第125話 吉弘左近太夫鎮信
1573年1月 府内 吉弘 左近太夫鎮信
臼杵城から少し離れた府内には、私も含めて重臣たちの邸宅が用意されている。
臼杵城は戦うための城だ。
城下町すら狭く、普段生活しているわけではない私の様な人間が、長期滞在するには向いていなかった。
たまに評定に来るだけの自分には、臼杵ではなく、代々大友の中心であった府内に土地が用意されていた。
もっとも用意されているのは土地だけで、邸宅は自費で用意管理しなければならない。
本来であれば臼杵にはノビシャドというバテレンの建物など置く余裕はないのだ。
宗麟様の名で建てられた立派な異郷の建物は城を出ると嫌でも目についた。
義統様はバテレンに傾倒した宗麟様と、宮司の娘であった奈多夫人の間に生まれた。
信ずる宗教が異なる両親に挟まれて、心穏やかに過ごす事が出来ていなかったように思う。
最近は宗麟様が邸宅に籠っているおかげで、悩むような姿を見る機会は減った。
ご立派になられたように見えるのは、そうした余計な喧騒から離れたせいかもしれぬ。
厠での悶着の翌日、府中の邸宅に吉岡越中入道殿と斎藤殿を招いた。
無論、昨晩の話の続きである。
当主不在の評定があるならば、なおのこと根回しが肝要だ。
こうして何時の間にか三人の意見を取りまとめ、評定に出るようになっていた。
いつの間にというと語弊があるかもしれない。望んでそのような立場になるよう働き掛けた結果なのだ。
今の大友の舵を正しく取れる男が自分以外に誰がいる。自分こそがやらねばならぬ。
そうした自負があったからこその行動であった。
それゆえ古くからの友人であり、弟の舅にもなった斎藤殿を、加判衆に持ち上げることに協力もした。
花押すら書かれなくなった宗麟様に代わり朱印状を発行することもしたのだ。
誰もやりたがらぬのだ。評定で決まったことを宗麟様にご報告し、必要であれば代わりに書状を発行することなど。
泥を被ってでもやる人間がいなければ国が回らぬ。ならば自分がやるしかない。
だがそんな悲痛な想いだったはずが、密かに大国を動かしているという暗い喜びに変わり始めたのは最近のことだった。
謀反人、陶晴賢の心が分かる気がした。
そして、そんな心暗い私の気を晴らしてくれたのは義統様であったのだ。
ある時、義統様の小姓から相談を持ちかけられた事があった。
「なに? 付近の村の判例が知りたい?」
「はい、吉弘様であれば手に入るかと思いまして」
「どこの村だ? いや、手を回すことは出来る。だがそのようなもの、何のために必要としておるのだ」
「それが少々話しにくいことでして……」
「咎めはせぬから言うてみろ」
無理に聞き出した小姓の話は青天の霹靂であった。
当主の義統様が領内を見回った際に村の問題をお聞きして、その解決のため参考になさろうとしているのだとか。
このとき私は頭を叩きつけられたかの様な衝撃を受けた。
私は……。
私は義統様の人となりを表面上でしか見ていなかったように思う。
ただ凡庸な置物として、支えてやらねばと経験豊富な上からの目線で見ていた。
お父上と母君に挟まれ何もできぬのだと、だから私が大友の舵を取らねばならぬのだと、いつの間にか見当違いな考えに私は囚われていたのだ。
何と独善的な想いだろうか。
それに比べて何だ!
義統様は己の足で、当主の責務をこなそうと足掻いておられる。
そこには若者らしい成長の兆しがあった。
私は……。
私は自分が恥ずかしかった。
地に足をつけ、真っ直ぐに伸びようとしている若き当主の姿が、自分の曲がった性根を正してくれた気がした。
私は悲痛な思いで視野が狭くなってしまい、加判衆を好きに動かせることに浮かれ始めていたのだ。
大友のためだと思い権力欲に染まるところであった。
義統様と共に進むべきだと思った。
方針を誤ることがあるやもしれぬ。
だが間違いなく義統様の糧となる。
小姓が言うようなご様子であれば、責任や決断力、当主に必要な様々なものを身につけられるに違いない。
そして今の大友は若き当主の誤りを許容出来るだけの余裕があった。
なぜすぐに考えつかなかったのか。
今山の戦いの後、家督を継いだ義統様は、御父上の助けもなく懸命に努めていらした。
苦難の中でも粘り強く行動できる御方なのだ。
支えて差し上げなければならぬ。
そう思った。
そして臼杵らから同意を取り付け、まさに船が出ようとしていた。
その時なのだ。
船出の前に考えねばならぬ、やっかいな議案が上がったのは。
邸宅で斎藤殿と吉岡殿がそろい。昨晩の厠での話について話し合うことになった。
「斎藤殿、あなたの娘婿はまるで危うい薬だな。扱いを誤れば己が命を落とす。弟が夢中になるのも分かった。戦見学に行ったはずが、そのまま参戦してしまうわけよ」
