第126話 吉弘兄弟
1573年2月 府内 高橋紹運
正月に武将全員が挨拶で帰省して本拠地を空にするわけにもいかず、今年は自分が時期をずらす事になった。
そんな事情で、当主への挨拶に豊前まで足を運んだのは、ようやく二月になってからだ。
宗麟様に代わり、義統様が年初の願掛けをなされる様になって二年目となる。
義統様から左近(兄上のことだ)のように力になって欲しいとの言葉を賜り、以前よりも当主らしくなられた事を嬉しく思った。
挨拶を終えて、直ぐに岩屋城に帰ってもいいのだが、家臣たちも実家に顔を出したいとのこと。
いつ何かで頼む機会があるやもしれず、顔は出した方が良いとそれを認めた。そうすると自分も数日、どこそこでやっかいになる必要がある。
本家の都甲谷は一日の距離だが、兄上は評定で府内にいるらしい。
無難に兄上の館に邪魔する事にした。
館に泊まったその夜、兄上から呼び出しがあり、私室まで赴く事となった。
が、呼び出されたにも関わらず、不在であった。はて?
だが勝手知ったる館だ。兄上の居そうな場所には見当がつく。その場所に足を運んだ。
「こちらにおられましたか」
兄上は縁側で佇んでいた。思った通りだ。
「おぉ、弥七郎(紹運のこと)か。よくぞ分かったな」
「月のよい夜は縁側によく父上が居られました。兄上も月を肴にするようになったようで、父上に似てまいりましたな」
兄上は私に一瞥だけして再び庭に目を戻してしまう。
私は失礼つかまつると一言かけて隣に座った。すると枡酒を私の胸に押し付けられる。
兄上の枡酒は別に置いてあった。これは私の分のようだ。
伝えられた私室にはいないくせに、私の分の酒は用意していたのだ。兄上らしいと思った。
「どうか致しましたか」
私は礼も言わずに枡酒を受け取り、黄昏ていた兄上を心配するように声をかけた。
「父上がここで月を見ていた気持ちが分かった気がする」
「それはいったい」
「ふっ、権力に溺れずに事を成すのは難しいと痛感したところだ」
私はあえて心配が全くないかのように振る舞った。なかなか見ることのない弱った兄上のお姿だ。
元気付けて差し上げたい。
「兄上なら大丈夫でしょう」
私より大友を想い責任感のある兄上だ。兄上が権力に溺れたならば、それは権力の方が雪崩のように兄上に近づいて来た。
そうに違いない。
「筑紫の上野介殿だな。話してきた。弥七郎の言った通りの男であったな。不敵な若者だ。亡き越前入道様が気に入るわけよ。あの場で笑いよったわ」
「腹を据えて話しましたか。よう御座いました。以前より義弟殿とはお近づきになって欲しいと思うていたのです。ですがその通り。俊介殿は周りが思うよりは野心家です。その野心が何であるかは分かりかねますが」
妻が姉妹で交わしているその文の内容を聞くと、奴という人間がよく分かった。何かを成したい側なのだ。
それがたまたま大友と同じ方向であるに過ぎない。
願わくばそれが永遠に続いて欲しいとも思っている。
「こいつを貰った」
兄上が自らが着ている綿入りの羽織を見せてきた。
「どてら、と呼ぶようですね。筑前で流行りつつあります」
「お陰で二月というのに縁側に出るのが苦にならぬ。冬の月を美しく見られる」
どてらは大変に暖かいようで、銭に余裕がある町民が使い始めている。
だが私は厚みがあって、いかにも暖かそうに見えるその羽織が好きになれなかった。
冬が寒いのは当たり前だ。
それを平然と過ごして見せるのが様になるのではないか。
戦になれば甘えた事は言えぬのだ。
冬の戦で大将が寒さに震えていては、部下達に示しがつかぬというものだ。
寒さを気にして風流を楽しみたいならば寝具に包まりながら縁側にいれば良いのだ。
そんなことは兄上には言えぬが、幼い息子にはそのように躾けていた。
「年明けの前回の評定に義統様が御参加くださった。今後も出席なされる。これで朱印状も正式なものとなる」
「おぉ! それはよう御座いました。兄上があのような悪事に手をかける必要は御座いませぬ」
本当に良いことだ。
周囲から黙認されていたとはいえ、偽造は大罪だ。
「田原殿は、このままでは大友が私に牛耳られると思ったらしい。お陰で苦労がなかった。義統様を歓迎してくれている。奈多夫人の子でもあるからな」
宗麟様の正室にあらされる奈多夫人は、田原殿の実の妹だ。義統様は甥にあたる。
石高十五万の所領を持ち、石高だけであれば家臣随一でもある。そして宗麟様のご寵愛を受けて田原家に養子入りした。
