第三十四話
ズドンッ!!
フレデリックが放った二発目の銃弾が、シオンの頬を掠めて後方の機材を火花と共に吹き飛ばした。
「くっ……! やめて、フレデリック!」
シオンは床を転がり、遮蔽物となる兵器の残骸の陰に滑り込む。
頬に熱いものが伝う。浅い掠り傷だが、鮮血が滲み出た。
ズルッ、ズルッ……。
足を引きずる音が近づいてくる。
「嘘よ、こんなの……」
シオンは残骸の縁から顔を出し、自身の相棒の姿を見つめた。
フレデリックの動きは、長期間の拘束と薬物投与によって肉体は衰弱し、意識も混濁しているのだろう。
その姿はまるで「幽鬼」そのものだった。
生きているのか死んでいるのかわからない、ゆらりとした不安定な動き。それでいて、殺戮の動作だけが体に染み付いており、正確無比にシオンの急所を狙い続けてくる。
腐っても、彼は「不死身の剣士」だ。
無駄のない射撃姿勢、こちらの退路を塞ぐような位置取り。その全てが、これまでの戦いでシオンが何度も背中越しに見てきた、歴戦の戦士の動きそのものだった。
(どうすればいいの……!?)
シオンの腰には、自分を守るための黒いリボルバー『ブラック・ガルム』がある。
抜けば、撃てる。
だが、指が震えてグリップを握れない。
撃てるわけがない。相手はフレデリックなのだ。自分をここまで守り導いてくれた、かけがえのない恩人であり、唯一無二の相棒なのだ。
チャキッ。
弾切れになったリボルバーを捨て、刀を手に迫る。
カィィィン!
一閃。シオンが隠れていた残骸が、いとも簡単に切断され、鋼鉄の刃が、シオンの目の前数センチを通過する。
「うぅ……ぅ……あ……」
ヘッドギアの奥から漏れる、呻くような声。
言葉はない。意思もない。ただ、プログラムされた殺意に従い、フレデリックが剣を構えて距離を詰めてくる。その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。まるで悪夢の中を彷徨っているようだ。
「目を覚まして! 私よ、シオンよ! 貴方の守るべき相手は私じゃなかったの!?」
その言葉に、フレデリックの動きが一瞬、ピクリと止まった。
ヘッドギアの隙間から見えるこめかみ付近で、バチバチと青白い電気火花が散る。
「ぐ、ぁ……ぅぅ……!」
苦悶の声。彼の脳内でシステムが強制的に命令の上書きを行っているのだ。自我が抵抗し、それを機械が無理やり捻じ伏せようとしている。
再び殺意の人形と化した男が、幽鬼のような不気味さで迫ってくる。
ヒュンッ!
横薙ぎの一閃。シオンは反射的にしゃがみ込んだが、避けきれない。
ザシュッ。
左腕のジャケットが裂け、二の腕に赤い筋が走る。
「ぐっ……!」
痛みに顔をしかめながらも、シオンは後ろへ跳ぶ。
反撃できないシオンは、ただひたすら回避に専念するしかなかった。
刃が振るわれるたびに、シオンの体に新しい傷が増えていく。太もも、脇腹、肩。致命傷は避けているが、出血はじわじわと体力を奪っていく。
(私が……私がやらなきゃ……!)
心の中で叫ぶ。
アルはいない。誰も助けに来ない。
たった一人で、この絶望に向き合わなければならない。
シオンはフレデリックの剣撃を潜り抜け、彼の腕を掴んで制止しようとした。
だが、びくともしない。痩せ細っていても、その剣士の筋力はシオンとは比べ物にならない。
逆に腕を掴み返され、そのまま実験台の金属テーブルに叩きつけられた。
「がはっ……!」
背中を強打し、肺の空気が強制的に排出される。
シオンはテーブルの上で身動きが取れなくなった。
その上に、フレデリックが覆いかぶさる。
間近で見る彼の顔。
無機質なヘッドギアの下、見開かれた瞳孔が、激しく揺れ動いているのが見えた。
彼は泣いていた。
ギギギ、と音を立てて、剣を持った手が持ち上がる。
シオンの心臓を貫くために。
だが、その手は激しく痙攣し、なかなか振り下ろされない。
「……ぅ、ぁ……やめ……ろ……」
フレデリックの口から、微かな、しかしはっきりとした言葉が漏れた。
それは、シオンに向けられたものではなかった。
彼自身の体を操る、抗いがたい強制力への抵抗の声。
「……ミコ……ト……」
シオンは息を呑んだ。
ミコト。
聞いたことのない名前。だが、その響きに含まれた万感の思い――愛おしさと、そして底知れぬ後悔の色が、シオンの胸を締め付けた。
フレデリックの混濁した意識の中で、過去と現在が混線していた。
目の前にいる銀髪の少女の姿が歪み、かつて彼が失った大切な女性の幻影と重なり合う。
――ああ、まただ。
――俺はまた、大切な人をこの手で傷つけている。
フレデリックの精神が、罪悪感で引き裂かれる。
ヘッドギアがスパークし、彼の脳を焼く。
「あ……あぁ……!」
獣の咆哮のような、悲痛な叫び。
剣を持つ手が、ガクガクと震えながら、それでもゆっくりとシオンの胸へと近づいていく。
「殺し……て……くれ……」
フレデリックの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、シオンの頬を濡らした。
「頼む……俺を……殺して……くれ……ミコ…ト……!」
彼は懇願していた。
目の前の少女を過去の亡霊と重ね合わせ、自身の断罪を求めていた。
「ちがう……」
シオンは傷だらけの手を伸ばし、フレデリックの冷たい頬に触れた。
「私はミコトじゃない……私はシオンよ。貴方の相棒よ……!」
だが、その声は届かない。
虚ろな瞳から最後の光が消え、刃が振り上げられる。
シオンの心臓を貫くために。
避けられない。防げない。
シオンは死を覚悟した。
だが、それ以上に――
(嫌だ……!)
このまま彼が、自分を殺したという事実を背負って、完全に壊れてしまうことが、何よりも恐ろしかった。
誰かに助けを求めようとした言葉を、シオンは飲み込んだ。
誰もいない。私がやるしかない。
(私が……彼を救わなきゃ)
破壊するための力じゃない。
敵を倒すための銃弾じゃない。
彼を縛り付けるこの呪縛を解き放ち、彼をもう一度取り戻すための力が欲しい。
その純粋で強大な「願い」が、シオンの中に眠る本当の力を目覚めさせようとしていた。




