11.魔鹿パウダー
ジャン目線です。
リセは街へ出かけたかと思えば、すぐに明るい顔で帰ってきた。どうやら皮革メンテナンススクロールが絶好調らしく、仕立て屋のエレナさんも朝の忙しさが落ち着き次第、すぐに来てくれるそうだ。
彼女と入れ替わるように、今度は師匠が「少し出てくるよ」と言い残して工房を後にした。
「ジャン、お待たせ! さあ、魔鹿の角の処理を一緒にやっちゃいましょう」
リセに誘われるまま、俺は再び裏庭へと向かった。
切り株に並べられた角は、先ほどまでの神秘的な輝きを失い、今はどこにでもある骨の一部のように見えた。俺が不思議そうにそれを見つめていると、リセが隣で教えてくれた。
「魔鹿の角はね、朝の光と朝露を吸うの。その間だけぼんやり光って、すごく綺麗なんだよね。私、あの光が好きなんだ!」
「……確かに。とても幻想的な光景だった」
今朝、師匠が角を並べていた時の静寂を思い出しながら答えると、リセは少し意外そうに目を丸くした。
「あっ、今朝もう見たの? さすがおじいちゃん、教えるのが早いわね。……この角はね、削って細かい粉にするの。それが魔力回路の定着剤になるんだよ」
リセは手慣れた様子でトレーを抱え、俺に笑いかけた。
「さあ、作業室へ運ぼう? 結構力がいる作業だけど、頑張ろうね!」
作業場には大きな作業机が二つ並んでいる。リセはそのうち、裏庭に近い方の机に角を置いた。
「今から、すり鉢と乳棒、それにナイフを準備するから。ジャン、こっちに来て!」
彼女は棚の前で立ち止まり、軽く手をかざして魔力を通した。カチリ、とロックが解除される音が響く。
「ここには貴重なものがたくさんあるから、私とおじいちゃん以外は開けられないようになっているの。……まず、このナイフ。これ、ミスリルでできているのよ」
リセが取り出したのは、鈍い銀色の光を放つ小振りなナイフだった。
「驚くほどよく切れるから、本当に気をつけて。使い終わったら必ずこの箱に戻してね。……後でジャンも開けられるように、おじいちゃんに設定してもらいましょう」
そう言いながら、彼女はナイフを一度箱に戻し、その小箱を俺に託した。
「……ミスリルのナイフを、俺に?」
騎士団の団長クラスがようやく持てるような希少金属を預けられ、思わず指先が震えた。
「次は乳棒ね。これは『地竜の指骨』を加工したもの。使うときに魔力を流すと素材に負けない硬さになるんだけど、ちょっとコツがいるの。少し重いから、無理しないでね」
それらを一度机に置くと、最後に彼女は棚の奥にある石の塊を指差した。
「運ぶ時、一番気をつけてほしいのが、このすり鉢。『エターナルストーン』から削り出されてるんだけど、めちゃくちゃ重いの。絶対に落とさないでね」
二人は一つずつ、すり鉢を抱え上げた。
リセは「よいしょ」と軽い掛け声とともに、こともなげに運んでいく。しかし、続こうとした俺は絶句した。
(……くっ、なんだ、この重さは……!?)
見た目は普通の石鉢なのに、まるで地面に根を張っているかのように動かない。全身の筋肉を強張らせ、必死の形相で一歩を踏み出す俺の横を、リセは鼻歌まじりに軽々と通り過ぎようとして――慌てて足を止めた。
「あっ、ごめんジャン! それ、魔力を流さないと無理だった……! ちょっと待ってて!」
リセは自分のすり鉢を机に置くと、すぐに俺の元へ駆け寄ってきた。彼女が俺の抱える鉢の底にそっと手を添えた瞬間、それまで俺を押し潰そうとしていた重圧が、嘘のように消えた。
「ごめんね。これ、魔力を通さないと死ぬほど重いよね……。自分の手のひらから、そーっと鉢全体を巡らせるように魔力を流すの。そうすると、石が『自分の体の一部』みたいになって、重さを感じなくなるんだよ」
心配そうに、リセが俺の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 腰、痛めてない?」
俺は驚いて目を瞬かせ、少しだけ頬が熱くなるのを感じて視線を逸らした。
「……あ、ああ。大丈夫だ。ただ、これほどまでに魔力が『重さ』を左右するとは思いもしなかった」
必死に平静を装っているが、まだ少し息が弾んでいる。最近は騎士としての訓練にも参加し、体力には自信がついてきていただけに、女の子に助けられたのが少し恥ずかしかった。
「これ、俺にも出来るかな?」
「出来るよー! 私がちょっと支えてるから、やってみて!」
二人の手を重ねて、意識を集中させる。
「うーん、手から魔力は出てるみたいだけど……。鉢を包み込むイメージね。ほら、私の魔力を追いかけてみて?」
じわーっと温かい魔力が流れ込んでくる。その近さに心臓が跳ねたが、リセは真剣な目で鉢を見つめていた。
「 魔力の流れ、感じる?これを鉢の底まで、ゆっくり広げていく感じ……」
リセの魔力が、俺の強張った魔力を導くように流れ込んでくる。俺は生真面目な顔をして、その温かな感覚を必死に読み取ろうとした。
「……こうか?」
「そうそう、上手! そのまま、そのまま……」
二人で一つのすり鉢を支えながら、ゆっくりと机まで歩く。
