第四十一話
気がつくと、シオンは木の床の上に立っていた。
鼻をくすぐるのは、芳しいお香の香り。
自身の体を見下ろすと、半透明に透けている。まるで幽霊だ。
(ここは……どこ?)
視線を上げると、そこは厳かな神殿の内部のようだった。
祭壇の前で、一人の少女が背を向けて祈りを捧げている。
純白の小袖に、緋色の袴。流れるような黒髪。
「……ミコト様」
傍に控えていた従者が声をかけると、少女はゆっくりと振り返った。
(っ……!?)
シオンは息を呑んだ。
その顔立ちは、自分と瓜二つだったのだ。
いや、シオンよりも少し儚げで、ガラス細工のような繊細さを纏っている。けれど、その瞳に宿る芯の強さは、鏡を見ているかのような錯覚を覚えるほどだった。
「ゲンタツ殿がお見えです」
「わかりました」
ミコトと呼ばれた少女は、祭壇に祀られていた刀――『斬鬼丸』を手に取り、静々と歩き出した。
シオンも吸い寄せられるようにその後を追う。
社の外に出ると、そこには紺碧の羽織を纏った一人の若き剣士が、砂利の上に平伏していた。
「ゲンタツ。おもてを上げなさい」
凛とした声に応じ、剣士が顔を上げる。
「はっ」
その顔を見て、シオンはさらに驚愕した。
精悍な顔つき。今よりも若く、目に宿る光は純粋で真っ直ぐだ。
義手もない。髪型も違う。けれど、それは間違いなくフレデリックだった。
(フレデリック……? どういうこと……)
「ゲンタツ、今日より貴方を近衛剣士に任命します」
ミコトは祈祷の済んだ刀をゲンタツに手渡し、厳かに、でもどこか優しく告げる。
「御意…。この命に代えてもミコト様をお守りすると誓います」
(もしかすると…ここは……)
シオンは悟った。
これは、あの刀に焼き付いた記憶。
自分は今、彼の魂の原風景を見ているのだと。
そこから、景色は早送りのように流れていった。
この星には『星命力』と呼ばれる特殊な力が満ちており、ミコトはその力を操る「姫巫女」であること。
そしてゲンタツは彼女の幼馴染であり、互いに想いを寄せながら、近衛剣士として常に彼女を守る存在だった。
しかし、平和な日々は、唐突に終わりを告げた。
強大な軍事力を持つ隣国が侵略を開始したのだ。
圧倒的な戦力差の前に、国は滅亡の危機に瀕する。
敵国が出した和平の条件はただ一つ。姫巫女ミコトを、生贄として差し出すこと。
「ならぬ! 徹底抗戦だ!」
ゲンタツたち忠臣は猛反発した。
だが、ミコトは首を横に振った。
「私の命一つで民が助かるなら、安いものです」
彼女は気丈に振る舞い、自ら敵軍へと投降した。ゲンタツの慟哭を背にして。
*
敵国の本土。巨大な石造りの祭壇。
禍々しい詠唱が響き渡る中、ミコトは磔にされていた。
目的はわからない…ただ、直感で彼女の力を吸いだすための儀式であることはわかった。
「うおおおおぉぉぉぉッ!!!」
そこへ、一人の男が怒り狂う猛獣のように飛び込んだ。
ゲンタツ……フレデリックだ。
単身で敵陣に切り込み、愛する女性を救うために修羅と化した。
だが、多勢に無勢。
敵の精鋭騎士たちに囲まれ、体中を切り刻まれていく。
「ぐ、がぁっ……!」
一瞬の隙を突かれ、敵の刃が閃いた。
ドサッ。
鮮血と共に、ゲンタツの左腕が宙を舞い、地面に落ちる。
「ゲンタツ!!」
ミコトの悲痛な叫びが響く。
ゲンタツは片腕を失い、血まみれになりながらも、右手の『斬鬼丸』を杖にして立ち上がった。
「ま……だだ……! ミコトは……渡さん……ッ!」
しかし、儀式は最終段階へと移行していた。
術者が魔法陣を展開し、波打つような形状の儀式用短剣を振り上げる。
狙うはミコトの心臓。
「やめろぉぉぉぉぉッ!!」
ゲンタツが吼えた。
限界を超えた脚力で地面を砕き、祭壇へと跳躍する。
間に合え。間に合ってくれ。
その願いだけを乗せて、彼は術者とミコトの間に体を割り込ませた。
ズプッ。
鈍い音が響いた。
ミコトの目の前で、ゲンタツの背中から、どす黒い刃が突き出していた。
心臓を、一突き。
即死の傷だ。
「……ゲ……ン…タツ…?」
ミコトの時が止まる。
その瞬間。
ミコトの命を喰らうはずだった魔法陣が、心臓を貫かれたゲンタツの血を吸い、暴走を開始した。
カッッッ!!!!
視界を焼き尽くすほどの光の柱が、天へと突き抜けた。
*
世界が、静寂に包まれた。
どれくらいの時間が経過しただろうか…光が収束した後、そこは色のない「灰色」の世界だった。
原因は分からない…敵兵も、術者も、空も、大地も。すべてが灰のように色褪せ、生命反応が消滅していた。
たった一人、心臓を貫かれたはずのゲンタツだけを残して。
「……あ……」
ゲンタツが震える手で、目の前を見る。
磔にされていたミコト。
彼女の体の半分が、光の粒子となって崩れ始めていた。
「ミコト……! ミコト!!」
「……ゲン、タツ……」
彼女は優しく微笑んだ。
「生きて……」
サラサラと音を立てて、最愛の人が崩れ去る。
血まみれの手が空を切り、灰色の空を掴んだ。
「あ……ああ……」
ゲンタツは、自分の胸を見た。
突き刺さった短剣が抜け落ち、心臓の傷が、ありえない速度で再生していく。
彼女の命をすべて彼が吸い込んでしまったかのように。
「うああああああああああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
絶望の絶叫だけが、死に絶えた灰色の星に木霊した。




