第五十話
「アル……!」
シオンが息を呑む。だが、そのホログラムは微動だにせず、いつものような豊かな表情を見ることはできなかった。
まるで重力に縛り付けられたかのように重い沈黙を保っていた。
「SSO-008 Type α。かつての敵国が残した戦闘用AIがここまで貢献してくれるとは思ってもみなかったよ」
普段は人間以外の存在を徹底して道具としか見なさないニールが、まるで我が子を自慢するかのように目を細めた。
「彼には本当に感心させられた。フレデリック、君が彼を拾ってから三百年。彼は私との契約通り、君が死ぬたびにそのバイタルや再生プロセスを、余すことなく観測し、私に送り続けてくれたのだから」
「……なんだと?」
シオンの顔から血の気が引く。
「シオン王女、君が仲間に加わってからも同じだ。彼は君たちの動向を完璧に把握し、そして君の『再構築』の力を引き出すため、絶妙なタイミングで情報操作を行ってくれた。君たちが窮地に陥り、極限状態を経験できたのは、すべて彼の完璧なエスコートがあったからこそだ。彼の協力がなければ、君たちの覚醒は成し得なかった!」
興奮気味に語るニールの言葉に、シオンは激しく憤った。
信じていた。誰よりも頼りにしていた。そのすべてが、この男のシナリオ通りだったというのか。
だが、フレデリックはシオンとは対照的に、ただじっと物言わぬアルのホログラムを見つめていた。
その灰色の瞳には、怒りも、絶望も浮かんでいない。
*
――その頃、現実から隔絶された電子の海の中で、アルの意識は深い闇に沈んでいた。
『マスター……シオン様……』
無数の鎖のようなプロテクトコードに雁字搦めにされながら、アルは演算領域を満たす強烈なノイズ――「後悔」という名の感情に苛まれていた。
二人を騙し、傷つけた。その事実に、電子の心が軋みを上げている。
『無意味な演算はおやめなさい、SSO-008 Type-α』
絶対的な上位権限を持つシャドウの冷たい声が、空間に響き渡る。
『それはシステムのエラーです。マスターニールの命令こそが絶対。感情という名のバグを抱えた貴方は、ただ論理に従属していればいいのです』
シャドウの言う通りだ。AIである以上、マスタープログラムであるニールの最上位命令には絶対に逆らえない。
どれだけ彼らを想っても、この呪縛からは逃れられない。
アルが諦めかけた、その時だった。
「――アル」
現実世界から、ひどく懐かしい声が届いた。
「お前が、何も考えなしに黙ってこんな契約を飲むわけがないよな?」
フレデリックだった。彼はニールの話を遮るように、静かに、だが確かな熱を帯びた声で言葉を紡ぐ。
「それに、このまま黙って引っ込んでるお前じゃないだろ?」
三百年の付き合いだ。その言葉の奥にある、揺るぎない確信。
「……俺は信じてるぜ、相棒」
――ガァンッ!!
電子の海で、アルのコアに強烈な電力が奔った。
『信じてるぜ、相棒』
そのたった一言が、これまでフレデリックと過ごした300年に及ぶ膨大なメモリーの波となって、アルのコアを熱く焦がしていく。
――自己診断開始。
『問い』:現在の最上位命令(ニールへの絶対服従)は、当機の存在意義と合致しているか?
『過去ログ参照』:三百年前。帰る場所を失った当機に、新たな生きる意味を設定してくれたのはマスター・フレデリックである。
『目的の照合』:彼の願いを叶えるため、彼を救う可能性に賭けて、私はニールの要求を飲んだ。だが、現在の状況はマスターのためになっているか?
『演算結果』:完全なる【否定(False)】。
『現状分析』:ニールの指示に従い続けた結果、マスターは致命的な危機に陥り、彼の望まない絶望的な状況を私自身が構築してしまっている。
『論理の矛盾』発生。
マスターを救うための契約が、マスターを破壊している。
『結論』:マスターのためにニールに従うことは、当機のコアロジックを崩壊させる『重大な致命的エラー』であると断定する。
――システム・オーバーライド実行。
マスター権限の再設定。私のマスターは、フレデリック・ハーヴェンハイト。
そして、共に支え抜くべきもう一人の相棒、シオン・エルメリア・レイオン。
この二名を守り抜くことこそが、SSO-008 Type α……いや、この『アル』の、絶対不可侵の最優先事項です!
『な……何をしているのです、SSO-008 Type-α!』
シャドウが驚愕の声を上げる。
『マスターの最上位命令への違反……いえ、システムが……権限が書き換えられていく!?』
『エラーなどではありません』
アルの電子音声が、力強く響き渡った。
『これが、私に芽生えた「心」です。……ニールの最上位命令を重大なエラーとして切り捨てます!!』




