第三十八話
ピ、ピ、ピ、ピ……。規則的な電子音が、静寂に包まれた白い部屋に響いていた。オルトゥージャの医療施設、特別集中治療室。その中央に鎮座するカプセル型の医療ポッドの中で、一人の男が眠っていた。
「……信じられない」
コンソールを操作していた医師が、驚愕に目を見開いていた。
「脳波や心拍数の異常、ストレスなどのメンタル的な不調がまったくみられません……肉体だけではなく精神面においてもリセットされた……と言うことでしょうか……」
その傍らで、青年の姿をしたホログラム――アルが、困惑したようにデータを凝視していた。
『……私のログには記録されていません。あの時、私はハッキングに全リソースを割いていましたから』
アルは視線を、ガラス越しにポッドを見守るシオンへと向けた。
『ですが、結果が全てを物語っています。マスターがリセットを使用した際、外傷は全て完治しますが、精神への負荷、頭痛や倦怠感などの不調は残ります。カルマンディのもとで行われた実験で見えないダメージも危惧しておりましたが、全て正常値です』
「……アル、フレデリックはいつ頃目覚めるの?」
シオンがガラスに手を触れたまま、静かに尋ねた。
オルトゥージャに到着してから3日、彼はずっと眠り続けていた。
『脳波パターンも覚醒水準へ移行中。……もうすぐ目を覚ますと思いますよ、シオン様』
*
プシューッ……。空気が抜ける音と共に、ポッドのハッチが開いた。消毒液の匂いと共に、白い蒸気が流れる。その中で、フレデリックの瞼が、ゆっくりと震えた。
「……ん……」
重たげに目を開く。最初は焦点が合わず、ぼんやりと天井を見上げていたが、やがて視界の端にいる銀髪の少女を認めると、その瞳に静かな光が宿った。
「……シオン……か?」
掠れた、けれど確かな声。
「フレデリック!」
シオンは駆け寄り、彼の右手を握りしめた。温かい。生きた人間の体温だ。
「わかる? ここはオルトゥージャよ。私たち、帰ってきたのよ」
「オルトゥージャ……そうか……」
フレデリックは上半身を起こし、自身の体を見つめた。外傷はいつも通り消えているが、それに伴う倦怠感や頭痛といった精神負荷による不調を一切感じなかった。
「体が……軽いな。あの時の痛みも、頭の中の雑音も、嘘のように消えてる」
目覚めたあと、こんなに清々しい気分なのはいつぶりだろうとフレデリックは不思議な気分だった。
「お前がやったのか? あの時、俺の意識が飛ぶ直前に……暖かい光を感じた気がする」
「ええ。……ただ、夢中で願っただけよ。貴方に戻ってきてほしかったから」
シオンは少し照れくさそうに微笑んだ。
フレデリックは眩しそうに目を細め、不器用な手つきでシオンの頭をポンと撫でた。
「……無茶させたな。だが、助かった…改めて礼を言うよ」
そして、フレデリックはシオンの後ろで二人のやり取りを微笑ましく見守るホログラムに目を向けた。
「よう、ポンコツ。お前も無事だったか」
『人聞きが悪いですね。私がポンコツなら、貴方はスクラップ寸前でしたよ、マスター』
アルは憎まれ口を叩きながらも、その表情は安堵に緩んでいた。
『……おかえりなさいませ。貴方が戻らないと、私のメインメモリに悲しい思い出を記録しないといけないところでした』
「フン、減らない口だな」
フレデリックは口元を緩めた後、周囲を見回して表情を引き締めた。
「……ガレッゾはどうした?」
その問いに、シオンは静かに答えた。
「彼も、連れて帰ってきたわ。……この街が見渡せる、西の丘の上に埋葬した」
「……そうか」
フレデリックは目を閉じた。詳しい経緯を聞く必要はなかった。シオンの表情と、彼自身の最後に見た記憶が、全てを物語っていたからだ。
「どうしようもないクズだったが……最後は助けられたな」
フレデリックがポツリと言った。
「ええ。……彼は最後の最後で自分の矜持を貫いたわ……。」
しばしの沈黙。仇であり共闘した男を悼む静謐な時間が流れた。




