第71話 高橋紹運
1570年3月 高良山 筑紫俊介広門
高良山は筑紫の本拠地である勝尾城から筑後川を越えて少し南にある標高の低い山だ。
古代から宗教的な山として崇められていおり、およそ千年ほど前には高良大社が作られた歴史ある場所である。
だが同時に軍事的に重要拠点でもあった。
京都と琵琶湖の間に作られた宗教施設である比叡山延暦寺に似ているかもしれない。
ただし高良山は仏教伝来前から崇められているので神道だ。おかげで仏敵とか叫び出す排他主義は少なく、そのおかげか不幸な焼き討ちとは無縁でいられた。
今のところは、という注釈は付くけれども。
この高良山は南北朝時代には北朝勢力の今川氏、南朝勢力の懐良親王もここに布陣した。
最近だと越前入道と今回の宗麟。
将来の話だと豊臣秀吉もここに布陣する。
筑紫平野の海原を半島の様に食い込んで突き出している山なので、ここから三方を遠くまで見渡すことができる。
だから筑紫平野で起こる大きな戦の際には、自然と総大将はここに居座ることになる。
そして戦国時代では大抵の神社でもそうであるように、ここ高良大社も武装はされていた。僧兵が大友幕下の武将として積極的に協力しているほどだった。
宴会に白布被ったそれっぽい武将もいたな。
長刀をもって警備をしていた僧兵は弁慶みたいでかっこよかった。うちにも一人欲しいと思わなくもない。残念ながら会話するチャンスもなかったが……。
戦の前に総大将主催の宴が始まり、なんでこんな事しているんだと愚痴りたくなるのは仕方がないことでは無かろうか。
史実を知っていれば尚更だ。
だがここで俺が油断するな! 本気でやれ!! と叫んでも何の解決にもならない。
焦燥感は募るがチャンスを待つ。もちろん待つだけでなく動けるところは動きながらだ。
とりあえず目の前の紹運だ。この状況をどう考えているのだろうか。上手く協力を取り付けられないか。戦上手のこの男だけでも危機感を植え付けられないだろうか。
そんな風に思っている俺に気づいているのかどうか分からないが、相席の紹運は気をよく話しかけてきた。
「酒の代わりに飲んでいるそれはなんだ? 畿内で評判の茶か?」
「茶です。ただし畿内の茶とも違いますが……。一口いかがですか?」
「いただこう」
紹運は迷わず答える。その物怖じしない返事にらしさを感じる。
俺は手元の茶碗を飲み切り、新しい茶を入れて紹運に渡した。
俺が飲んでいるお茶は現代の茶をなるべく再現したものだ。
新芽だけを蒸した後に冷やし、乾燥する。江戸時代の中頃から作られるようになった製法で、今で言う煎茶である。
戦国時代の庶民のお茶は育ってしまった茶葉を取り、蒸しただけで終わる。別に不味くて飲めないわけではない。むしろこれはこれで好きなくらいだが、昔の味が恋しかった。
茶道の茶もいいが、茶くらい気楽に飲みたいしな。煎茶は完全に俺の趣味だ。
紹運は軽く匂いを嗅いでから気に入ったのか、一口大きく呑み込んだ。想像より美味かったのだろう。目が少し広がる。
「旨いじゃないか。これは博多で売っているのか?」
「いえ、自分の分だけを作らせております」
「自分で作っているのか」
そう言って驚いて見せる。
好きなものを褒められると嬉しいものだ。紹運は残りの煎茶も飲んでお代わりを所望してきた。
「義弟殿は博多で商売もしているそうだが、これも商品にするのかね?」
「いえ、乾燥に木炭を使うので割高になります。それなので売れないかと」
紹運は二杯目を少しずつ飲みながら答えた。
「うむ、旨いな。これならば多少高くとも売れるだろう。上方の茶とも違うのだろう? 何もかも上方の流行を追うのは癪だ。大々的に作って売るならば協力するが」
ここまで褒められると悪い気はしない。琴音や孫大夫からも評判がいいし、思い切って商売にしてみるか。
好きなものを商売にするのは躊躇するんだよな。上手くいかなかった場合の心理的ダメージが大きい。
逆にハッカなんかは思い入れがなかったので、売れるかも分からないのに石鹸の香りに使ったりして、失敗しても何の後悔もなかった。
ちなみに売れ残ったハッカ油は俺が使っている。香水じゃない、鎧が臭いから消臭剤の代わりだ。
みんな臭い鎧を平気で着ているからな。慣れるのかな。
「馳走になった」
紹運はそう言って飲み終わった茶碗を返してきた。そして
「変わった香を使っているのだな」
まさにさっき考えていたハッカの匂いのことだろう。宴だと言われたから直前に吹きかけてきたのだ。
「ハッカという匂い消しです。どうぞ」
小さいひょうたんに入ったハッカを渡す。
……受け取ったな。
ちなみに鎧の中には薄い木炭をあちこちに張り付けてある。これも消臭目的だ。
「義弟殿は普通と違ったものを愛用するのだな」
瓢箪の中のハッカの匂いを嗅ぎながら紹運が言う。
そりゃそうだろうな、現代人だからな。俺は笑ってごまかした。
話を切り込むなら酒が入っていて物を受け取ったこのタイミングだ。心理的に話を受け入れやすくなっている。
「紹運殿は、我々が高良山に留まっておる事をどのようにお考えですか?」
「お偉いさんの高尚な考えは分からぬよ」
はっきりと答えないが投げやりな返事であった。不満には思っているようだ。
ここらかどう突っ込んで話そうかと考えていると、逆に紹運から話が振られてきた。
「義弟殿はまだ高良山で宗麟様にお呼ばれされておらぬな?」
宗麟は変わる変わる国衆を何人か呼び、毎日会食を繰り返していた。
「はい」
「御義父上から私と貴殿に言伝を預かっている。くれぐれも他言無用であるとのことだ。よろしいか?」
他言無用、いったい何だろうか。
「大丈夫です。口は固い方です」
「それは結構」
紹運はこれから話すことに勢いをつけるかのように、残った酒を口に入れた。
「私は義弟殿より先に社殿の会食に呼ばれて行ってきたが、中では宗麟様の隣に親貞様が一緒におられた。親貞様は宗麟様の弟にあたる」
大友親貞、今回の戦の総大将が大友宗麟であるならば、親貞は前線の大将となる。会食で一緒に居るのは何の不思議ではない。むしろ当然だが、それがどうしたのだろうか。
「この親貞様だが、年齢は貴殿と同じくらいだ。そして御義父上がおっしゃるには──宗麟様の弟ではなく、息子ではないかという話だ」




