第87話 正月の臼杵城
1571年1月 豊後国 臼杵城 筑紫俊介広門
四ヵ月がたって年が明け、正月の挨拶に豊後に赴いた。
前回のように船ではない。馬による陸路を使った。だからという訳ではないが、今回は琴音は留守番で実家に顔を出すことはできない。
もともと武将の妻が頻繁に実家に戻ることなんてないから、琴音も不満には思っていないようだ。
どちらかと言うと現代の感覚が残っている俺が、実家に帰してやれなくてすまないな、と勝手に気に病んでいた。
陸路になったのは九州と本州の間の関門海峡を通る際の決め事について、大友と毛利でもめ始めたからだ。
万一があると再び毛利とゴタゴタになる可能性がある。そのため大友から海路を使わないようにお達しがあった。
この辺の詳細は門司城を治めている道雪から文を通して聞いている。
要は海峡を通る船の税の話だ。毛利の旗を掲げた船は毛利が、大友の旗を掲げた船は大友が税を徴収して商船の護衛に当たるのだが、税率に差があると商人から不満が出てしまう。
商船につけた特定の旗指物を船印之旗と言うようで、商人らは金を払うなりしてこの船印之旗を手に入れている。
これが通行料、もしくは税金となる。
その調整にあたって毛利の提案が極端に変わるため難儀しているのだとか。
毛利側で混乱があって意見がまとめられていないのだろうと、文にはあった。
以前より道雪との文の回数が増えた。正月に臼杵城に行くとも書いてたな。
文が増えたのは今山の戦いに参戦できなかったので、一番最前線にいた俺から話を聞きたかったのだと思う。
奇襲に対する準備だけ適当にぼかして、後は正直に書いた。特に悪さはしていないしな。
あと会ったら雷切の礼を言わないと……大した腕前でもないのに危機を脱することが出来たのは間違いなく武器のお陰だ。
相手の刀を折った再現をしようとも思ったが、刀を痛めると思いやめた。それで壊してしまったら洒落にならない。
宗麟の正月の土産には鎧と太刀、そして羅針盤を用意している。羅針盤は自作だ。金が惜しいから無駄使いする余裕はない。
羅針盤を作るのに必要な磁石は、鉄棒を熱して北と南に方向を方向を合わし何度もたたけば作れる。八〇〇度以上で十分くらい叩けばいいかな。
先端を少し地面の方に傾けるのがポイントだ。日本は北半球だから北側の先端を下に傾けると、地球の磁場と方向が合って磁性を得やすくなる。
そうして準備をして挨拶に赴いた翌日に、皆がそろった広間に案内された。
壇上では宗麟と嫡男の義統が並んで座っていた。
嫡男の義統は今山で亡くなった親貞とは似ていない。母親を見たことないが義統は父親似だな。
並んでいると顔のパーツが比較しやすくてよく分かる。
また後で聞いたことだが、宗麟は家督を譲ることにしたそうだ。
義統はまだ齢十三。
宗麟は本当に隠居するつもりではなく、後継者を定めたということだろう。
弟の親貞が死んだから、その影響もあるのかもしれない。
早めに家督を譲って経験を継がせるのは、戦国時代だとむしろ王道だ。
たまに家督を譲られるなんて早すぎるムリムリと泣き言を言う嫡男もいるが、跡継ぎであると正式に認められるわけで、家督争いの危険性が減るから喜ぶのが普通だ。
家督を譲り受けて、問題がなければ徐々に権限が委譲されることになる。
俺は広間の端っこで黙って見ていたが、挨拶では今山で龍造寺と戦った話も、弟の親貞が死んだ話もなかった。
全く言及しないというのは触れてはいけない雰囲気にしてしまうから良くない気はする。
というか既になってる。
俺はその場にいなかったが、親貞が討ち取られた知らせを受けて、宗麟は今まで見たこともないほど取り乱したらしい。
