第37話 越前入道の深淵
1569年7月 筑後高良山 吉岡 越前守 長増入道
「越前入道様、如何しますか。水城を攻める様に殿が御命令下されたのでは? まさか殿の下知を無視するので?」
考え込んでいた所を兵部少輔が現実に引き戻した。
殿の御命令か……。殿には困ったものだった。忍耐が不足しておる。幼いころからそうじゃったな。
たった四千程度の水城の兵が戦の行方を左右している事が我慢できぬのだ。
此度の戦も最初は自ら率いるとまで言っていたところを諫めた手前、これ以上否定してご機嫌を損なう事は出来なかった。
「そういう訳にはいかぬ。形だけでも攻めて見せねばなるまい。兵部少輔よ。お主の娘婿が水城を攻めて見せると言ったのは確かなのだな?」
「はっ、ご承認いただければ九月に攻め取って見せると」
あの小僧め、麾下の兵は多く見積もっても五百程度であろうに、四千が立て籠もる城を攻め取るというのか。
信じられぬが負けてもたかが五百だ。万一負けて補充できる兵数だった。大友にとっては痛くも痒くもない。逆に落とせれば勝利は確実なものとなる。
何より勝敗に関わらず、とりあえず攻めてみせれば殿の溜飲は下がるであろう。
儂が筑紫の小僧に水城を攻めることが出来ないか打診したのは、ひと月ほど前の事だった。正確には打診したわけではない。小僧の所領が大きければ水城攻めを命令したのだが……、という文面でほのめかしただけだ。
対して小僧からは手持ちの兵だけでも攻略できるので命じて欲しいという返事が来た。本気なのか、ただ虚勢を張っているのか、本意を知ろうと舅である斎藤兵部少輔を送ったのは先週の事だ。
「何か条件を言っておったか?」
小僧と話した兵部少輔に尋ねる。
「三つほど、一つは忍びを使って秋月と高橋の仲を違えて欲しいと」
ふむ、両者は元々は険悪だったのだ。目的のために一時的に組んでいるに過ぎない。
父親を殺された相手に協力するとは秋月なんぞ武士とは思えぬ、あるいは兵数が少ない高橋は敵が来たら矢面に立たされるだろう。
その様な声が上がっていると忍び込ませている兵に言わせれば良い。
「問題ない、二つ目は?」
「五百で水城の南側を攻め伺うふりをして欲しいと、それとこちらの文を預かっておりまする」
「南側の敵兵を引き付けて欲しいわけだな」
五百程度であれば問題ない。だが勝算が見えない戦に一兵も出したくないのが本音だ。そのように文を開きながら素早く考える。
文を開くと毛利の花押が目に入った。
これはっ
おのれ筑紫に寝返りを誘う文じゃ。毛利め、しつこく送って来たか。
中を読むと前回の誘い状よりも好条件が提示してあった。立花山城と博多を割譲する旨が記載されている。今筑紫に裏切られれば大友は袋の鼠じゃからの。
「この文について婿殿はなんと?」
「こうも守る気のない約定を提示されると心が冷めるだけだと、越前入道様であればそのような事はなさらないはずだと話しておりました」
毛利のような甘言ではない、儂が約束を守る人間であると証明して見せろと暗に含ませておるな。やるではないか。五百の兵は出さざるをえまい。約を結び、証明せねばな。
「三つ目の条件は?」
「佐賀城の戦いで失った馬三十を直ぐに補填して欲しいと」
「むぅ、仕方あるまい。儂の麾下から分け与えよう」
「宜しいので?」
「儂が持っていても今は役に立たぬ。道雪からも一言あったしの。それで他に、婿殿の様子はどのようであったか」
「それが……」
「どうした歯切れが悪いぞ、らしくもない。儂とお主の仲ではないか。小僧が礼を失している事なぞ承知しておるわ。話したままを伝えよ」
「されば……『昨年と今年、龍造寺を滅ぼす機会が二度もあったにもかかわらず失してしまったツケがとうとう回ってきましたな。状況は承知しております。後始末をこちらで整えて差し上げましょう』との事で御座いまする」
小僧め、言うではないか。儂が臆しては嫌なのだな。だから挑発してきた。そんなに攻めたいか。それとも毛利のハラワタをえぐるは今だと考えているのか。
頭を下げている兵部少輔に儂は言った。
「よくぞほざいた。条件には応じてやる。寡兵で四千の城を攻め取る所を見せてもらおうではないか。そう伝えよ」
「はっ」
――― ◇ ――― ――― ◇ ――― ――― ◇ ―――
兵部少輔が下がり儂は部屋で一人になった。
太陽はまだ落ちていないはずだが、山の中にある拝殿は暗くなるのが早い。
攻城は九月じゃったな。
儂はその時を楽しみにしてる自分に気付いた。
長年の仇敵であった毛利に対し、最後の大勝負を仕掛けようとしている己、そんな時にあのような小僧が現れた。
次世代の芽吹きというのはこういうものかもしれぬ。
だが戦乱の世だ。この芽は踏みつけられ枯れるのか、はたまた大きく育つのか。
「……ッ」
低く咳き込むと手のひらに温いものが滲んだ。血だ。
いつまで持つのか。
病が体を蝕んでいるのだ。
カカカ、小僧め、どうせなら血を吸い大きく育つがよい。両軍合わせて八万から九万の兵だ。吸う血に不足することはあるまいて。
ヒヒヒ、ウヒヒヒ。




