小さなショットグラスを持ってきて、ほんの少しだけ薬草酒を注いでブランの前に置いた。
ブランは期待に胸を膨らませてグラスを覗き込むと、魔力を使って琥珀色の液体をふわりと宙に浮かび上がらせた。それは小さな一滴の雫となり、ブランの目の前でゆらゆらと揺れる。
「いただきますっ!」
雫を吸い込んだ瞬間、ブランの真っ白な体から、ぽわんと温かな光が漏れた。
「あぁ〜! これやっぱりリセが仕込んだお酒だ〜! 染みる……!」
「……ほう。流石は精霊様だな」
おじいちゃんは目を細めて、自分の盃を重ねた。
「わかるよぉ。リセの魔力は、お日様みたいにぽかぽかしてて優しくて、でも時々、夜の星みたいにひんやり澄んでるんだ。……それでねぇ。リセの魔力は凄く美味しいんだ。うふふふ〜」
すっかり楽しくなったブランは、空中でフラフラと泳ぐように飛び回り、時折おじいちゃんの白髭に羽が当たってくすぐったそうに震える。
おじいちゃんは、自分もほんのりいい気分になっていることを感じつつ、普段なら絶対言わない事を口にする。
「精霊様に失礼かなと思って我慢してたんですが、ちょっとだけ、撫でさせて貰えませんか? ……お願いします! ブラン様」
ほろ酔いのおじいちゃんのまさかのおねだりに、ブランは空中でピタッと動きを止めた。真っ白な綿毛が一回り大きく膨らみ、トロンとした目で数秒ほどおじいちゃんを見つめると、ふふん、と得意げに胸を張る。
「……しょーがないなぁ、おじいちゃん。いつもお世話になっているからね。今日は特別だよ?」
ブランは掌の上に「ぽふっ」と着地した。おじいちゃんは、壊れ物を扱うような手つきで、ごつごつした指先をブランの白い毛に沈ませる。
「……おおお。これは、なんと……。綿菓子よりも柔らかい……」
「ひゃひゃっ、くすぐったいよぉ」
目を閉じてブランを優しく撫でる。その手触りを満喫しながら!おじいちゃんは独り言のように呟いた。
「……あの子達はこれからどうしていくのでしょうね。ジャンはきっとあと数年したら、ここを出ていくのでしょう。あの子の叔父さんが味方になってくれると良いのだがね。」
「リセも、修復師になる事を目指してくれているがね。父親のカイルとも会わせてやりたい……。精霊様は、どこまでご存知なのかな?」
「うーん。僕はそういうのはよく分からないな?」
ブランはおじいちゃんの指の間に潜り込みながら、ふにゃふにゃと笑う。
「でも、大丈夫だよ。リセの周りは、いま、とっても温かい匂いがしてるもん」
おじいちゃんは、傍らの小瓶を見つめた。中には、歪な星の形をした銀色の結晶が三粒、静かに光っている。
一粒目は、ブランが鋭い魔力探知で見つけ出したもの。
二粒目は、リセが「なんとなくこの辺りな気がする」と、直感を信じて掘り当てたもの。
三粒目は、ジャンが砂浜での特訓中、勢い余って砂に突っ伏した拍子に見つけ出したもの。
瓶の中で混ざり合って、どれが誰のものかはもう分からない。おじいちゃんは、その中の一粒を盃に落とし込んだ。
すると、琥珀色だった薬草酒が、見る間に深い夜空色へと染まっていく。グラスの中に小さな宇宙が生まれたかのように、星がゆっくりと煌めき、神秘的な光を放ち始めた。その美しさに、酔ったブランが目を丸くする。
「あぁ……お星様が落ちたぁ。綺麗だねぇ……」
「ああ。皆で一生懸命探してくれた結晶だ。これはお酒に沈めると成分が溶け出してね、痛み止めになるんだよ。お陰で、今夜は腰の痛みも忘れられそうだよ」
おじいちゃんは、手の中の小さな夜空を愛おしそうに眺めたあと、ゆっくりと喉に流し込む。子供たちの優しさと結晶の癒やしが、体中へじわりと染み渡っていく。
「これ、使ったらまたお月様に当てるんだよねぇ? 迷子にならないように、僕が持っていってあげようかぁ?」
フラフラと窓へ向かおうとするブランを、おじいちゃんがそっと手で遮った。
「よせ。そのまま外へ飛んでいかれては、リセが泣いてしまう。結晶は、明日わしが窓辺に置いておくよ」
「……むぅ。おじいちゃん、心配性なんだから……。でも、あったかいからいいや……」
ブランはまたおじいちゃんの指の間に潜り込み、幸せそうな寝息を立て始めた。
おじいちゃんは、飲み終わった後の盃をそっと置いた。
「……リセ、お前が仕込んだこの酒は、少しばかり……旨すぎるな」
静まり返ったキッチンに、潮の香りと、温かな安らぎだけが満ちていた。
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