表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラック九州戦国時代〜修羅の国の小大名に染まったら〜  作者: 逆川水府


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/128

第119話 春秋を重ねる

1572年12月 佐嘉城 筑紫ちくし俊介広門


 龍造寺との戦が終わって一年半が過ぎた。来月には年が変わる。


 今年はじっくり富国に取り組めた一年だった。


 俺が春門と名付けようとした子供の幼名は櫂丸かいまると名付けた。今度は笑われずにすんだ。ホッとしたよ。


 そして一年のほどんどを港で過ごした。佐嘉城に落ち着くことが出来たのは最近のことだ。


 港と造船所の整備に約一年、船の建造に半年かかった。それなりに大きい船は、作り慣れても建造に三、四カ月かかる。

 教えながらであればこんなものだろう。


 俺は港近くの田舎の一等地にコンクリート壁をこさえて、小さな館まで立ててもらい住み着いていた。

 するとキノコの様に周囲に建物が増えていくから面白い。


 だいたいは家臣の仮家だ。


 明るいうちは現場で体を動かして、暗く成れば館で細かい設計図を書き足したりしていた。


 苦労して建造した船はスクーナー型帆船と呼ばれるタイプだ。前世で死ぬときに乗っていた船だな。幕末にロシア人の指導の下で作られたと伝わっている。

 俺はこの船の再現プロジェクトの中心として携わっていた。


 日本人が洋式船を本格的に学んだ最初の船であり、この船の登場後、日本の船がほとんどスクーナー式に切り替わったほど優れている。


 その結果、大坂から東京への船旅が半分以下にまで短縮された。


 世界中で数万隻は作られ、内燃機関が普及する大正時代までは日本の主力船だったのだ。


 これを二隻建造した。


 全長二十五メートル、幅七メートルの中〜大型船で、大きさは一般的な安宅船と同じくらいだ。いわゆる千石船にあたるサイズである。


 作り慣れれば二千石の大型船にもチャレンジしたいな。その大きさになると泊まれる港が限られてしまうけれども……。


 七十人ほど乗せることができ、交代の人員も含めてたったの十人で操船が可能となる。少ない人数で多くの荷物を運べて早い、そして外洋でも浅瀬でも航行できる。


 向かい風を荷物を持った状態で走って安宅船に負けることが無い。つまるところ非常に優秀な商船なのだ。


 ただし戦闘は苦手で帆が破られれば動くことはできない。もし戦うのならば速度を活かして近づけさせず、遠くから攻撃する手段が必要になる。


 片側四門ずつ大砲を乗せることは出来る。が、現在の状況で大砲は難しいかな。

 ただ大砲さえあれば逃げながら戦って負けることはないだろう。


 このスクーナー型帆船ならば博多~若津をおよそ一泊二日で航行できる。

 同じ航路を繰り返し、夜間航行の訓練も兼ねて航海させている。


 夜間航行が普通に行われるようになるのは江戸後期からだけどな。羅針盤とこの船があれば可能だ。


 二百トン近い荷を載せられる船が、半日で百五十km進むのだ。

 安宅船であればたったの五十kmだ。


 江戸の弁才船べざいせんがスクーナー式へ切り替わる訳だよ。

 室町の安宅船とは三倍の速度が出せて、船員も十分の一程度で動かせてしまう。


 毛利と大友との戦では、万人単位の人間が補給を担っていたが、この船であれば一隻で十万人の人間を二日ほど食わせてやれる。

 飼葉や矢玉、トラブルを考慮しても十隻もあれば十分補給をになえたはずだ。


 そうすれば輸送部隊から兵を引き抜いて一万人は前線に送れた。制海権の重要さを感じるな。



 琴音は赤ん坊が小さいうちから、俺に付いて港で一緒に過ごすようになった。いつの間にかここでは前の方と呼ばれるようになっている。


 前の方の『前』は、前の海の『前』だ。


 有明海の名称は近代になってからで、筑紫海ちくしのうみと呼ばれることが多い。そして本当に地元の人間になると、すぐ目の前にある海、つまり前の海と呼んでいた。


 前の海によくいる女性、だから前の方だ。



 孫大夫はすぐに祝言を挙げた。

 嬉しそうで良かったな。今では仲睦まじい夫婦だ。


