第121話 塩田
1572年12月 佐嘉城 筑紫俊介広門
塩に含まれるナトリウムは人体に必要不可欠な栄養素だ。人間の健康に薄く広く密接に関わっている。
安く大量の塩は生きるコストを引き下げてもくれる。食料の長期保管が分かりやすい例だろう。
赤味噌が流行ったのは、赤味噌が食されていた中部の人間が天下を統一したことも影響しているのだろうが、白味噌よりも長期保管が出来て、江戸以降は塩が手に入りやすくなったからなのもある。
醤油が江戸時代から発展したことも、安価な塩があったからこそだ。
こと人間の健康に関わるコストは、インフレデフレに関わらず、安く安定していればそれに勝るものはない。
俺の所領で目指す豊かさとは健康が第一で、健康のために衣食住があり、それはつまるところ寒さ対策と飯だ。
(本当は安全を第一にしたいのだが、戦国時代だからな)
寒さ対策で木炭と綿を普及させているが、飯の対策としてはまず、塩作りから手をかけた。
戦国時代中期までの塩田は粘土板の上に砂を敷き詰めた塩田を作り、人力で海水を撒いて天日干しする方法だった。
だがこのやり方は平安時代から変わっておらず改善の余地が大きい。
実際、俺が何もしなくてもそのうち入浜式という方法が開発される。その方法は東京ドーム何個といった広大な浜が必要だが、燃料消費が抑えられる良い方法だ。
大正時代にもたくさんの人が入浜で働いたという記録が残っている。
広大な塩田の様子を写した当時の風景写真は圧巻だ。まさに一面が田んぼなのだ。
百年以上そうした広大な場所で塩田が行われたので、全国の塩の名がつく地名のいくつかには、その名残がある。
塩浜とか塩竈とかかな。
今回、俺が導入する枝条架式は、入浜式をさらに発展させた方法だった。第二次大戦中にも採用されている。
燃料も人も広い場所も少なくすむ画期的と言って良い方法だろう。
作り方は、まず竹や木で大きなジャングルジムのように高く組んだタワーを作り、タワーのなかでたくさんの木の枝をぶら下げておく。
そして『ポンプ』で吸い取った海水を上からシャワーのようにかけ流す。
表面積が大きくなるため、海水が枝を伝わって下に落ちる間に水分の蒸発が進む。
そして凝縮された海水は次の貯水槽に流れ落ちて、第二のタワーで更に濃縮する。
二、三回タワーに流せば十分な塩分濃度になる。海の水を直接タワーに流すとゴミとかも流してしまうから、海水をいったん緩やかに川のように流して、網に引っ掛けて大きなゴミを落とす。
貯水槽で小さなゴミを沈殿させておく事もポイントだ。
透過膜フィルターが発明されるまでの短い期間にしか活躍することがなかった方法だが、凄まじく高効率な方法だった。
現代でも昔ながらの塩作りと宣伝しながら、少し割高で売って商業が成り立つほどだ。
簡単でいて、誰も思い付かなかった方法。こんなコロンブスの卵が近代になるまで実現されなかったのには理由がある。
それはポンプだ。高性能なポンプが発明されるには二〜三百年待たねばならない。
昭和の初期に各家庭の井戸に手押しポンプが普及したが、そのくらいのポンプが必要だった。
そしてこうしたポンプにはゴムが使われていた。ゴムという伸び縮みする特性が、ポンプ機構の僅かな隙間を埋めて、より上等な密閉空間を作るのに役立っていたのだ。
加えてゴムの材料といえば、ゴムの木だ。南米のアマゾン原産の有名な木である。
戦国時代ではとても手に入らないと思うだろう。
だが意外と身近な植物がその代わりとなる
……。
「こちらは木の樹液でしょうか?」
「惜しい。これは鼓草から得られた汁だ」
「鼓草?」
「春に黄色い花を咲かせて、綿毛を作って種を風で飛ばす、小さな花だ」
鼓草とは要はタンポポのことだ。宅之条が、あぁ、あれかと納得したように呟く。
「鼓草の茎や根を折ると白い液が出るだろう? アレをかき集めて軽く煮たものだ」
