第114話 命の灯
1571年10月 勝尾城 筑紫館 筑紫俊介広門
「それで、話とはなんだ?」
爺が部屋を出ると、琴音の侍女である鈴が入れ替わりで入ってきた。
話があると聞いたが、琴音の表情を見る限り悪い知らせではなさそうだ。
「先ほど聞いたお話は、どこまでお父様に伝えても良いのでしょうか」
そう琴音に切り出されたが、これは本題ではなさそうだな。いつもの確認だろう。
近くの茶碗に手を伸ばす。
ずっと話をしていたので喉が渇いた。
「道雪殿を加判衆に押し上げようとする事、それと毛利に連絡を取る事はお伝えしないで欲しいな。上手くいくか分からぬものをお伝えすると無用な混乱を生む」
いずれ話すことなので知られても問題ない話ではあった。ただ上手くいかなければ肩透かしだ。
ある程度形になってからお知らせしたい。
「分かりました。改めご勝利おめでとうございまする。所領が大きくなるそうですが、どのくらいになるのでしょうか」
「ざっくり二、三十万石ほどかな。流石に多少削られるだろう。そろそろ沙汰が出る」
実はこんな風にまとまるんじゃないか、という話は義父から聞いていたが、最終的にどうなるかは沙汰待ちだ。
「その三十万石というのは俊介様にとってどれほど大きなものなのでしょうか」
今日は面白い事を聞いてくるな。なかなか難しい質問だ。三十万石。大藩ではないよな。江戸時代でも十藩くらいはあった。
有名なのは薩長土肥の肥前や、会津藩といった藩がそのくらいだ。
大藩ではないが上手く動けば歴史に名を残せる、そのくらいの大きさかな。流石に主役になって日本を主導することは難しいが……。
小さい藩ではないだろう。大きくもないが。
「う~む、ちょっと大きいくらいじゃないか?」
「ちょっと……ちょっとですか」
『ちょっと』、可愛い言葉だよな。琴音が現代の学生みたいに話すといつもそんな風に思ってしまう。
『ちょっと』という言葉は戦国時代でも使われていた。江戸時代に『ちょっとの言葉も交えることができない』と身分違いの恋を嘆いた歌もある。まるで現代ミュージックの歌詞のようだ。
琴音はちょっと考え込んでいたが、すぐに笑顔でお話しがあります、と言ってきた。
さっきの話はやはり本題ではないようだ。俺は茶碗を置いて姿勢を正し、話を聞くぞと背筋を伸ばした。
「赤子ができました」
「赤子か」
つまり赤ちゃんだな。誰の? お姉さんと紹運かな。目出たいが改まって聞く話だろうか。文でもいい気がする。
……いや俺かっ! 俺と琴音の赤ん坊しかいないじゃないか。
「でかしたっ」
近寄って抱きしめる。ああ、この時代だとはしたないんだっけ。だけど鈴しか見てないしいいや。
「よくやった!」
抱きしめながら背中をバシバシ叩きそうになったところを、慌てて優しく撫でる動作に変える。大事に、大事にしないと。
「よ、喜んでいただけますか?」
「もちろんだ。あたり前じゃないか」
俺は抱きしめるのをやめて、背中に回していた手を琴音の両手に重ねた。緊張していたのか、夏なのに少し冷たかった。
「良かった……」
すると琴音が泣き出した。
どうした。なぜ泣く。涙が止まらないのか下を向いてしまう。目を覆った手から涙が伝っていた。
「す、すみませぬ。少し不安だったもので」
絞り出すような小さな声だった。
これでは会話できそうにない。近くにいた鈴に目を向けて助けを求めると。
「琴音様の御懐妊が分かりましたのは二カ月ほど前のことです。俊介様とよく文を交わしていました」
確かその時期はいつもより文を交わしていたな。だが妊娠の話はなかったぞ。
孫大夫の縁談があったから、琴音のアドバイスに従ってお相手の玉鶴姫のそばまで何度も足を運んでいた時期だ。
あっ……。
もしやだが、俺は身重の妻に他の女を口説くような真似をさせてしまったのではないだろうか。
それなら合点がいく。ヤバい、最悪だぞ。
孫大夫との縁談のためだとは伝えて……いや、情報が漏れるのが嫌で最初は書いていなかった。
琴音は家族や豊前の知り合いとよく文を交わしているから……。
サーッと背筋が冷たくなるのが分かった。琴音の手を握っていた力が弱くなる。
「だ、大丈夫です。途中でお相手が孫大夫さんとだって分かりましたから。ただ、少し思い出しちゃって」
「すまぬっ。不安にさせてしまった。思慮が足りなかったな。もう他の女には近づかぬ」
「い、いえ、そうもいかぬでしょうから」
慰めたいが上手い言葉が浮かばなかった。
は、話を変えた方が良さそうだ。
そうだ子供だ。子供の話をしよう。
「いつごろ生まれるのだ。よく十月十日と話しに聞くが」
