第111話 二年前の若津にて
1569年3月 肥前 若津 筑紫俊介広門
これは今から二年ほど前、当主になって半年ほどたった頃。
平時に勝尾城から博多津まで物を運ぶルートは以下の通りである。
まず馬を二頭以上で大宰府近くまで物を運ぶ。たくさん運びたければ見張りを置いて往復してもよい。
荷物が揃ったら馬は二頭だけ残して返し、そこから御笠川を小船で下る。
川は博多湾に注いでいるので、流れに沿って運ぶだけだ。博多津に到着したら人足を雇って荷物を商店へ運ぶ。
博多に到着するまで、馬二頭は川沿いを歩かせるか、可能であれば船に乗せてやりたい。帰りに働いてもらうからだ。
帰りは下流から上流へ、流れに逆らって進む。
川の流れが緩やかな下流では、櫂や櫓を使って上ることが出来るのだが、上流に近づくと流れが早くなり、それは不可能になる。
そこで両岸に馬を立たせて船と繋ぐ。
あとは馬に船を引かせて上流へと進んでいくのだ。一見非効率に見えるが、こちらの方が馬の負担が少なく多くの荷を運べる。
馬曳きという世界中で見られた川を遡る方法だった。
人間の道のように、川の両岸に馬の道を整備すると往来の数がとても多くなる。
ヨーロッパは特にこういった水運が発達していて、現代でも当時の面影が多く残っている。
川の両岸が美しい並木道になっているのは、昔は馬が船を引っ張るための道だったからだ。
日本であまり見られないのは徳川が馬車や荷車を原則禁止にしたからだと見ている。馬車とセットの運用だからな。
片隠れの里から大量の銭、石鹸、帰りは悪銭、海藻と貝殻などが、こうやって運ばれていた。いつか自分の領地がこの辺りまで広がったら整備したいものだ。
今日は博多とは反対側、勝尾城から筑後川を伝って南側の下流にある港まで来ていた。佐嘉城から東へ歩いて一刻ほどの場所だ。
筑後川は広いし、この港は博多よりも勝尾城に近い。もしこの港が有用に使えるのならば荷の運びもずっと楽になる。
だからどんな港かと思い、実地調査のために大坊を護衛にやってきたのだ。ついでに自分の祝言が近いので、何か良い物がないかと探すつもりだった。
有明海に面していて、筑後川の河口にあるこの港の名は、『若津』という。
のちの久留米藩が整備し、江戸時代には筑紫平野の米をここから大坂まで運び、大変に賑わうことになる。
だが若津が最も賑わうのは明治時代だ。
大坂~若津の定期船があり、博多よりも繁盛していた。総取引額は博多と北九州の港を足したよりも多かったとされる。
主な商品は米、酒、そしてロウだ。
つまりこの三つを極めるだけで明治までは博多を超えるポテンシャルがある港なのだ。
酒もロウもいずれ作ってやる。
江戸の有名な旗振り通信では、日本全国へ米の値段がすぐに伝わっていたが、その通信の西の果てがここ若津でもあった。
だから今日は期待して来たのだが……戦国時代ではまだまだ小さな港だった。
「坊ちゃん満足できましたか」
「ああ、ありがとう。これは礼だ」
船を操って俺を乗せてくれた漁村のおっちゃんに謝礼を渡す。
水深が知りたくて朝早くから夕方近くまで、海底を棒で突いていた。
有明海の潮の満ち引きは日本一だ。水深が浅いと大きな船が入ることが出来ない。港として開発するのは難しいのではないかと思っていたのだが、意外と水深があることが分かった。
たぶん筑後川の近くで豊富な水量が流れ込んでいるからだ。干潮でもない限り船の出入りは出来そうだった。
「おい、小僧。何をしていた」
陸に上がるとすぐに鋭い声を掛けられる。大坊が警戒の態勢をとって俺の前に立った。
話しかけてきたのは立派なお侍だった。三十歳くらいか。耳と鼻が大きい。
腰の刀に手をかけて厳しい目でこちらを見ている。どうやら怪しまれたらしい。
「私は博多津の響屋という店の者です。博多津から船でこちらまで来た時に、船が座礁しないのか調べておりました」
事前に考えていた設定を話した。全くの嘘でもない。