「よくぞ壺いっぱいに集めたもので」
「子供らが駄賃目当てに集めてくれたよ。戦後だからな孤児も多い。そんな顔をするな。ささ、よく見ておけよ。苦労して集めてくれたのだから」
ゴムの材料となる樹液は、実はゴムの木だけに含まれる物質ではない。大抵の動植物には含まれている。ゴムの木はその含まれる量が多いだけだ。
そしてゴムの成分を多く含んでいる身近な植物がタンポポだった。
高級ゴムをタンポポから抽出している企業もある。
「さて先ほどの鼓草の汁に薄くしたお酢を加えて混ぜる。この量なら少しでいい」
ねりねり、混ぜ混ぜ。
あっという間に白っぽい塊が出来上がる。
「固まりましたね」
「この塊をゴムという。貴重なものだぞ。ゴムが固まったら水っ気は邪魔だから、布に吸わせて綺麗にする。そして麺打ちの要領で薄く引き延ばす。最後に水で洗って、炉の余熱で低温乾燥させたら完成だ」
「意外と簡単ですな」
発展途上国でも手工業で作る事が出来る簡単な作業だからな。ただ不純物の混入が多すぎて耐久性に難はある。
「鼓草の白い樹液を集めるのが大変なくらいか。それで乾かして出来たのがこれだ」
あらかじめ作っておいた完成品を取り出して渡した。A3くらいの大きめのパッキンだ。
「伸び縮みしますな」
「そこが大事な特性でな。挟まれ、押し潰されてた際に、僅かな隙間を塞いでくれるのだ。そしてその特性を利用して作ったのがコレ、龍吐水だ」
心の中でドラ⚪︎もんの声真似をしながら取り出した。
龍吐水は江戸時代の消防に使われた人力ポンプだ。ただ当時はゴムが無くて密閉性が悪かった。
そのため水圧が弱く補助的な消防道具に収まっている。だがゴム付きに改良したコイツは主力に足る。
「真っ黒ですな」
「タールを塗っているからな。船も黒かっただろう。こっちじゃ黒船と呼んでいる。それで今、この桶には海水が入っているが、龍吐水を付けて動かすと、このように、龍の口からだな……」
「俊介様、龍の口をこちらに向けないで頂けますか」
ちっ、勘がいいな。
仕方なく職人が無駄に凝って作った龍の口を明後日な方向に向ける。
「まーこんな感じで龍の口から海水が遠くまで飛んで行くカラクリだ」
適当に飛ばすと十五メートルくらい飛んだかな。
「キャッキャ」
少し離れたところで、大坊に抱かれた櫂丸が面白そうに喜んでいる。寝てお腹いっぱいで連れてきたから、まだ機嫌が良い。
実はポンプが上手く動かなかったら、人力で海水を汲んでタワーを登らせる予定だった。
その場合は人件費が百倍くらい違ったかもしれない。
宅之条が固まって動かないので、出かけるぞと声をかけてスイッチを入れた。
日が沈むまでに見て回らないとな。
「ど、どちらまで行かれますか?」
「佐嘉城の南海岸だ。なに、歩いてすぐだ」
活気のある作業場所はいい。
新しい事業が形になるとこんな雰囲気になる。
何か新しい凄い事をしていると関係者の皆が感じると、ワクワクが相乗効果を示すのだ。
俺たちは櫂丸を預けて海岸にある塩田まで来ていた。
「こちらの大きな骨組みは? 塩田ではないので?」
「これが新しい塩作りのカラクリだ。あえて塩田という名で呼んでいるが、このカラクリを塩田と呼ぶように気をつけてくれ」
塩田と呼んでおけば商売仇は、従来の方式か、あるいはあと何十年かで開発される入浜式と誤解してくれるかもしれない。
「先ほどの龍吐水を使って上から雨のように海水を降らせているのだ。海水を浴びた枝は通常よりも乾きやすい。これを繰り返すと塩分が濃くなり、かん水となる。垂れてくる雫を舐めてみろ」
かん水はしょっぱくて苦い。海水は塩分3.5%、かん水は20%程だ。
もし伝統的な昔の梅干しを口にしたことがあるなら、それが20%くらいだ。
かなり塩っぱい。
舐めた宅之条が思わず商人の作り笑顔を崩してしまう。