 初陣も飾ったのだが、その時に龍造寺方から少し異議が入った。孫大夫は龍造寺の家に入ったのだから、筑紫の人間が初陣の面倒を見るのはおかしい、という主張だ。


 もっともであるが、ずっと可愛がっていた島もこの役目は譲りたくない。

 最初は百武らが怪我明けであったので俺は譲るように言ったのだが、外ならぬ孫大夫が百武らに世話になると言ってそのように決まった。


 知った仲よりも新しい家のことを重視した決断に、よく言った! と孫太夫を褒めたいところだったが我慢した。

 もう子供扱いしてはいけない。


 そして何度目かの戦では大きな結果も出した。

 佐嘉城から西、筑紫平野の端にある須古城という城。そこを守る平井という国衆が優秀な人物で、過去に二度も龍造寺に攻め立てらながらも城を守り、国衆として独立を保っていた。


 史実だと彼の弟を寝返らせたり、策謀を練って四回も攻撃してようやく落ちた城だ。生きていれば龍造寺隆信が隠居後に住む城でもあり、防御と利便性の両方を備えた良城だった。


 そこに俺の命令で孫大夫には付城を築いてもらった。

 コンクリートによる石壁があっという間に完成してしまう。始めて見れば衝撃だろう。


 普請の邪魔をしにきた敵は島が叩き潰した。

 こちらの人数の方が圧倒的に多いのだ。須古城に籠られるとやっかいだが、城から出て来るのであれば潰しやすい。


 しばらくして敵は降伏。これで孫大夫も箔が付いて認められただろう。


 この戦果には慶誾尼けいぎんにが一番喜んでいた。あの様子であれば上手くやっていけそうだ。


 祝言を挙げて、戦の合間にあちこちで水車も作って、孫大夫は今までで一番忙しかったはずだ。本当によくやっている。


 龍造寺から不満も出ていない。もう俺の贔屓目じゃないな。


 祝言と言えば原田氏の娘と弾正も祝言を挙げた。

 原田氏は共に戦で戦った弾正を大変気に入ったようで、向こうから是非にと言ってきた。


 弾正とは家庭について話すことはあまりないが、周りから聞く限りは上手くいっているようだ。



 島は戦の時間が多かったな。反乱する国衆を潰して回っていた。

 おかげで勝尾城の周辺と同じような感覚で、好きに土地をいじれる。農業区画も水利権もこれを機に最適化だ。


 爺は俺の弟の善吉郎の世話だ。

 成長して大友からは弟を人質に差し出すように言われるようになったが今更だな。病弱だと言って毎回断っている。


 どこかで断り切れない時が来るかもしれないが。幼いうちは手元で学ばせたい。


 実際は病弱どころかワンパクで爺を困らせているそうだ。

 史実であれば一騎打ちをするような男になる。すでに片鱗が見えている気がする。


 爺は孫大夫の世話もしたことがあるので大丈夫だと大言を吐いていたが、元気すぎて苦労しているようだ。



 薦野こものは博多で綿の収穫量を倍増させた。

 博多の町民が倍増し、人糞を集めれば肥料になると以前に話していたことを実現したのだ。江戸の様な町の仕組みになっている。


 こういう仕組みは町が成長しきる前に始めた方がスムーズだ。タイミングが良かったと思う。


 集めれば買い取ってくれるわけだから、協力する人間も多い。これで町も綺麗になる。


 ただし適切に処理しないと殺菌が不十分になるので、まだ人間が口にしない綿だけにしか肥料は使っていない。


 俺も話を知っているだけの素人だからな。

 他の作物に横展開するには現地で経験を積む必要がある。


 ただ水田よりも綿の方が肥料を必要としているから現時点で既に結果は出ている。綿は一度収穫して何もしないと、すぐに収穫量が半分ほどまで減ってしまう。

 ここに肥料を与えると半分どころか1.5倍くらいにはなる。


 何もしない場合と違って三倍近い差が生まれるのだ。


 綿が一般に広がったのは江戸時代からだが、すでにその数百年も前から日本に伝わっていた。

 何百年も日本で普及しなかった理由の一つが、肥料であると思う。


 肥料が用意できないため大量生産が難しく、そのため畑を隠して少量生産で高価格という戦略を取らざるを得なかったのだ。


 俺は綿をガンガン作るぞ。安く作れればそれだけ手に入りやすくなり、健康度の向上、カロリー消費の低下、冬の暖消費の低下。他国の綿収入も減るし、船の帆には使えるし、良いこと尽くめだ。


