第74話 原田氏と草野氏
1570年3月 高良山 筑紫俊介広門
臼杵兄弟も同席していた会食の後、原田氏と息子二人が俺に接触してきた。
俺が博多を治めることになったので博多の西隣にある糸島所領の原田氏にとって、俺の重要度が高くなったのだ。
それで交流があった息子の草野氏を介して接触してきたのだと思う。
話は臼杵とどういう話をしたのか、俺たちの事を言ってなかったか。そうであれば誤解があるから俺たちの言い分も聞いて欲しい。そんな話をされた。
俺が原田の話はなかった。自分は臼杵に快く思われていないようだと話すと三人とも安心したようだ。
嫡男の親種は、臼杵からの当たりが強いのは、それは博多を取られたと思って恨んでいるからに違いないと話した。
父親の了栄が言うには、臼杵兄弟はいずれも傲慢で嫉妬深く、色ごとにふけって、沙汰を下すのに賄賂を取っているのだと言う。それで人心が離れ、地元の有力国衆である自分を頼りにする人間が増えた。
すると邪推した臼杵は部下に命じて、自分を頼りに来た人間を隠れて襲うようになった。もう糸島は一触触発の状態だ。だから今回の遠征で宗麟様に直談判しようと思うのだが、口添えをしてくれないか、という話をされた。
俺が証拠も無しに口添えは出来ないと言うと、嫡男の親種は、誤りがあれば腹を十字に切るとまで言ってきた。
これにはビックリしたし、隣にいる父親も悲痛な顔をしているのに、腹を切ると言う息子を止める様子がない。
その凄まじい気迫に本気だと感じた俺は、仕方なくその場は了承してその代わりに軽率な真似をするなと伝えた。
博多の隣で内乱が起きるのはよろしくない。そこで紹運と義父に相談したところ、情けないが我々の手に余ると結論が一致し、三人の連名で道雪に文を送ることになった。
そのまま俺たちが宗麟に話せば臼杵派への嫌がらせだと判断されるかもしれない。だから道雪に間に入ってもらうことにしたのだ。
同様の理由で紹運の父と兄にも知らせはしたが、文の連名には加えなかった。派閥争いになってこじれるのは得策ではない。
あくまで筑前の問題として収めたかった。
ちなみに草野氏の所領は紹運の所領の近くでもある。これも紹運父子が無視することが出来なかった理由の一つだろうな。
翌日、義父の斎藤殿が来た。
真剣な顔で本気の説教をされた。
これが原田氏に関する説教かと思ったら違っていた。俺が今回の戦に参加した事についてだった。
『なんで戦に参戦したんだ。参戦しても褒美は殆どもらえない。参戦しないで良いと言われているのだから、素直に所領を治めることに専念しろ。いつまでも戦いばかりに明け暮れていては出世できんぞ』
『臼杵次男のように所領で問題を起こして解任されることもあるんだ。本当に何で来たんだ。孫の顔も見せろよ。ああ、まだ十四だったか。だが大事な事だぞ』
そして隣にいた紹運の腕をつかみ。
『この男を見習え、立派な男子もいるからな』
急に話に持ち出され、焦った紹運の顔は初めて見た。あの男も焦る事があるのだな。
『所領は大丈夫なのか、立花の家臣を雇ったと聞くが不満を抱かせておらぬのか。城の移転は大変だっただろう。やはり戻った方がいいのではないか』
そんな感じでずっと話をされた。
義父殿は……最近、嫡男を病気で亡くした。急に倒れたのだという。
だから俺はずっと話を聞いていた。たぶん義父殿の話の中には、息子に伝えたかったはずの大事な話もあったと思ったからだ。
俺を息子の代わりにして吐き出したい言葉もあっただろう。
話の最後に俺は、琴音から預かっていた文を渡した。
義父殿は下を向きながらそれを黙って受け取って去って行った。
医療が発達していないこの時代では避けられない事だった。
あとは姉の夫である宗像氏と会ったり、少し驚いたが龍造寺の娘である於安姫とも会った。
於安姫は秀吉に側室へと誘われて袖にしたことから秀の前とも呼ばれる様になる美女だ。女好きの秀吉が狙うのが納得の容姿をしていた。
今は小田に嫁いでいたのだが、その小田は龍造寺の娘を妻にしたにも関わらず、今回の戦で大友に降ってしまったのだ。
於安姫を連れてきたのは、たぶん人質だろうな。
そうして濃密な一カ月を過ごしてようやく、本当にようやく出陣することになった。
宗麟は二万でここ高良山で待機。
残り七万を率いて佐嘉城に向かう大将は宗麟の弟、親貞となる。
いよいよ有名な合戦、今山の戦いが始まる。




