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ブラック九州戦国時代〜修羅の国の小大名に染まったら〜  作者: 逆川水府


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第127話 波多攻め

1573年8月 肥前 筑紫ちくし俊介広門


 偽銭は一から銅鉱山から掘り出して作るとあまり儲からない。


 そもそもが百円くらいの硬貨を量産しているような儲け方なのだ。

 加えて高価なすずを一割ほど添加する必要があった。


 戦国時代のすずは金銀と変わらないほど高価で、つまりそれだけコストがかかってしまう。


 現代でイメージすると百円玉に金を何%か入れて量産するような感じだろうか。儲かるイメージが湧かないのが分かって貰えるかと思う。


 そのせいだろう。日本で作られている粗悪な偽銭にはすずが含まれていなかった。そういった誰が造ったのかも分からない偽銭は、色が違って明らかな偽銭となる。


 俺が悪銭から良銭を作り出したのはこれが理由だ。長年の使用ですり減った大陸産の悪銭には、すずが入っているからだ。

 国産の悪貨もまとめてとかしてしまっているが、銅鉱石から作るよりも、必要なすずの量は大幅に削減できた。


 こうやって作られた良銭は信用を育み、信用は市場を大きくする。そして大きくなった市場は、新たな良銭を必要とする。


 いずれ太平の世が訪れれば、市場が何倍にもなって、俺がやるようなリサイクルでは必要な銭をまかなえなくなるに違いない。


 その時の政権はたいして儲からない銭作りに励むことになる。

 儲からないからくたびれ儲けな気になるだろうが、天下を統一するという事はそういうことだ。


 小銭でも市場で不足がないように、銭のインフラを整えなければならない。



 毛利の御用商人が技術者を連れて、筑紫で偽銭の作り方を学び始めたころ、大友と毛利の間で正式な同盟が結ばれた。


 義父が交渉経過を教えてくれなかったのでハラハラした。毛利の商人から、幕府の使いが来たとかの進捗情報を聞いていたくらいだ。


 義父がしっかり情報統制をしている証明だな。怖い顔で真面目な親父なのだ。


 同盟の知らせは『義統よしむね』の手による朱印状で知らされた。


 その中には毛利と勝手に争わないこと、揉めごとがあれば申し出ること。

 今後は義統よしむねの名で沙汰が下されること。


 そうした内容が記載されていた。

 文章通りであれば、毛利とは相互不可侵だけかな。いきなり突っ込んだ同盟にはならなかったようだ。


 正月からおよそ半年後、六月の出来事だった。


 大友領内にいた国衆の中には、秋月のように未だに毛利に期待していた勢力も残っていたと思う。

 だが毛利からの文も途絶えて長かったのか、反発もなかった。

 毛利を頼りにする事を諦めたのかもしれない。


 義統よしむねの最初の沙汰から、こうした国衆たちの様子を見て混乱がないと判断した大友は、八月に次の沙汰を下した。


 波多攻めの命令だ。


 六カ国守護である大友の命を無視して、今山の戦いに参戦しなかった、そうした名目で兵を上げたのだ。


 こういう事があるから、大大名の参戦要求には出来るだけ応えなくてはならない。


 波多氏にも理由はあったようだ。家督争いの真っ最中だった。

 だがその後に人質を出したり臣従を誓わなかったことに関しては言い訳ができない。


 波多攻めは俺の発案で始まる戦だ。負けるわけにはいかないと思った。


 八月というのが少し心配だ。軍勢を進めるには少し遅い時期だ。


 毛利との同盟も疎かにするわけにもいかず、その後の義統よしむねの沙汰で混乱がない事を確認して……、そうこうするうちに八月になってしまったのだろう。


 だが来年に後回しにするよりは良いと思った。

 常備兵が増えた筑紫であれば、冬を越しても戦いを続けられる。


 なにより相手の波多はこちらより準備出来ていない。


 そして波多攻めが始まった。



 総大将は蒲池かまち氏。兵は六千。


 次点が俺で同じく六千。

 実のところもっと兵は連れて来れるのだが、大将である蒲池氏より多くの兵を出すのは如何なものかという意見が家中に多く、配慮せざるを得なかった。


 なんともやりにくいことだ。

 その代わり一年以上鍛えた精鋭が主力だ。


 前から訓練の成果が見たいと思っていた。働き振りを見るのに良い機会だろう。


 戦端が開かれて一週間ほど経ち、すぐさま戦功を上げたのは紹運だ。前回も協力しあっていた原田と共に、唐津の港が一望できる鏡山を占拠した。


 鏡山は城こそないが博多津に対する旧立花山城のような場所だ。

 紹運の兵数は千五百。


 波多氏の東からは原田氏が紹運に付いて参戦。以前から波多とは小競り合いがあったようで、こちらも張り切っている。同じく兵数千五百。


 波多氏の西からは松浦党が改めて大友に従い参戦した。


 松浦は魏志倭人伝で名前が上がるほど古い一族だ(原田ほど記録が残っておらず確かな記録は平安から)。

 明治天皇の母方の先祖をたどれば松浦氏で、確かな古い血は朝廷のお墨付きである。高貴と言うには、今はだいぶ海賊に染まってしまっているが……。


 松浦『党』と呼ぶのは武士団の寄り合いだからだ。平戸松浦氏。宗家松浦氏といった別れている。


 そして今攻めている波多氏も実は松浦党の一つだった。別名は波多松浦氏。元々は同じ氏族なのだ。

 だが彼らは一致団結が出来ていない。


 鎌倉時代に分裂してから、この地域を統一しようと身内で主導権を争い続けている。


 それは大友が攻めて来たからと言って、今更仲良く出来ないほど根が深い問題だった。


 その松浦氏は今山の戦いには参戦しなかったが、今回の戦では旗色を鮮明にしてきた。


 宗麟の命は無視したのに、義統よしむねの参戦要求には従った。

 この事実は義統よしむねの名声をより高めるだろう。


 実態は今山では単に距離の遠さから参戦せず、今回の波多攻めはお隣の犬猿が相手なので喜んで一緒に叩きに来ただけであるが……。

 松浦のこういう行動は、実に海賊っぽいと思う。


 なんにせよ、これで波多氏は東西と南から同時に攻められる事になった。しかも今山の戦いの時とは違って、攻め立てる側の士気が高い。


 残った北は海だ。逃げ道もなく、助けも期待できない。


 戦が来年であったら、波多氏も松浦党と和解して協力を取り付けたり、実家の有馬氏との薄い縁を頼りに何とか味方を増やしたかもしれない。


 だが現状はそれが出来ていない。

 やはり今年無理をして攻めたことが利いていると思った。


 俺はこの戦で獅子ヶ城を抑えるように指示を貰った。堅城であるので落とさなくても良いらしいが……。

 落として文句を言われることはあるまい。

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