第110話 慶誾尼の智謀
1571年5月 佐嘉城 成富甲斐守信種
『筑紫と大友との関係性をどう見る?』
紙にはそう書かれていた。
やはり孫四郎殿も思ったか。私も話をしていて最も気になった点だ。
筑紫は毛利との戦いののちに博多の所領を与えられ、今山の戦いでは大将の隣に陣を敷いていた。
そのため大友と筑紫とでは強固な信頼関係が出来ていると考えていたのだ。
だが亡き中将様は確信を得たかのように、東は筑紫の所領である勝尾城まで攻め上がるのだと方針を定めた。大友からの援軍はないと分かっていたかのようだ。
援軍が来たのは筑紫が有利になり、安全な追い討ちになってからだ。それもせいぜい数百。
守るための援軍は無かったのだ。
「筑紫は大友を大変に気にかけている。いえ、疑われるのを恐れていると感じました。
婚姻について二度と口にするな、私たちだけでなく周囲にも言わせるな、そう仰っていました。大変に強い口調でです」
『大友と明確に敵対している大名がいなくなる。領内を締めようと思えば筑紫は目につくだろう』
孫四郎殿がそう紙に書き出した。
私は頷いた。
筑紫と大友の間に私たちが思うほどの信頼関係はなかったのだ。
中将様はそれを見抜いておられた。
それは今山の戦いのせいなのかもしれず、原因を窺い知ることは出来ぬが、結果がそれを示していた。
毛利、龍造寺と大きな敵が存在しているうちは問題になっていなかったが、今後はそうもいかぬのだろう。
おそらく今後はずっと心に留めておかねばならぬ問題になると思った。
「領内を締める話で思い出しましたが、筑紫家は上野介殿の元で一つに締まっておると見ました。何と言っても孫四郎殿の様子を見た上で、この場で評定衆に加えると申したのです。重臣らに相談すらなく決断ができる。家内で大きな権力を有しているに違いありませぬ。であれば迅速に動けるのも納得です。此度の戦はあまりにも筑紫の動きが速いものでした。こうしたところに秘密があるのでしょう」
『筑紫は一日にして恐らく七城を落とした』
七城!?
いやその通りだ。
江里口が報告してきた『横武城』『直鳥城』『姉川城』『蓮池城』、そして『鹿江城』も落ちたという報告があった。
確認は取れていないが、恐らく草野氏から奪い取った『竹井城』も取り返されたに違いない。
そしてここ『佐嘉城』。全部で七城だ。
筑紫の攻勢が始まったのは昼を過ぎてからだ。正確には半日で七城を落としたことになる。
古今東西でもなかなか聞いたことがない。
武者震いがした。
なるほど、勝てぬ訳だ。
『見事也』
孫四郎殿が力強い字で主張してきた。
「はい、新たに支える主人として申し分ありますまい」
私が頷きながら答えると、孫四郎殿も満足したかのように頷かれた。そして
『私はもう戦に出ること能わぬだろう。だが内務にあたっては戦のごとき魂魄を擦り減らしてでもお仕えいたすつもりだ』
話を終えようとしたその時、ドタドタと深夜に似つかわしくない足音が城内に響いた。
小姓をしていた息子の千代法師丸が、慶誾尼様がお見えになったと伝えた時には、その大きな体は大部屋に入って来ていた。
そしてドカッと、先ほどまで上野介殿が座っていた上座の畳の上にお座りになる。
灯りを手にしており、それを置くと部屋の雰囲気が明るく、しかし影が濃いものに変わった。
「これは慶誾尼様、人質の役割はいかが致しましたか」
まさか黙って出てきたわけではないだろうが、このお方の場合は有り得る事なので確認せねばなるまい。
「筑紫の大将が戻ってきたんで、こんな所で寝られないと言って帰らせてもらったよ。玉鶴がいれば十分だろう。向こうの大将と懇ろになるやもしれないからねぇ」
「慶誾尼様、それが……」
私は話せない孫四郎に代わって、先ほどまでの会合の内容を詳細にお伝えした。
「そうかい、玉鶴に興味を示さなかったかい。そんな感じはしていたがね」
「縁談相手は熟考してくださるとの事です」
「筑紫の親族か、重臣が良いとこかねぇ。私が玉鶴だったら大将の部屋に押し入ってしまうとこだがね。あんないい男をモノにできるのかもしれないのに。見る目もない、機も分からない愚かな孫だよ! まったく」
