第55話 宗麟と越前入道
1569年12月 豊後国 臼杵城 筑紫俊介広門
今日は一度も宗麟の声を聞いていない。
俺はこの世界の宗麟について、いまいち判断が出来ていない。悪い噂は多いが信長なんてもっと悪い噂が多かっただろう。だから先入観は良くない気はする。
宗麟は俺と目を合わせる事もしないし、何も言わなかった。
罠じゃないよな……。
冷や汗が額を流れた。
「宗麟様、筑紫殿の疑問はもっともな事であります。このような場で異例ですが、某が説明役になってもよろしいでしょうか」
と紹運父が言った。
許す、という鉄面顔の宗麟の短い言葉の後に、紹運父はこちらを向く。
ありがたい。説明してくれるようだ。
こちらを見る紹運父はイケおじだった。そういや紹運もイケメンだったな。父親似か。俺が困っていたらそつなく助け舟を出すところとかそっくりだ。
「筑紫殿、道雪殿は門司城の城主になることが決まった」
門司城? 門司城は山口県と福岡県を結ぶ関門海峡にある城だ。
毛利に取られていたが、今回の戦で毛利が九州から完全撤退することになり大友の手に落ちた。
なるほど。毛利は来ないとは思うが、仮に攻めてくるとしたら今後は門司城が最前線になる。そこに半端な武将は配置できない。
史実であれば毛利は門司城から撤退しなかった。そして代わりに門司城近くで毛利との最前線を担当したのは、降参して許された高橋氏だ。
だがその高橋氏は水城で俺が……、いない人間に代わり道雪に白羽の矢が立ったか。
理屈が分かると冷や汗が止まる。俺の体は現金だな。道雪にも似たような事を指摘されたと思い出す。
「不在となる立花山城に誰を入れるか議論になった。やはり此度の戦で戦功があった者、そなたの他に臼杵殿、紹運殿の名が上がり……」
「私が決めた。よくよく領内を治めているようだからな」
イケおじ紹運父の言葉を遮ったのは当主の宗麟だった。
「期待しているぞ」
低い声で短くそれだけ言うと、話は終わったとでも言うように宗麟は席を立ちあがり広間から去ってしまう。
当主直々の命令だ。やっかみを受けるかもしれないがこれは断れない。
いや断る必要はない。石高も海も喉から手が出るほど欲しかったものだ。一度に両方が手に入ったのだ。
大変ありがたい。期待に応えなくては。
「筑紫殿、つまりはそういう事だ」
「いえ、丁寧に御説明いただきありがたく存じます」
俺は紹運父に礼を言って、誰もいない壇上に頭を下げた。
――― ◇ ――― ――― ◇ ―――
臼杵城 吉岡越前守 長増入道
儂は自宅に帰る事もせず、与えられた城の一室でずっと横になっていた。
残りの寿命は大友のために使いたい。
そう申し出て殿がいる臼杵城に居させて頂いている。
論功行賞が終わったそうだ。その連絡と御様子を宗麟様が自ら儂のところまで出向いてお話しくださるとは誠に有り難いことだ。
死ぬ前に当主から信頼を寄せられていると感じながら逝けるとは、武士にあるまじき安らかな終わりであるな。自分がそのような最期を迎えることになるとは思わなかった。
「入道よ、これで良いな」
「はい、上々でございまする」
薄暗い寝室で、儂は宗麟様と最後になるかもしれぬ話をしていた。
粥を口にするのも難しくなってきた。もう主人の前で起き上がる事さえできないが、話すことくらいはできる。
面白いことに無駄なものを口に入れなくなったことで、頭はかつてなく冴えわたり、体からは世のしがみが無くなったようだった。
これから宗麟様に大友の進むべき道をお示しして、儂の生命は終わるだろう。
策は打った。
その結果、大友の将来がどのような結末になるのか。この目で見られぬのは、多少残念ではあるが……。
「あのような青二才が果たして使い物になるのか」
宗麟様は顔には出さぬが心配であるようだった。
そういえば当主になったばかりの二十年前は心配が顔に出ていたの。懐かしいの。
それが今や百五十万石の当主。貫禄も付いた。名君に一歩一歩と確実に歩んでおられる。
ふふふ、親の欲目の様なものかもしれぬが……。
「心配無用でございます。儂が直接所領を見たところ、筑紫は極めて豊かでございました。嫁いだ娘からの文を拝見しても驚くほどの統治でございます。戦の腕前も申し分ありませぬ。寡兵で大軍を破っておるのです」
「だが父親が二度も裏切った家でもある」
「あらかじめ道雪に命じ、送らせた文に目を通しましたな? 裏切ろうと考えている人間が城なぞ要らぬなどと言うはずもありませぬ。直ぐに廃城にしろと御命じなされ。素直に従うでしょう。あの道雪が直接話をして城を明け渡すことを認めたのです」
「その通りではあるが……」