もし宗麟様がお元気であれば越前入道様の後任として筆頭家老に就いていたであろう。
田原殿は宗麟様の寵愛が厚かっただけに、臼杵、田原、志賀ら加判衆の中でも、特に説得に苦労すると思っていたのだ。
そんな田原殿の説得が容易であったのは思いの外であった。
兄と私で合わせて十万石、田原殿の石高には届かぬが、義弟である俊介殿を意識しているのかもしれない。
だがこれで他二人の加判衆の声は小さくなるはずだ。
「宗麟様は?」
「……宗麟様は今のところ何も仰られていない」
「では何を憂慮しておいででしょうか」
先ほどまでにこやかに話していた兄上は、また沈んだ顔で月を見ていた。
「毛利と肥前についてだな。悩んでおる」
「毛利! 攻めこんで参りますかっ!?」
九国からは撤退していたはずだ。まさか性懲りも無く博多を狙ってきたか。
「嬉しそうに言うでない。そうならぬ様に手を打とうとしているのだ。そちらはいい。お主に聞いておきたいのは肥前についてだ。大友の威光は肥前で有効だと思うか?」
長年敵対してきた毛利については気になるが、話していただける様子ではないな。
肥前について、か……。
肥前近くに住んでいる私の証言は、兄上にとって重要なものになろう。
ふー、これは気が重い。だが正直に言わねばなるまい。
言い出しにくい私の気持ちを察して、兄上から酒のおかわりを注いで頂けた。
枡の中に月の光がさして、米粒が輝いて見えた。昔ながらの酸味がある、米粒が酒に残っている濁酒だ。
私は意を決して口を開いた。
「残念ながら大友の威光は届いておりませぬ。今、肥前を上手く治めておるのは義弟の力によるものです。就任当初はだいぶ地元から反発を受けていた様ですが、全て鎮圧し、以前にも増して安定したように思えまする」
「お主で抑えられるか?」
「私が? 兄上の頼みとはいえ、無理を言わないで頂きたい。申したはずです。野心があると、義弟は何かを成そうとする人間です。容易には抑えられませぬ。しかし力で抑えようとすれば大友の国力が削がれまする。上手く目指す方向を合わせるべきです」
「それが分からぬから悩んでおるのではないか」
兄上が悩んでいたのは義弟についてであったか。
どうやら義弟の毒気に当てられたらしい。
気勢を取り戻して頂けねば。
「兄上、心配御無用!で御座る」
明るく覇気のある声で言って見せた。
「兄上も博多と肥前の街並みをご覧になれば、共に歩めると思えるはずです。もう何年も博多まで足を伸ばしておりませぬな。ぜひ一度ご覧になるべきです」
義弟の才覚は戦ではない。
富国なのだ。
あれほど凄まじいまでの富国をどう喩えれば良いのか私は知らぬ。
九国で知る者はいないではなかろうか。
明との貿易で莫大な富を築き上げた大内氏が、ああいったものであったのかもしれない。
だから兄上には一度、今の博多津を見て欲しかった。
当初わたしは、博多津が再び栄えたのは偶然だと思った。毛利との戦に終わりが見えたのだから、人が戻り、さもあらんという事だ。
だがこの二年ばかりで佐嘉の様子も博多と同じ歩みを見せている。
私が拝領いただいた博多から南にかけての所領についても、信じられぬほど領民が豊かであった。
戦がなかった吉弘本家の都甲と比べても、比較にならないほど豊かだ。贅沢にも綿から作られた、どてらが町民の間で流行るほどである。
ならば義弟には次々と国替をしてもらい、あちこちで富国してもらえれば良いのではないか。
その様に思ったこともある。
国造りをさせるのだ。
簡単にはゆかぬだろうが、そのための良い考えがあれば上手く歩めるに違いない、そう思っている。
「私は義統様のお側を離れるわけにはいかぬ。これは口外無用だが、波多攻めがあるやもしれぬ。その際に上野介殿に武功を立てられ、どのように報いるべきか悩むことは避けたい」
波多攻めか、ならば主力かあるいは準主力は義弟にならざるを得ない。
兄上はそうした心配でずっと気を揉んでいるのだ。
苦労をされていると思った。
「兄上! 心配御無用! であります。私が先頭に立ち義弟の活躍を奪ってしんぜましょう。兄上も苦労人になられましたな。私を頼ってくだされ。いつまでも子供扱いされてはかないませぬ」
「お前を? ふっ、ハハハハッ! その通りだな。分かった。頼りにさせてもらおう」
「お任せくだされ」
兄上の声に力が戻った。
戦か、二年ぶりだ。
兄上は大友の威光も気にしていた。私が活躍すればするほど大友の威光が輝く。
腕を振るう時が来たのだ。