俺と親貞の相談役をしていた臼杵三男には相当に厳しい処罰を叫んだそうだ。特に臼杵には腹を切らせるように命じたとか。
最終的に俺に厳しい処罰は無かったのは、今山では筑紫兵の遺体の数が一番多かったこと、俺が親貞の鎧を着ていて怪我も負っており、逃がそうとしていた事が明白だったこと。
何より臼杵も含めた重臣全員からの擁護があったからだ。
臼杵の擁護があったのは俺が厳しい処罰を受けることになれば、臼杵三男はそれ以上の処罰を被ることになるからだろう。
臼杵の三男は臼杵兵の遺体の数が少なかった事や、その後の証言でもろくに戦わなかった事が分かったものの、皆の取りなしで腹を切ることは無かった。
ただし糸島の所領は没収、臼杵三男の横暴を訴えていた原田の主張もついでに認められた。
そして糸島の臼杵領の後任は未定。そのため糸島の全てはいったん原田氏の預かりとなった。
何もなければ糸島はなし崩し的に原田氏が治め続けるかもしれない。
俺は仲間が死んだお陰で厳しい処罰を受けることが無かった、という事実に、その時は複雑な気持ちになっていた。
それで
「寛大な処置に感謝いたします」
これだけの言葉がなかなか口から出なかった。
道雪の爺さんがわざとらしく咳をして、ようやく絞り出すことが出来たくらいだ。
正月の挨拶が終わった後、義父の斎藤殿が近づき、話があると声をかけられた。
「龍造寺のことだ。紹運殿も交えて我々の意見を締めておきたい」
「良いのですか?」
密室で重臣が集まって内緒話は怪しまれるのではないだろうか。
「父親と娘婿が集まって話すだけだ。とはいえ変に思われても面白くないのは確かだ。それで道雪殿にご一緒してもらう事にした。宗麟様もご存じだ」
どうやら道雪が同席していれば変な話、謀反をたくらむ様な話はしていないという証明になるらしい。
それだけ道雪に対する信頼が高いことの証明なのだろう。宗麟にとっても、他の重臣達にとっても。
面白い大友ローカルルールだと思いながら俺は了承した。
案内された部屋に行くと、既に面子は揃っていた。俺が最後で失礼じゃないかと思ったが、そんな雰囲気もなく安心する。
結構アットホームな雰囲気だな。田舎の実家の正月を思い出す。
酒のつまみが足元に置いてあり、俺がそれに目を取られると道雪の爺さんがニヤリと楽しそうに言う。
「なんじゃ、飲めるようになったか。だが酒は話が終わってからじゃぞ。はよ座れい」
ガハハと笑い声が良い雰囲気を伝えてくれた。
「私も何か持参すれば良かったですね」
「まー、そういうのはええんじゃ。ちゃっちゃ難しい話を終わらせて飲もうかの。まー儂は何の話をするのか知らんじゃが。座れ、座れ」
つまみは塩に梅干しに、味噌、煮豆か。酒と塩分のコラボは高血圧一直線だが、この時代では一般的なつまみだ。
筑紫でも家臣らが口にするのをよく見かける。
琴音の兄が倒れたのはまさかこれが原因じゃないだろうな……。酒が好きだと聞いていたから思い出した。
戦国時代に高血圧で倒れて亡くなったエピソードで有名なのは上杉謙信だ。他にそんな武将がいてもおかしくない。
この飲み方が社会問題までになっていないのは、酒の度数が低く、単純に飲む機会が平民だと少なかったからだろう。
缶ビール一本が二千円くらいの値段の世界である。アルコール度数で比較したらもっと高いだろう。
飲兵衛には厳しい世界だ。
さて、飲まないと子ども扱いされて面倒だから塩分は避けて酒だけ飲むか。シラフのうちにそんな風に思った。
酒は話が終わってから、という話だったのにいきなり盃に注がれる。
ただ口に付けているのは道雪の爺さんだけだな。義父殿も紹運も真面目というか、それだけ大事な話なのかもしれない。
俺も酒を手を付けないで盃を置いた。
「それで、お話というのは何でしょうか」