重ねられた手から伝わる、慣れない魔法への緊張。リセに導かれ、新しい感覚を掴もうとするこの時間は、どこか少しくすぐったいような不思議な心地よさがあった。
「うん。初めてなのに、ほとんど一人で運べてたね!」
リセがパッと顔を輝かせて俺を褒めてくれた。その屈託のない笑顔を見ると、先ほどまでの気恥ずかしさが少しだけ晴れるような気がした。
「よし、次はこれ。魔鹿の角をナイフで薄く削って、それをさっきのすり鉢で粉にするよ。ちょっと手間がかかるんだけど、安くて手に入れやすくて、効果もバッチリなんだ」
リセは作業机の上に角を固定すると、ミスリルのナイフを手に取って俺に差し出した。
「削る時も、細くナイフに魔力を流してね。でも、流しすぎるとすぐに疲れちゃうから気をつけて。……まずは、お手本見せるね」
彼女がナイフを角に当てると、あんなに硬そうだった角の表面が、まるで冷えたバターを掬い取るように滑らかに削れていく。薄く、羽のように繊細な削り節が、エターナルストーンの鉢の中へとひらひらと落ちていった。
「削り終わったら、今度は乳棒で粉にするの。……はい、ジャン。やってみて。指先、切らないようにね」
手渡されたナイフの柄は、俺の手には少し小さかったが、驚くほど手に馴染んだ。
俺は深呼吸をして、先ほどリセに教わった「魔力の通り道」を意識しながら、慎重に刃を角へと滑らせた。
魔鹿の角は、面白いぐらいにするすると削れた。
手に伝わる感覚は、硬い骨を削っているというよりは、密度の高い木材に刃を入れているような、独特の粘りと手応えがある。
ミスリルが持つ魔導効率の良さのおかげか、俺の拙い魔力でも、刃先が吸い込まれるように角の層を捉えてくれた。
リセが削ったものに比べれば、俺の切り出した破片は多少厚みがあり、不格好かもしれない。だが、ふと隣を見ると、リセが驚いたように目を見開いて固まっていた。
「……上手すぎて、教えることないじゃない……」
ぽつりと呟かれたその声が、静かな作業場に響く。
剣の授業は10歳から本格的になり、騎士見習いに混じって訓練を受け、剣の手入れも自ら行ってきた。だから、刃物の扱いには慣れている。魔力操作も8歳から家庭教師に教わっていたが、3年かかってようやくファイアボールが撃てるようになった程度で、決して得意だとは思っていなかった。それなのに、初めての作業がこれほど上手くいくなんて、自分でも驚きだった。
「……これで、合っているか?」
俺が手を止めて尋ねると、リセは我に返ったように大きく頷いた。
「合ってるどころか、完璧! 凄いよジャン、そんなに一定の力で削れるなんて。ミスリルのナイフはね、手の動きも大事だけど、魔力を一定に細く長く流すのが、薄く削るコツなんだよ……。よし、次はそれを粉にする工程だね。今度は力仕事も混ざるけど、コツはさっきと同じだよ」
リセはそう言って、机の端に置いてあった地竜の指骨の乳棒を手に取った。ずっしりとした重みがあるはずなのに、彼女が持つとやはり羽のように軽く見える。
「今度はね、自分の魔力を乳棒の先まで染み渡らせるの。そうすると、地竜の骨が魔鹿の角の硬さに勝って、面白いように砕けてくれるから。鉢はちょっとやそっとじゃ傷つかないみたいだけど。やりすぎには気をつけてね。」
リセが手本を見せるように、鉢の中の角を乳棒で一度突いた後、力強くゴリゴリと回し始めた。
「パキッ」と乾いた音がして、先ほどまで形を保っていた角が瞬く間に細かくなっていく。
「 ジャンも、やってみて」
俺は受け取った乳棒の重みに耐えながら、先ほどの感覚を思い出す。鉢に魔力を巡らせた時よりも、もっと内側に魔力を押し込むように、乳棒の芯まで染み渡らせるイメージだ。
「……いくぞ」
俺は乳棒を握り直し、鉢の中の角へとぐっと力を込めた。
まずは真上から押しつぶし、次にリセの動きを真似て、鉢の底に擦り付ける。これを何度か交互に繰り返していると、手に伝わる感触がジャリジャリとしたものから、次第に抵抗のない柔らかなものへと変わっていった。
気がつけば、魔鹿の角は砂粒よりもさらに小さい、雪のような白い粉になっていた。
「わあ、すごい……! ジャン、初めてなのに粉の大きさがすごく揃ってる!」
覗き込んできたリセが、弾んだ声で俺を褒めた。
「魔力回路の定着剤にするには、この『粒の細かさが均一であること』が一番大事なの。ムラがあると、魔力が流れた時にそこから回路が焼き切れちゃうから……。ジャン、本当に筋が良いのね!」
剣を振るうのとはまた違う、指先から伝わる繊細な手応えと達成感に、俺の胸に静かな高揚感が広がっていった。
「……これなら、修復に使えるか?」
俺が尋ねると、リセは自分のことのように嬉しそうに何度も頷いた。
「もちろん! しっかり、魔鹿パウダーだよ!!さすがジャン、修復師の素質、ありすぎかも!」
その言葉に、俺は少しだけ照れくさくなり、まだ温かい乳棒をそっと机に置いた。その時、表の方から誰かの話し声と、軽やかな足音が近づいてくるのが聞こえた。
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