第36話 毛利の神髄
1569年7月 筑後高良山 吉岡 越前守 長増入道
「越前入道様、無事にお帰りになり何よりで御座いまする。豊後におられる殿はお元気であらされましたか?」
豊後から戻ってきた儂に斎藤兵部少輔から声がかかった。
毛利との戦がにらみ合いで硬直し、しびれを切らした我らが主、大友宗麟様から説明に上がれと御呼び出しが掛ったのだ。
そしてようやくまた戦場に戻ってきた。戦場といってもここ高良山は博多から一日かかる後方ではあるが。
「儂のいない間、留守をご苦労だったな。殿はいつもの御様子であったよ……」
「何かございましたか?」
声の調子で察したのであろう。心配そうに兵部少輔が声をかける。
「戦に動きがないことに殿はご不満な様子であった。打って出てさっさと敵なんぞ蹴散らしてしまえ! とまぁ、その様な有様じゃな」
実際には水面下で動いているのだが、殿はわかりやすい戦果を求めておられた。
「兵糧が不足し、攻勢に出られないことはご説明に?」
「ああ、それは理解しておられた。道雪が儂らだけでなく、殿にも兵糧の不足を訴えているようでな」
「それでなんと?」
「たかだか四千の水城の敵は握りつぶして兵糧の不足を解消せよとお達し頂いた」
水城にいる敵兵のせいで兵糧が不足し身動きできぬ事は理解しておられるのだ。
「それはまた……握りつぶすための兵はどこから連れてくるので御座いましょうか」
「毛利とにらみ合っている博多か、儂らがいる後方の高良山から抜き出せばいいそうだ」
斎藤兵部少輔の顔色が変わる。
「博多から兵を分けるのは下策でございますぞ。兵糧が厳しくなった我が軍は士気が下がり、兵の脱走を抑えるだけで精いっぱいで御座います。今攻められたら負ける公算が高いとまで道雪殿はおっしゃっていたのですぞ?」
「道雪は今まで無理と言って散々やって見せた故な、此度も同様の事だろうと殿は甘く見ているのだ。しかし……今攻められたら危ういであろうな」
とはいえ兵を抜くような隙を見せない限り毛利が攻めてくることは無いと儂は見ていた。毛利は今、自分たちが有利だと考えている。有利な陣地を確保し、十分な兵糧が海からも陸からも届き、立花山城で快適に過ごすことができる。
逆に劣悪の環境にいる大友軍は放っておけば冬には寒さで逃げ出すはずだ。であれば毛利は無理をする必要はない。
そのように考えているのだ。
毛利陸奥守元就。お主の考えは儂には手に取るように分かる。同年配でお互いに大内に苦しめられた人生であったからな……。似ておるのだ。
龍造寺佐賀城を攻めた時、儂も同じように考えてしまった。龍造寺はいずれ降伏する、無理をする必要はない。そう考えていたのだ。
だがそれは甘い考えであった。龍造寺は降伏したが僅か二カ月で約束を反故にし、今は再び反旗を翻している。
フフフ、僅か二カ月とはな。舐められたものだ。いずれ目に物を見せてやる。
儂と兵部少輔は筑後川から博多へ運ぶ兵糧を差配しておるが、隙を見せれば龍造寺はこの兵糧を狙って来るだろう。
まことに厄介な龍だ。
「博多から兵を出さないのであれば、ここから兵を出されますか? なれば某に兵五千をお頂けくだされ。手前が水城の敵を打ち破って見せまする」
「ならぬ。ここの兵を減らす様な隙は見せられぬ。万一に集めた兵糧を失う事態になれば、博多の兵が離散してしまうわ」
龍造寺は滅ぼすべきであったな。二カ月で送られた人質が逃げ出すとは……この用意周到さは毛利が手引きしたに違いなかった。
様々な勢力を操り、今の状況を作り出した毛利元就の腕前は儂でも舌を巻くほどだった。
元就は博多での決戦において、大友の弱点が南からの兵糧にあると見抜いていたのだろう。そして兵糧の通り道にある使われなくなっていた水城を再利用することを考えた。そのためにいがみ合っていた秋月と高橋の仲を取り持ちこれを占拠させた。
さらには人質を助け出すことで龍造寺に二度目の反旗を起こさせ、兵糧を守っている儂ら高良山の兵を動けなくさせた。
全く見事としか言いようがない。古の中華の軍師らに比類するかのような智謀だ。
だが元就よ、我が宿敵よ、画竜点睛を欠いておるぞ。
筑紫を裏切らせる事は出来なかったな?
おかげで背振山地の山道から十分でないものの兵糧は運べておる。我が博多の兵はかろうじて息を繋いでおるぞ。
攻めてこぬのか? 耄碌したな元就よ。
自覚はあるまい。儂もそうであったからな。
強き敵を前にして様子見は悪手じゃ。難敵であればこそ必ず何かしらの打開策を考えてくるものなのだ。
儂を甘く見たな? 儂はもう手を打ったぞ。お前が思いも寄らぬ一手だ。驚くお前の顔が見れないのが残念なほどだ。
お前は犠牲を恐れず今攻め込むべきなのだ。だが耄碌したお前はそれが出来まい。より確実な勝利を信じて時を浪費しておる。
孫可愛さに肝心な所で踏み込めぬのだ。
偵察によると毛利はひたすら防備を固めているらしい。
だがな、冬になれば勝つのは儂じゃ。
勝てるはずじゃ。読み切っているはずだった。
果たしてそうだろうか。自分も守りに入っていないだろうか。
勝てる思った時の『見』になっていないだろうか。
更に勝利を確実にするため、勇気を持って踏み込むべきなのでは?
殿が仰る通り水城の敵は追い払いたかった。
そして儂が期待している幼なさが残る将が数的不利を覆しやって見せると言ってきたのだった。
攻撃を命じるべきか、決断の時だった。