「もうすぐ五カ月で、順調にいけば生まれるのは来年の春頃でしょうか」
なんだか二人とも早口になっていた。
もう妊娠五カ月か。
戦が終わってすぐ、報告のために雨の中を立花城まで、馬を変えながら飛ばして向かったことがある。
梅雨の、しとしとと細い雨だった。
雨足が弱いので強行したが、思ったよりも体が冷えてしまった。
人肌求めて戦の興奮もあって、滅茶苦茶にした夜だ。
「あの時か……」
思わず口に出ると琴音がフフフと笑いながら、そうですと話してくれた。
こういう時に考えることは同じらしい。
だから立花城から出る時に輿を気にして、道中も休憩が多かったのか。
そういえば御付きの人間も増えている。
所領が増えるから単に相応の人数を雇っただけかと思っていた。
そうではなく、子供のことも考えて人を集めやすい博多で準備を進めていたのだろう。
後で鈴にも礼を言っておかねば。
「体は大丈夫なのか。立花城からここまで辛くはなかったのか」
「大丈夫です。だいぶ落ち着いてきましたので」
にこにこしながらお腹を撫でまわす様子はもう母親のようだった。着物の上からだと普段通りにしか見えない。まだお腹は目立ってはいないようだ。
まさかきつく締めていないよな。分からないから要らぬ心配をしてしまう。
「少し動くようになってきたのですよ」
「もう動いているのか」
俺も確認したい。
そう思ってもいいのだろうか。
「気になるのでしたら触ってみますか?」
「いいのか?」
この時代の夫婦の常識なぞ知らぬぞ。
「いいも何も、父親なのですから」
帯を緩めてくれたので、恐る恐る下着の上から触ってみる。琴音はほらっと動いた事を教えてくれるが、服の上からであるせいかよく分からなかった。
ただ幸せな思いだけは胸をいっぱいにすることが出来た。
「すまぬな。気づいてやれなかった」
「いえ、そもそも私が黙っていましたから」
確かに一緒に居なかったし、教えてくれなかったのだから俺が分かるはずもない。
だがやることをやっているのだから、頭の隅に入れておくべきだったな。やはり俺が悪いと思う。
「戦は終わったのにどうして黙っていた。経過が良くなかったのか?」
「落ち着くまではどうなるか分からなかったのもありますが、どうせならば直接お話ししたかったのと、すぐにお知らせすると立花城に置いて行かれそうで」
それは話して欲しかったと、あえて厳しい目を向けたが。
「そんなお顔をしてもダメです。絶対におそばを離れませぬので」
「いや、それでも教えて欲しかっただけだ。側に居てくれるのであれば安心できる。ありがとう。苦労をかけるな」
甘いかな。だけど夫婦でお互いがそれでいいと思えばそれでいいのだろう。
そうだ。さっきの最低な行為を弁解する方法を思いついた。
父親らしいところを見せるのだ。
「琴音、もし子供を授かったらと、俺は名前を考えていたことがある。男子だけだが」
「あら、なんでしょうか」
史実で俺の子供は栄門である。同人物ではないのだから違う名を考えねばならぬと思っていた。〇門と名付けるのが筑紫家の伝統であるらしい。
春に生まれるならば考えていた名だ。
「春門だ」
「春門……」
「そうだ。春を呼ぶ門だ。縁起も良い」
琴音は少し考える動作をしていたのだが、我慢ができなくなったようにフフフと吹き出し、袖で口を隠して珍しく声を上げて笑い始めた。
あれ、そんな変な名前だっただろうか。
「あはは、ふ、普通は幼名を考えるものです。あ、あはは、それが、な、なんで春門っ。ごめんなさい。あはは、よ、良い名前です。で、でも、なんで、ウフフフフ」
幼名……、言われてみればその通りだ。俺は威厳を回復しようとして慌てて変な事を言ってしまったようだ。
「アハハ、うふふふふ」
ジッとしていられなくなったのか、琴音は腹を抱えて笑っていた。
後ろで侍女の鈴がビックリしている。
きっとお腹の子もビックリしているに違いない。
少し、いやだいぶカッコ悪かったか。
だが、ばつが悪くとも琴音がこんなに笑う姿は初めて見る。
心地よい声だった。
好いた女の笑い声とはこんなにも心地の良いものか。
繰り返し聞きたいが俺は冗談が下手だからなぁ。
今の貴重な妻の笑い声を大事に耳にしていよう。
それにしても……。
今が人生で一番幸せかもしれない。
そう思えるほどに素晴らしい夏の日だった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
残りおまけの2話で2章が終わります。
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