 偽銭の収入には限界が見えてきたので、綿の収入はありがたいのだ。


 偽銭は百円玉を量産するようなものだ。八千石の所領には過ぎたものだったが、十万石になると少し足りない。

 だから博多の兵には常備兵を用意できなかった。博多では種子島と馬を用意するのが精一杯だったのだ。


 二十五万石になれば偽銭に代わる収入の柱が必要になる。常備兵が欲しいなら他の収入が絶対必要だ。


 偽銭と綿の儲けだけでは理想に足りないため、新しい商売に取り掛かることになる。



 鍋島はあれから直ぐに声の震えは無くなったが、完全に回復することはなかった。声量が出ないため戦場からは引退だ。

 評定でも声が聞きづらいので、鍋島が話し出すと皆の会話が止まる。なかなか愉快な現象だ。


 龍造寺の配下では百武と江里口が体を治し、島と一緒に戦に出て期待通りの戦果を挙げている。タフな男達だ。


 成富は鍋島と一緒に内政だ。

 成富と言えば、彼の息子が孫大夫に代わる俺の小姓こしょうとなった。佐嘉城降伏の際に、城中を案内してくれた子供だ。


 年齢も孫大夫と同じくらいで、名を千代法師丸と言う。


 後の世に治水の神様と呼ばれるほどの人物だ。世話をしてみて、なるほど頭も良いし根性も備わっていると思った。


 小姓をしていた二人には片手間で役に立ちそうな数学物理を教えていた。


 孫大夫がすぐ理解して覚えるのに対して、成富の子は一晩かけて頭に叩き込んで来る。


 孫大夫とは違って秀才型のようだ。

 二人とも昔の計算方法には戻れまい。


 昔取った杵柄きねづかか、俺は若者に教える事が気分転換になっているようだ。


 そして成富の子の千代法師丸は、孫大夫が戦場で活躍したので、対抗意識からか戦に出たいと言いだした。


 だがダメだ。

 こいつは信じられないほど問題児でもあるのだ。


 村の翌年に蒔く種を勝手に担保にして賭け事をして、見事に負けてしまった。

 一族から勘当しろと言われて父親が困っているところを俺が引き受けた。


 そんな青少年だった。


 根性を叩きなおすために特に厳しく躾けて欲しいと言われている。素行の悪い不良息子みたいだ。


 少し仲良くなって聞き出したが、種を賭け事に使ったのは馬が欲しかったからだそうだ。


 馬は今なら原付バイクくらいの値段がする。まったく不良息子というのイメージにぴったりだな。


 子供が買うには大変だと思うが、もうちょっと他に手段があっただろう。親に頼らなかった心意気だけは買うが……。


 成富が厳しすぎて、そうした非常手段を取ったのではないかとみている。


 川の氾濫しやすい箇所につつみを作るからアイデアを出せ、採用したら馬を買ってやる。そんな餌で今は頑張っている。


 後の世の治水の神様も今は十代の若者だ。

 彼を鍛えながら十年単位で治水事業を進めるしかないだろう。簡単そうなところから手を付けるつもりだ。



 明日は宅之丞が肥前まで、新しい商売の様子を見に来る。

 将来の展望を聞かれたから、そのうち利益が数十倍になるぞと教えてやったら慌てふためいて直接話をさせ欲しいと文がきたのだ。


 ふふふ、あの堅物が驚くさまを見るのが楽しみだ。

 きっとビックリする。

皆様ここまでおよそ30万字

長く読んでいただきありがとうございます。


書き溜めが無くなったので、今後は週二更新となります。

水、土の18時頃に更新予定です。


よろしければご感想、高評価を頂けますと嬉しく思います。

今後ともお付き合い頂けると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