「万一の際には博多南の宝満城に紹運、西の糸島には臼杵がおります。裏切りがあったとしても然るべく対処が出来まする」
実際にその心配はないと考えているが、そう言っても安心できまい。この方は父に裏切られ、家臣にも裏切られ、人間を信用できていなかった。
だが愚かではないから信じなくてはならないとも思っている。
その相反する気持ちが時に判断を狂わせる要因となっていた。信じてはならぬ人間を信じ、信じなければならぬ人間を信じぬ時がある。
仏門を捨て、バテレンの教えを信じるようになったのは、そういった心に要因があると見ていた。
「筑紫上野介、どのような人物であるか」
どうやら宗麟様の心はまだ晴れておられぬようだった。
「謁見ではどうでありましたか?」
「こちらを睨みつけておった」
ご安心していただくのに、どのように話すべきか。
「何と御説明すれば……常道の者ではありませぬな。あの若さであの采配、あの戦振り、そしてあの治政。いずれも生半可な才覚ではございませぬ」
「常道でない、とは?」
「見ている物が違うです。例えるならば我らが盤上にて将棋を指しておるとすれば、奴はその盤を高みから俯瞰し、すべての駒の行く末を見通しておる――そのような見方にございます」
宗麟様の顔が険しくなる。
才ある人間であればこそ裏切られた時の傷は深くなる。高橋はまさにそうであった。またあのような事態にならぬか心配であるのだろう。
儂はつとめて明るく話を続けた。
「はっはっは、しかしながら、宗麟様が憂慮するに及びませぬ。奴の人間の根本はただのお人よしの善人であります。情に脆く、他人の善意を信じようと思考する。ふふふ、戦国の世にあって、よほど甘く育てられたようで……」
「なぜそう思う」
宗麟様がムッとする様に仰られた。自分と違い親に大切にされたであろう事に不快を感じられたのだ。
「あれは賢く、理で警戒をしておるだけですからな。警戒の必要のない普段の言動に甘さが溢れ出ておりまする」
時より送られる兵部少輔の娘からの便りを読めば分かる。
秘匿すべき知らせが随分と漏れておる。
偽銭を使って領内を豊かにした事。道雪に何やら特殊な弾を送った事。
儂になら漏れて良いとの考えかもしれんが甘い考えじゃ。あれでは大きくなっても限界があろう。ならば徹底的に利用すべきだ。
「宗麟様、お聞きくだされ。そのような人間は大きな恩を与えられれば、それ以上の恩を返そうとするものです。まさにご恩と奉公であります。上手く筑紫をお使いになるのです」
利だけをかすめ取る軽薄な輩とは思えなかった。その類は道雪が酷く嫌う。会って話せば見破っておるはずだ。
「うむ。博多を任せるのはそのためであったな。これからどうすればよい」
宗麟様に不足しているのは戦の経験と武功だ。自ら兵を率いて勝利したことがない。それが前線の将との意思疎通の齟齬となり、このすれ違いが人間不信と重なって様々に悪影響を及ぼしている。
「論功行賞で表立って反対した家臣はおりましたかな」
「……いや?」
「以前であればこの様な大抜擢を行えば臼杵や田原が反対しておったでしょう。ですが反対できぬのです。それだけ毛利を追い出したあなた様の実績は大きい。宗麟様の地盤が盤石なものになりつつある証左でございます」
目が霞んできた。だがお顔を見なくとも儂の言葉で自信を深めた気配を感じる。
「年が明けましたら宗麟様自らが肥前の国に侵攻し、龍造寺を落としなされ。大勢の兵を引き連れ、大軍をもって厳しくことに当たり、九州に畏怖と威容をお示しになるのです」
毛利はいない。宗麟様は龍造寺の十倍以上の数で腰を据えて攻める事ができる。負ける要素はなかった。
「降伏を申し出てきましたら龍造寺には唯一の直系となる一人娘がおります。その娘を紹運に嫁がせ肥前を支配なさるのです」
紹運に宝満城は小さすぎる。しかるべき立場に置かせなくてはならぬ。
「紹運には正妻がおろう?」
「それは離縁させるしかありませぬな……」
父親の兵部少輔には既に言い含めてある。娘婿二人で三十万石を越えれば逆に危険じゃ。兵部少輔の理解は得られておる。
だがこれで筑前、肥前が盤石となる。
そして忠節があり、血の結びつきもある、それでいて優れた二匹の虎が羽を得るのだ。
「佐嘉城を落としましたなら後は配下に任せ、じっくりと肥前を刈り取りなされ。その後は居城を府内に移し、そこから筑紫と紹運に兵を任せ命じるのです。九州を平定せよ、と」
「はたしてそのように上手くいくか」
ふぅ。
瞼が重くなり、眠くなる。
長く話をしすぎたようだ。
「上手く、いきますとも……」
このおよそ一カ月後、吉岡越前守 長増入道はこの世を後にした。
史実より二年以上早い寒い雪の日だった。