厄介な議案を持ってきた上野介のことを取り上げ、皮肉混じりに評した。
積極果敢で敵を恐れず、上に遠慮もない。
弟は共に戦ができ、さぞかし小気味良かったであろう。
弟の弥七郎(紹運のこと)は未だに子供のような奴だと思っていた。次男で自由奔放に育ったせいか、どこか軍記物語の登場人物のように生きたいと思っている節がある。
せっかく高橋家という由緒ある家を相続させて頂いたというのに、責任感が育っておらぬ様に思えた。
軍記物のように戦い、鮮やかに勝利し、あるいは華々しく散る。そうした子供じみた思いが根底にはあるのだ。
その思いは上野介殿という義弟を得て、落ち着くどころか酷くなっている様に思えた。
龍造寺の大軍を寡兵で破ったことなぞは、弥七郎の大好物に違いない。
外面は格好をつけて誤魔化しているが、それは軍記物の人物を真似て振る舞っているからに過ぎなかった。
なまじ才覚がある故に、家族以外に誰もそのことに気づかぬのだ。
弟の妻はそのことに気づいているのだろうか。
「申し訳ありませぬ」
非難したわけではないのだが、斎藤殿は私が危うい薬と呼んだ娘婿について謝ってきた。
「義統様を評定に呼ぶ前に、我らだけでも方針を定めねばなるまい。まずは毛利との約定だ。上野介殿は悪戯に虚報を用いる男ではないな?」
「無論に御座いまする」
心配を口にしたのは吉岡越中入道殿であった。
「毛利と盟を結ぶのであれば、毛利の東の尼子、浦上への援助を打ち切ることになります。問題は無いのでしょうか」
毛利との戦の際には、彼の父親である越前入道様が大内と尼子への援助を決めた。
その後に大内は敗れたが尼子は未だに戦っている。
大友の潤沢な資金の中から浦上を密かに援助するようになったのも、その方針を引き継ぎ、毛利の目を九州から東に向けるためだ。
同盟を結ぶのであれば不必要な助けになるだろう。
「尼子、浦上を見捨てることになる。大友の信用を損なう側面はあろうな」
「しかしそもそもの発端である毛利と盟を結ぶことが出来れば利は大きなものになりまする。遠く山陰の地の評判を気にしすぎるのは如何なものでござろうか」
これは斎藤殿の意見だ。
越前入道様の懐刀として長年連れ添った彼の意見は、実の息子よりも入道様のお考えに近いと思われた。
「まずは使者を出し、毛利方の意思の確認を取るよう評定で提案いたすとしよう。幕府に間を取り持って頂いてからでは、簡単に止めることは出来ぬ」
それが良いと二人が頷いた。
「次に波多攻めだが……、波多氏が孤立していることは裏が取れている」
波多氏の現当主、波多親は、有馬氏からの養子だった。
養子の立場は弱い。
養父が亡くなった後、側室の子が反乱を起こし苦労をしていた。
しかも家督相続の際にあってしかるべき実家、有馬家からの援助が得られなかったのだ。
反乱の鎮圧には、なおさら苦労しただろう。
養母実家からの協力のみで、なんとか家督争いを乗り切っていた。
さらには今山の戦いでは、実家の有馬家は参戦したにも関わらず、血が繋がっている波多親は参戦していなかった。
実の兄弟である今の有馬家当主とは顔も合わせたこともないらしい。
援助もなく、戦も共に立っていない。
いかなる理由か分からぬが、波多氏と有馬氏との縁は切れていると考えられていた。
今は慌てて関係を修復しようとする文が飛び交わっているらしい。
であれば好機に違いない。
「では……」
「うむ、こちらも議題に出してよかろう。兵数差があり、戦上手な上野介殿のお言葉だ。負ける事はあるまい」
「大軍を擁した今山で負けた事例もありますぞ」
斎藤殿が注意を促した。
兵数差がありながら、再び大友が負ければ義統様の名声は地に落ちるか。
確かにそれだけは絶対に避けねばならぬな。
「上野介殿の話ぶりでは自分だけでも勝てるというような話し方であったな。万一に備えて義統様は出立なさらずにいるのが無難ではなかろうか。豊前豊後の兵は出さずに肥前のみの問題として処理できるよう逃げ道を用意しておくのだ」
「しかしながら我が娘婿にこれ以上武功を立てられますと、大友にはいささか問題が大きくなると思われまする。なれば大将はやはり蒲池殿。さらに原田殿や紹運殿にも参戦を促し、功を分散させるべきで御座いまする」
二十五万石の上野介殿には参戦して貰わねば困るが、必要以上に功を立てさせたくはない。
これは大友の正直な意見だ。
「斎藤殿、よくぞ申してくれた。そのように議題にて取り上げようぞ。吉岡殿も異論ござらぬな?」
「御座いませぬ」
正月で人が集まっているうちに次の評定が始まる。
義統様の船出はずいぶんと風が強い出立となりそうだ。
だが強い風はしっかりと掴むことが出来れば、素晴らしい船出となり得るのだ。