それを見て俺が笑うと、やれやれ困ったものだと言われてしまった。
「このかん水を作るのに従来の方法だと土地がこの数千倍、木炭は七倍の量が必要になる。人も何十倍かな。宅之条、今、響屋では塩を相場のいくらで売っている?」
「およそ半額の値にしております」
「見た通り五分の一にしても足は出ないぞ。日ノ本中に塩を売ってくれ。まずは畿内だ。船の性能も分かったな。九州の南を通って、四国の南から畿内へ向かう販路を開拓する」
「瀬戸内の海を通らぬのですか?」
「畿内は日ノ本で最も人の数が多い。そこの塩は瀬戸内で作られているのだ。商売仇がいる海は通れぬ。邪魔されるのが目に見えておるわ」
瀬戸内海岸沿いの中四国の国の石高は合わせれば百万石を優に超える。
畿内で売られている塩は、この百万石の国々の資金源なのだ。
俺はそれを奪う事になる。
妨害は当たり前だろう。
江戸時代だと赤穂や伯方の塩が有名だ。どれも瀬戸内の国々だ。
俺はこうした、合わせて百万石の国が頼りにしている収入を得ることになる。
畿内に塩を売るだけで百万石の資金だ。
俺が満足するだけの収入が得られると期待している。
「船も塩も生産は軌道に乗った。あとは人さえ揃えば日ノ本の塩を独占することも視野に入る」
「独占、確かにこれだけ銭勘定に差があれば能うやもしれませぬ。ですが人が足りぬですか?」
「船乗りは専門職だ。畿内に塩を売るだけならば不自由はないが、いずれ船乗りが不足するようになろう。まぁ、任せておけ」
宗像から引き抜いたがすぐに足りなくなると想定している。海の男たちは商売が好きなくせに誇りがあって簡単に銭でなびかない。
やっかいな性格なのだ。
スクーナー式はその性質上、初心者が多くとも何とか船を動かせるのだが、一人か二人、絶対に熟練の船乗りが必要だった。
「博多からかき集めるので?」
「博多は博多で必要だ。その隣に良い船乗りがいる所領があるだろう」
「……松浦ですか。確かに外洋にも出るほど腕の良い連中ですが、海賊と変わりありませぬ。果たして従えられますでしょうか」
荒っぽい連中らしいからなぁ。下手すれば船ごと盗んで逃げ出すやもしれん。
「考えはある。それより宅之条は売り先の確保を頼む。安さだけでは難しい場合もあろうからな」
「お言葉で御座いますが、この値で販路を得られなければ商人の名折れです。お任せください」
そうか、頼もしいな。
さて、塩田タワーでかん水を作ったら、あとは煮詰めると塩になる。
だがここは従来と変わらない。見学の必要性も薄いが、せっかくだから見ていくか?
歩きながらそのように声をかけたが、宅之条は足を止めて下を見つめていた。
「俊介様……実のところ、本日は店を出て独立を願い出ようと、そのような気持ちで参っておりました」
なにい! そうだったのか。
わざわざ薦野の代わりに来ていたから、おかしいとは思っていたんだ。
自分の店を持ちたいのか。給料は十分に払っているし、資金が貯まったんだろうな。
もともと独り立ちをしていたのだし……。
しかし宅之条が居なくなるのは困る。
止められるかな。
金くらいしか出せないぞ。
「賃金を倍にするっ」
「ですが……」
宅之条は深々とお辞儀をした。
「このようなカラクリを見せられて辞められるはずも御座いませぬ。今後もお世話になりまする」
ほっ、良かった。もう少しで信用している部下を失うところだった。
「それはそうと賃金の方はお約束通り倍に増やしてくださいませ」
宅之条は商人特有のニヤリとした、まるで今までのことは全て手のひらの上であったかのように、時代劇の悪徳商人のような顔を見せた。
今までのやり取りが交渉の一環だとしたら、なんと恐ろしい奴だ。
店の利益が倍になったらな、と俺は誤魔化したが、すぐにでも達成するだろう。
ふっふっふっ、だがな。
それでも安いものだぞ。




