第97話 原田新五郎親種③
1571年3月 勝尾城 筑紫館 筑紫俊介広門
「新五郎殿、物申して欲しいとは糸島で空白となっている所領のことですな? 臼杵殿が宗麟様からお怒りを買ってしまい、原田の一時預かりとなっているとお聞きしております。お伺いを立てる事は構いませぬが、時期を見て話すことになりますぞ。見誤ると薮をつついて蛇を出すことになりかねませぬ」
俺がそう言うと新五郎は頷いて了承してみせた。
一番いいのは宗麟が政治に関心が薄いまま、なし崩し的に認められるのが理想だ。
ただ臼杵が許さないだろうな。
臼杵兄弟は戦よりも政治に精力的だ。毛利という外敵がいたころは、それが外交に現れて上手く回っていたが、内に向けられると碌なことにならない。
今は三男が蟄居を命じられて大人しいが、そのうち失意の底に沈んでいる宗麟に有る事無い事を吹き込んで、糸島の所領に復帰しようと画策するに違いない。
時期を見るとは言ったがその前に動いた方がいいな。あんまり悠長にはしていられない。
「それで俊介殿、ここまでご相談するつもりはなかったのですが……」
以前に腹を切るとまで言った男が、何だが言いにくそうにモジモジしはじめた。
なんだ? 少し気持ち悪いな。
「せっかく胸襟を開いたのだ。話してくれ」
新五郎はハイと返事はしたが先程と変わって背が丸まったままだ。
「実は、某の妹と婚姻を結んで欲しいと考えておりまする」
「はぁ、まさか側室か? 残念だが間に合っている。大友の法度でも勝手な大名同士の婚姻は禁止されている」
俺は離縁するつもりもなければ、側室が欲しいとも思っていなかった。
「大名同士の縁組みであればそうでありましょう。しかしながら他家の家臣との婚姻を禁止する法度はございませぬ。そこで筑紫の重臣に嫁がせられればと考えておりまする。それで某の妹なのですが、歳が二十になりまして……」
二十か、戦国時代だと少しだけ遅い結婚かな。臼杵との争いと毛利との戦で嫁がせる余裕なんてなかったのだろう。
これ以上遅らせたくないよな。それで急いでいるのか。妹思いの良い兄じゃないか。ただ……。
「新五郎殿、そうした話は戦の後にするものです。戦の勝ち負け次第で嫁ぎ先はいくらでも変わるものですぞ」
「はい、なので当初はお話するつもりはなかったのですが……」
勢いで話したくなったのかな。そんな性格をしていそうだ。
「事情は承知いたしました。念のためご確認ですが父君はご存じですな」
「無論に御座います」
筑紫は親父の時代に毛利の所領まで逃げたり、帰って来てもゲリラをしていたりで独り身の男が多すぎる。
ちょうどいいかもしれないな。
「当家で心当たりが御座りまする。あくまで戦がつつがなく終わってからですが、後ほど御紹介いたしましょう」
爺と相談して誰を紹介するか決めるか。
原田の娘ならばある意味で逆玉だ。こちらが願い出ておかしくない程、本来の身分に差があるのだ。嫌がる男は少ないだろう。
原田氏の先祖は古代に日本に来た渡来人の一人、大蔵氏から始まる。
千年以上前、聖徳太子より昔から続いている由緒ある家系だった。しかも庶流でない。正真正銘の千年を超える直系だ。
先祖の大蔵氏は国庫を意味する大蔵の元となった氏族で、その名から大和朝廷の金庫番であったと推定されている。
日本書紀によると西暦三百年くらいに応神天皇が連れてきて帰化させたそうだ。
秦氏に代表される、当時の渡来人からなるインテリ集団の一族だな。
千年の時が無情にも原田氏を武闘派に変えてしまったが、そういった背景があるので原田の名は小さな国衆にも関わらず中央でも知られている名だった。
あと少し珍しい話だと、原田氏は昔から後漢の霊帝の子孫を名乗っていた。
居城の高祖城も元は中国式城郭だ。朝鮮半島よりも中国に縁のある氏族ではあるのだろう。
真実はともかく原田氏はそれを誇りに思っているようで、戦国時代に入っても隠す真似はしていなかった。
千年以上も日本に土着しているのに大陸出身であることを隠すことがないのは、それだけ中国の東アジアにおける影響力が高かった証明でもある。
意外に霊帝の子孫というのが真実だからこそ名乗り続けている可能性もある?
気になるが証明の方法がないのが辛いな。
日本には天皇家より古い血がまぁまぁ残っているが、こうした家系はほとんど神社の神主も兼任していた。
諏訪氏とか阿蘇氏、天皇家もそうであるが、神聖をもってして血を保つ家系が多い。
だが神仏の力を借りずして血を長く残している氏族と言えば……原田氏はトップクラスに古い家系だった。
武力で血を保つことの難しさは世界史が証明している。原田氏はそんな希少な一族なのだ。
そんな原田氏の今の当主である新五郎は、侠とか義理と人情とか、何度か話をしていた感じでは、そういったものを何より大事にしているようだった。
そのせいか史実だと波乱万丈な運命を辿ることになる。
そもそもの凋落の始まりが大内、大友、毛利という巨大な勢力に翻弄されて上手く立ち回れなかった事が大きい。
秋月のように堅城があれば反大友に意固地になるのも手なんだが、そうでなければ史実の俺のように手のひらをクルクルさせて立場を柔軟に変えないと生き残る事は出来ないのが戦国時代というものだ。
原田の次の当主は秀吉の朝鮮出兵で戦死。次の次の当主も天草の乱から城を守ったものの改易にて浪人になってしまう。
そして放浪の末に家康の側近である天海に拾われ、徳川家光の弟で右腕たる保科氏に認められる。
そうして会津藩の重臣となったまでは良かったのだが……。
幕末ではその忠節の高さから明治政府と最後まで戦うことになり、原田は一族が途絶える凄惨な最後を迎えることになる。
目の前にいる新五郎も歴史が変わらなければ、父親の無実を証明するために腹を十字に切ることになる。
家臣たちもその場で追い腹にて絶命したそうだ。
いかにも会津藩と相性が良さそうな家系だ。もっとも相性が良すぎるせいで悲劇に繋がってしまうのだけれど。
何か他に族滅しなくても済んだ道はなかったのだろうかと思わずにはいられない。




