第73話 大友の重臣たち
1570年3月 高良山 筑紫俊介広門
高良山の宴は予定を延長され一カ月続いた。この一カ月のおかげで一人一人の性格や、俺の大友での立ち位置といったことが分かったてきたと思う。
それだけでなく、今まで文でしかやり取りが無かった人物とも挨拶をすることができた。
非常に有意義だったことは否定しない。本当の本当に有意義だった。
だけど、だけどなぁ。戦の前なんだよなぁ……。
ずっとこんな事してていいのかと、心に引っかかりながら飲み食いしている日々だった。
流石に宴を一カ月は長くないか、龍造寺は準備万端だろう。兵糧は大丈夫なのか。
そんな風に思うが大友の重臣らが宗麟に何も言わないのならば、俺が口を出せるはずもない。
だが跡目争いと政治が絡み合い、戦に集中できていないことは明白だった。
こんな時に一本芯を入れてくれそうな道雪が居ないのが痛い。
特に手を打てないまま、俺は大友の重臣達と親交を深めていった。
顔を合わせて印象に残った人たちを挙げる。
まずは紹運の兄だ。紹運に負けず劣らず優秀な人物で、嫡男であるからか紹運より落ち着いた雰囲気だった。毛利との戦では紹運と共同して、吉川が指揮する敵の殿を数千も打ち破ったそうだ。
次に臼杵三兄弟の長男である酒飲み爺さん。
大友の三老とも呼ばれる人の一人で、毛利との戦で俺が軍議に居ることを咎めた爺さんだ。
もう家督を譲る事は決まっており、ただ子供が小さいので爺さんの弟が後見人となる。今回の戦では紹運父と同じく、宗麟の相談役だ。臼杵軍は爺さんの弟が率いることになる。
この爺さんは毛利との戦でも活躍したようだ。俺が退却に入っている毛利軍を見つけ、狼煙を上げたことを良くやったと言ってくれた。
あと宴だと聞いて急ぎ持ってこさせた米焼酎の土産を一番たくさん飲んでいたのが印象的だった。
実に美味そうに飲んでいた。俺はこういうのに弱い。
次に臼杵三兄弟の次男。
先ほどの爺さんとは親子ほどに年齢が離れた兄弟。おそらく腹違い。会食では俺の事を分かりやすく嫌っている様子だった。
糸島の城を任されていたが、地元の有力国衆である原田と、戦になるほどもめ事を起こして解任された。幼い甥っ子の後見人となって、臼杵家の実質のトップである。
臼杵三兄弟の三男。
次男の代わりに糸島の城に入ったが、やはり原田とは喧嘩している。そしてやっぱり俺を嫌っている様子。何でだよ。
今回の戦では親貞の側に付いている。親貞はまだ自前の軍を持たないから、近くにいる兵は臼杵三男の兵になる。
臼杵兄弟は十年程前に亡くなった兄が他にもいたのだが、こちらの兄は優秀で文化人として外交の中心を担っていたそうだ。
臼杵は優秀とそうでない兄弟で差が大きいな。
ただ紹運の様に兄弟そろって優秀な方が珍しいのかもしれない。紹運の家は家督争いの気配すら見せずに兄弟そろって出世していた。
兄は家督を継ぎ、弟の紹運は宝満城と岩屋城を治めることになり、地元の高橋家を襲名する事となった。これより高橋紹運と呼ばれる。
次に会ったのは先ほどの臼杵兄弟に反抗して、戦にまで発展したこともある国衆の原田氏だ。
俺を訪ねたのは三人で、まず当主の原田了栄、そして嫡男の原田親種、そして弟で草野氏の養子に入った草野種吉、この三人だった。
草野氏は小さい国衆だが、筑紫とは筑後川を挟んですぐお隣さんである。ちなみに今いる高良山ともお隣である。
筑紫が筑前、肥前、そして筑後の三方と交わる要所であるのに、今まで筑後を気にしないで済んでいたのは、この草野氏との関係が良好だったからだ。
直ぐお隣だったのに文でしかやり取りがなかったのだが、今回初めて実の兄と父親も交えて顔を合わせることができた。
この三人、俺と接触したタイミングが臼杵兄弟も同席していた会食の後だった。
これは狙って訪ねて来たよな。




