第85話 心の穴
1570年9月 立花城 筑紫俊介広門
今山で親貞が討ち取られておよそ一カ月後、龍造寺から和議の申し出があり、大友がこれを受けて戦が終わった。
形の上では大友の勝利である。
龍造寺隆信は弟を人質として差し出し降伏することになった。
去年の戦で降伏した際に龍造寺が人質に出したのは、ただの家臣の息子であった。今度は当主の弟を出している。
また裏切られては困る、ということで大友としては前回より価値ある人質が必要であったのだろう。
人質として差し出されたこの弟、当主である龍造寺隆信と母違いであるらしいのだが、史実では龍造寺と大友の関係が悪くなっても殺されることは無い。
この人質を殺せば全面戦争だが、大事に扱ってくれるならば龍造寺も一線を越えることはしない、そんな暗黙の了解が定められることになる。
この最後の一線の定まり方が本当に空気や暗黙の了解によるものなのか、はたまた密約によるものか、記録が残っていないだけにはっきりとしなかった。
だがその後の動きを見ると密約を結んだんじゃないかという気がしてくる。
史実だと最後の一線は宝満城までとなる。宝満城は大友重臣の息子が治める城であり、堅城であり、博多への道の蓋をしやすい場所だ。
この場所の権利を侵さない限り、龍造寺が起こす他の様々な問題は黙認された。そして龍造寺の大躍進が始まる。
歴史通りに進むのであればそうなる。
そう、歴史通りであれば大友の最終防衛ラインは宝満城になるだろう。
それは同時に筑紫の勝尾城は見捨てるという事だった。
筑紫としては今後、この勝尾城を見捨てるか、単独で守るのか、どうにかして大友の助力を得るのか、情勢を注視しながら決断しなければならない。
和約の後、龍造寺はすぐさま裏切った国衆の城を次々と落としていった。
大小合わせて一日に一つの城を落とすペースである。
落とされた城のその中には、龍造寺の娘が嫁いでいた小田氏の蓮池城もあった。
この時、大友に臣従した国衆が助けを求めても、大友からの助力は来なかった。これで龍造寺の降伏は形だけのものであることが、周囲に明白になったのだった。
この程度で大友に差し出した人質が殺されることは無い、分かっているかの様な龍造寺の鮮やかな動きだ。
もう密約決定だろう、と思わないでもないが証拠はない。
だが落とされた肥前の国衆らは少なくともこう考えたはずだ。自分たちは大友から見捨てられたのだと。
どこまで見捨てられたのか、そこに勝尾城が入っているのか、筑紫にとって最重要だ。
何しろ俺の立場は譜代の家臣ではないが評価は受けているという、なかなか微妙なところだ。
今山での筑紫の被害は甚大だった。周防組が十人、筑紫の兵の二割が死ぬか二度と戦えない体になった。
無論、奇襲を仕掛けてきた龍造寺側も被害は大きかっただろう。悲しいが両者ともに誇れる戦いをしたのは間違いない。
停戦の前ではあったが、龍造寺側の兵の遺体は鍋島にお返しし、筑紫の兵も丁重に埋葬した。暑い日だった。
「それで……何を悩んでいらっしゃいますの?」
琴音は上から横になった俺を覗き込んでいる。やる気がおきず、マゲもバラバラな俺の髪を指で触りながら……。
「落ち込んでいる」
「そのようですね」
指が髪から頬に移る。
指肌が柔らかい。水仕事をした事がない指だ。
「自分でも何に落ち込んでいるのかが分からぬのだ」
「戦で手痛い目に会ったからではないのですか?」
静かに、頬を撫でられるままでいる。
昨晩、胸の傷を見てわんわん泣いていた女と同じ女とは思えん。
「そうなんだが、俺は痛い目に会ったとか、失敗したとかで今まで気を落としたことは無いのだ」
「まぁ、そうなんですか」
昔学生だった頃、周囲は天才ばかりだった。体力に自信はあったからひたすら努力して食らいつこうとした。
そのうち失敗を気に病んで落ち込む時間すらも勿体ないと思うようになっていた。俺ごとき凡人が失敗するのは当たり前なのだ。
今回に関しては保険も取ってあったしな。やり直しの目処がある時点で大した失敗ではない。
……そのはずなんだが、自分でも分からないほど今、気分が上がらなかった。
そんな様子を見て、何が嬉しいのか分からないが琴音にはフフフと笑われてしまう。
「本当は行きたくなかった戦に連れ出され、それが上手くいかないので拗ねているのだと思いました」
「行きたくないように見えたのか?」
そんなことはない、ないよな。
「俊介様はそれまでの戦の前では鋭く怖い様子でしたが、此度は肩の力が抜けていました。戦の前の殿方とは思えない様子でしたよ。入道様の下知でないから戦に行きたくないのかと思いました」
入道の下で働いていた時はうまく乗せられていたというか、あの爺さん一緒に戦ってる感を出すのが上手いというか。
要は戦を良く知っている人の下で働けているから命の張り合いがあったんだよな。死んでも無駄死にはないだろうし。
宗麟の下知で動いているとそうならない。結果的に命は張ってはいるけど、自分から崖を飛び降りる感じではなくて、どこか安全策を取っているかもしれない。
俺が考え始めると琴音が話題を変えた。
「五郎太さんは生きていますか?」
「うん? ああ、しぶとい奴だ。怪我一つしていないぞ。だがそうだな。琴音が顔を知っている、豊後への船旅で一緒にいた奴は何人か亡くなった」
寂しい気持ちになった。この世界に来て長年苦労を共にした仲間が死んだのだ。
「では俊介様は、お友達が亡くなって悲しいのですね」
「友達?」
「ええ、船では随分と楽しそうにしていました。あそこでは人の目もありませんでしたし」
「一回りも歳が離れているぞ?」
「あら、歳は関係ありませんのよ」
鼻をつままれた。
なるほど、そうかもしれない。
「どうすればいいと思う?」
「お父様はよく、神仏に祈ったり、法要に足がよく訪れていましたわね」
「供養はしたが……」
「初七日、四十九日、故人の魂が安らかになるよう、祈る機会は何度もありますわ」
そうか、俺は友達が死んで落ち込んでいたのか。今までの人生で仲が良かった人を一度にこんなに亡くすのは初めてだ。
腑に落ちたわ。
そろそろ四十九日の法事がある。それに出れば気分が晴れるのだろうか。
だがとてもそうは思えなかった。出席はするが、死んだ仲間たちが本当に望んでいる事とは思えない。
仲間たちが望んでいたことは何だ。
わからないな。
琴音は——最近どこか鋭い。
兄を病気で亡くしたから、こういうことも聡く感じ取れるようになったのだろうか。
悲しいよな。義父殿も随分と寂しそうにしていた。
「……」
無言で琴音を見つめる。
なんでしょう? という感じで見つめ返される。
これを言うのはかなり恥ずかしいが……、琴音の腕を掴んで引き寄せる。
俺も子供が欲しくなった。
「……真面目に子作りするか。義父殿からもせがまれた」
え? という感じで焦るような琴音の顔。
「そ、そうですねっ」
俺が真面目な顔で瞳を見つめていると、琴音は静かになった。
そして腕を引き寄せずとも赤くなった顔が近づいてくる。
「良いと思います……」
唇から感じられる甘さが俺の心を落ち着かせてくれた。




