第62話 立花城②
1570年2月 立花城 琴音
川を挟んで博多の町が広がっている。
米粒ほどの小さな人が町の関所を出入りしているのが見えた。
主流から分かれた川が、この立花城の南側を別れて海に続いていた。川を下る船を観察していると、時より水面を魚が跳ねる。
先日こちらに越して来たばかりだ。様々なものが目新しい。跳ねた魚は何と言う魚だろうか。そんな他愛のない事を話したい人は隣にはいない。
ふと知らない城にいることが寂しく感じられた。
そうだ、俊介様と船に乗った港は見えるかしら。
おそらくあちらの方向であるのだろうが、家屋が邪魔をして博多の津を見ることができなかった。奥には海が広がっていて、一緒に航海した海や海岸が見えるはずなのだ。
港には多くの船が停泊しており、自分の乗った船以外にもたくさんの船が海に浮かんでいるはずだった。
残念ながら立花城は丘の上に建てられているが、標高は低く、はるか遠くを見渡せるほどではない。
あの見張り台に登れば遠くまで見えるかしら。
近くの見張り台の上には、何故だか兵隊はいなかった。城内は皆が忙しくしており、何か入れ違いがあって人がいないのかもしれない。
見張り台に登る道がハシゴではなく階段だったら間違いなく登っていた。いや今は歩きやすい履物を履いている。登れるかもしれない。
着物からはだける足なんて気にしなければ良いのだ。
周りには誰もいないし……ね。
「琴音様、なりませんよ」
勘の鋭い鈴が釘を刺してきた。
気配を消すのが上手い。くノ一じゃないかしら。
「他に人が来たらどうするんですか」
私の考えはお見通しのようだ。
「ハシゴと足元をみて、悩んでいる姿を見れば誰でもわかります。こんな風にお話ししている間にも誰か来るのかもしれないのですよ?」
「誰か来るとまずいのか?」
ひゃぁ、と驚く鈴を横目に近づいて来たのは俊介様だった。お仕事は終わったのだろうか。
「何をしようとしていたのだ」
「えっと……」
さすがにこっそり見張り台の上に登ろうとしていたなんて言えない。だが夫は周りの状況から察したようだった。
「上に登ろうとしていたのか……、一緒に行くか?」
「え、えっと足がはだけるのが恥ずかしいので……」
つい先ほどまで足なぞ気にしなければいいと言っていた気持ちは吹き飛んでしまった。なんでこんなにも気持ちが変わるのだろうか。
「出来たばかりの見張り台でな。まだ兵の当番も決まっていないのだ。今日であれば誰も来ぬ。遠慮するな、俺も登ったことがないのでな。一緒に行こう」
小さくコクリと頷くと
「俺が先に行く。孫大夫、下で支えてやってくれ」
そう言うや否や登り始めてしまった。高いハシゴをするすると登っていく。上り終わると上から顔を出して手を差し伸べてくれた。鼓動が高鳴る。
恐る恐る私は足を踏み出した。
後ろでは鈴と孫大夫さんが、あわわわと言っている。
私は一歩一歩と登りながら、こんなの簡単ではないか、上には俊介様が待っているのだ、と思うと手が汚れるのも気にならなくなった。
ハシゴが無くなり最後のひと登りのところまで着くと、俊介様の手が私をグッと持ち上げてくれた。見張り台の上に降りた拍子に倒れそうになる体を誰かが受け止めてくれる。そんなの一人しかいないけど……。
「見よ、良い景色だ」
「わあぁ」
思わず息を呑んだ。
光の角度によるものか、夕陽に照らされて海がキラキラと輝いていた。
それに下で見ていたよりずっと遠くが見える。海が遠く、水平線まで広がっていて、たくさんの船が浮かんでいた。
「ガレオン船が来ているな」
「ガレオン船?」
「パテレンの船だ。あれだ」
俊介様の指す先に大きな船が停泊していた。他のどの船よりも大きく威圧感がある。
「パテレンが挨拶をしたいとのことだったが、作りかけの城である上に皆が立て込んでおるのでな。丁重にお断りした。そのうちまた来るそうだ」
パテレン……話には聞いたことがある。
「俊介様はパテレンに会ったことが御座いますの?」
「ないが知っている。目や髪の色が違い、背丈が高い。だが同じ人間だ。赤い血が流れ、百姓と坊主と町人、戦う者もいる。男と女がいて、詩や音楽、酒や美しいもので楽しむのだ」
会ったことが無いと言いながら、まるで会ったかのように話す夫を不思議に思う。
「琴音と船に乗った時より、ずっと家屋が増えているのがわかるか。戦の混乱であちこち焼かれたそうだが、あっと言う間に全て建て直された」
そういえば二カ月前は焼け跡が目立っていたかもしれない。
俊介様は私の肩を力強く抱きしめ、博多の町へ向けて手を開いて向けた。
「この景色を覚えていて欲しい。今は手のひらに収まってしまうほどの小さい港だが、あの川を越え、城の前まで家屋が広がる大きな町になる」
よく分からないけれど……
「俊介様はそれが良いとお考えなのですね?」
そう言うと、幼さを残した困った顔を見せた。
「それが良い事だとは分かってはいるが……正直言ってそれで俺が楽しんだり満足できるかは分からんのだ。だがな」
俊介様はそう言って悲しそうに博多の町を見つめた。
だがな──、なんだろうか。
「博多の町は浮浪者が多かっただろう。痩せた人間も多かった」
それは……、博多でなくとも何処でも見かける景色だ。戦続きの世の中だ。別に博多だけが多いとは思わなかった。
だけど筑紫は少なかったかもしれない。
「それを見て俺はな、嫌だと思ったのだ。自分の町で不幸がそこら中に転がっていて、それで誰もそれを気にしない。そんな光景は嫌だ。絶対にな」
そう言うと少し口を閉じ。博多の町に向けて開いていた手をゆっくりと握って、拳を向けた。
「俺は俺の好きに生きる。ずっとそうして生きて来た。ここでもそうするつもりだ。だがな」
また、だがな──、だ。
もしかすると筑紫からもっと大きな博多の町に来て、俊介様のお考えが変わりつつあるのかもしれない。
「ここは不幸が多すぎる。それを目の前にするとな。俺だけ好きに生きていても楽しめんな、と思い始めたのだよ」
どうしよう、もっと良く知りたいと思っていたのに、仰りたいことがあまり分からなかった。領民が不幸なのを嘆いておいでだが、それだけではないご様子だ。
そんな困った顔の私を見たのだろう。
「ふっ、腹を空かせた領民の前で馳走を食う気にはなれん、という話だ」
あぁ、そうか。この人は……。
「俊介様は皆をおなか一杯にさせてみせますのね?」
「そうだ。そうでないと落ち着いて飯も食えん難儀な性格なのでな」
俊介様は私が合点したことを察して、少し笑ってお答えになった。
「ふふふ、その時は私も一緒にご賞味しますね」
私も精いっぱい笑顔を見せてお答えした。
少しだけ夫の事が分かった気がする。
船の中では私の知らない夫を皆が知っていて少し不安になった。だけど今見える夫は、たぶん私だけが知っている夫だ。
私だけのものだ。
それが嬉しかった。