「そうか、間者の類かと思ったぞ。商人の小せがれといったところか」
俺の姿と大坊をジロジロ見て納得したのだろう。手を刀から離して警戒を解いてくれた。
「孫四郎殿、響屋といえばアレですよ。最近よく話題にあがる、どんな悪銭でも引き取ってくれるという両替商です」
お付きの人が物知り顔で口を挟んできた。
「むむ、そうであったか」
はいと頷いて、俺は懐に手を入れ片隠れの里で作った偽金を渡す。商人であることの証拠と思ってくれるだろう。
「ふーむ。近頃は見慣れないほど形の整った銭だな。偽金ではないのか?」
「大陸で大きな墓が発掘されたとかで、日ノ本に大量の銭が流れてきている、とお聞きしています」
男はフーンと、興味なさげに銭を歯でガリガリしていた。
お付きの人間がこの男を孫四郎と呼んでいたな。鍋島直茂の通称だぞ。年齢も近い。
探ってみるか。
「大変に恐縮なのですが、お侍様はどちらにお勤めなのでしょうか」
「なに? そんなことを知ってどうする」
「身分のある方とお見受けいたしました。船が来ることになれば、ぜひご挨拶させて頂きたく」
商人の小倅の振りはこんなものでいいだろう。
「殊勝な心掛けだな。私は佐嘉城で世話になっておる。鍋島の名を出せば通して貰えるはずだ」
決まりだな。やはり鍋島直茂だ。
そして何が卸せる? と聞かれたので銭の他には石鹸、木綿なんかは安く卸せると伝えた。値が張ってもいいならば、博多津で手に入るものなら何でも、とも。
「種子島は手に入らぬか?」
流石に厳しいと伝えると、お付きの人がまた口を挟んできた。
「神屋に頼めばいいんじゃないですか? あそこなら手に入るでしょう。響屋の店主は神屋の倅らしいですから」
よく知っているな。
神屋という博多の豪商は、宅之丞の実家だった。本名は神屋宅之丞だ。
実家ではあるのだが、駆け落ちで家を出てから付き合いはないと言う。
「残念ですが勘当される形で今の店を開いたそうなので難しいかと思われます。実家の店を超えるまでは戻るつもりもないと話しておりました」
「商人の世も下剋上というわけだな。だがそれはいかぬ、いかんぞぉ。他にも大きな商家はあるだろう。なればせっかくの親子の縁、それを切ってしまっては勝てるものも勝てなくなる。小僧、店主にお家を大事にし、お互いに協力し合うように伝えるのだ。そして種子島をだな」
「孫四郎殿、そんなこと商人に言っても分かりませぬよ」
「むぅ、余計な世話であったか。だが武士も商人もお家が大事であるのは変わらぬぞ。ゆめゆめ忘るるな」
そう好きなだけ言って去っていった。
あれが鍋島直茂か、のちの佐嘉藩の初代当主。ああいう男か……。
「大坊、いこう。水深は問題ないが、港が寂れすぎている。これでは物が売れん」
この港、欲しいな。
筑紫平野は九州一の広さを持つ。別の平野としてカウントされているが、隣で繋がっている熊本平野も合わせれば、信長が支配する濃尾平野と同じくらいの広さだ。
勝手に合わせたらフェアじゃない? いやいや濃尾平野も静岡の平野と合わせているぞ。何が言いたいかと言うと、それだけ商業、農業圏が広いのだ。
港から売るものは明治の時期に実績がある米、酒、ロウだな。大量の米を作ることが出来れば全て可能になる。
そのためには治水を整備しなくてはいけないが、たくさんある小さな国衆が邪魔だ。自分もその一人なんだが、小競り合いが多い今のままでは治水なんて出来ない。
全部統一して、それから港の整備だな。
ここは可能性の塊だ。好きに出来れば日本でも五指の経済地域に……いや博多と繋げればもっと大きくなれる。
どうやって連携する? 高速道路? 運河? 金がかかりすぎる。
要は佐嘉、肥後熊本から短時間で博多まで繋げられればいいのだ。やはり船だ。足が速くて、波の高い外海でも安定して動けて、有明海の水深の浅い港にも入り込めるような優秀な船だ。
俺なら出来る。任せてくれればなぁ。
そんな風に思った……。