困ったことだ。
そうした強引な物言いが二人の孫娘の反感を買っているのだと度々申しているが、一向に治る気配はない。
尊敬する御方ではあるが、お家の事となると強引に物事をお考えになりすぎる。
実際に慶誾尼様は孫四郎殿の父親の元に、新しい伴侶を紹介してやると言いながら、自身が押し掛けて女房に収まった経歴がある。
「ま、夜に押し入って何とかなりそうな若造じゃなかったわね」
「筑紫の当主をどう見ましたか?」
孫四郎殿も亡き中将様も見出し、後押しした女傑だ。私には分からぬ才覚を見抜いておいでのはず。
ぜひ人物評をお聞きしたいところだ。
「ふん、あたしゃ気に食わないねぇ。頭だけ良くて人を馬鹿にしてそうな男さ。こちらの意図を散々見透しやがる。肝は据わっているんだろうが涼しげな顔で、まるで可愛げがないってもんさね。絶対に旦那にはしたくないよ!」
先ほどまでいい男と言って孫娘を嫁がせようとしていたのではなかったか。
おそらく才覚ではなく気が合わないと仰りたいのだろうが。
「わたしゃ孫四郎に似ていると思ったわね」
孫四郎殿と……、思わず隣にいる孫四郎殿の顔色を窺ってしまう。
珍しく戸惑った顔があった。
「孫四郎から可愛げを取ったらあんな男になりそうさ」
「孫四郎殿が、可愛い?」
「そうさ。覚えていないかもしれないがね。まだ十代だったこの子は可愛かったさね。何事にも必死で頑張る、いい子だったよぉー」
当時を思い出したのか笑顔で仰る。孫四郎殿はどこか恥ずかしげだ。
目と頬が赤くなっていたのが灯りで分かった。
何年もの付き合いであるのに、今日は孫四郎殿の珍しい姿を拝見する日であるな。
「だからこの子の母親になってもいいと思ったんよ。だがね、あの筑紫坊やの可愛げの無さは筋金入りだね。これを嫌うやつは必ずいるよ。わたしに限らずね」
こうした慶誾尼様の人物評は鋭い。
「いますか? 我らは頼りになる当主とお見受けいたしました。ただ話していて大友との仲は必ずしも良好でなさそうな気配は致しました」
「ふ~ん。それならひと騒動はありそうじゃないか。何が起こってもうちの家の誰かれに好機が訪れそうだ。信周は大友で立派に人質をやっていて、信用を得られそうだと文を寄こしてきたよ。息子も向こうにいるし、今回で殺されなかったのなら宜しくやれるだろうさ。於安は小田に骨を埋める腹積もりのようだし。玉鶴と孫息子の二人は筑紫に世話になることになる。はてさて誰が残るかねぇ」
すると黙って聞いていた孫四郎が何か紙を差し出してきた。
『筑紫で残るかどうかは我らの活躍にかかっておりまする』
「いいことを言うじゃないか。わたしも孫が大きくなるまで死ねないってもんさね。やだねぇ、家兼の叔父様のように九十超えても働かなきゃいけなそうだ。だがね、大友と小田は天運にあらがう気概が無さそうに見えるね。自ら時勢を起こそうとしているのはウチと筑紫だけだ。それが一つになった。当主は若く才覚も申し分ないんだろう? 戦の働き甲斐があるというものさ。ねぇ孫四郎」
だからさっさと体を治しな! と発破をかけて仰られた。奮気を見せねば治るものも治らぬのだと言う。
確かに今晩の孫四郎殿はどこか元気がない。ただそれは私も同じか。
まだどこかで中将様が亡くなられたことを信じられぬ気持ちがある。
あの豪気で恐ろしかった声を二度とお聞きすることがないと思うと、どこか寂しい気持ちがあるのだ。
「慶誾尼様、中将様の御首は?」
「……持ってきてるよ」
初めてお目にかかる豪華な首桶から中将様のお首を取り出し、私と孫四郎は別れの挨拶をした。
「中将様、どうか御安心下され。残る者共は、私どもが最後までお守り申す」
この時に慶誾尼様が隣でおっしゃっていた言葉を私は二度と忘れないだろう。
「わたしは長法師丸は大きな波になると思っていたよ。肥前を飲み込む大きな波にね。その見立ては今も変わっていないよ。ただもっとでかい波に当たってしまっただけさ。波は一緒になってもっと大きく、肥前を超えてとても大きく飲み込んでいくに違いないよ。一緒に大きくなっておくれ」




