第109話 深き夜
1571年5月 佐嘉城 成富甲斐守信種
夜深く一日が終わろうとしている。怒涛のような一日であった。
中将様は兵を率いて勝尾城を攻めている最中であり、私は城で留守を仰せつかっていた。そして城攻めは順当であると、つい先日報告を受けていたのだ。
それが日の高いうちに早馬が来た。
甚大な被害を受け、退却をすること。兵の受け入れ準備と、城の守りを固めるように、という指示であった。
佐嘉城では警戒態勢を整えたまま食事と寝床の用意、武具の点検と負傷兵を受け入れる体制を整えていた。
だがいつまでたっても軍勢が戻ってくることはなかったのだ。
不安が城内で高まりつつある中、代わりに戻って来たのは負傷してまとまりも欠け、息も絶え絶えになった兵たちだ。
数十人の兵を連れて帰った武将の百武は体中に銃弾を受けており、急いで治療を施したものの今も生死の境を彷徨っている。
筑紫に被害を与えることなく中将様と太郎四郎様(政家)が討ち取られてしまったと、気絶する前に我らに伝えてくれた。
そして日が沈むと暗闇に紛れて武将の江里口が帰城。火傷が酷く、今は高熱を出して寝込んでいる。こちらも倒れる前に成松が討ち取られたこと、逃げる途中で『横武城』、『直鳥城』、『姉川城』、『蓮池城』が落ちたのを見聞きしたと伝えてきた。
そして二人とも後のことは任せる。龍造寺を守ってくれと訴えてきた。
だが負傷兵が暗闇に紛れて帰城するたびに、守備の兵が同じだけ逃げ出してしまう。
もはや城が持たないことが明らかなると、私と孫四郎殿は降伏せざるを得ないとの結論にいたった。
龍造寺を守るためには佐嘉城と独立を捨てねばならぬと判断したのだ。
二人が目覚めた時、私たちの判断をどう言うだろうか。罵るだろうか。
だがもう龍造寺家を一つにまとめられる人物は少ない。中将様の二人の御子はまだ十歳にも満たぬ年齢で強い後見人が必要だ。
あるいは玉鶴姫の元へ誰か婿入りしていただくか、鑑兼様に継いで頂くしかないのだ。
ただ鑑兼様は中将様と家督を争って敗れた際に、二度と家督を求めることはしないと誓って命を許された経緯がある。
一度家中を混乱させたにもかかわらず、誓いを破って再度擁立したところで皆が認めるか怪しい所だ。すでに当主の器ではないと見限った家臣も多いであろう。
かえって混乱する可能性の方が高いと思われた。
なれば玉鶴姫を差し出し、筑紫に中将様の幼い御子の後見人になっていただく、というのは慶誾尼様のお考えであった。
更にどうせ降伏するならば、と一計を案じて夜の城に誘き出す案は孫四郎殿のものだ。
慶誾尼様も単身で乗り込んでくるような肝の大きい男であれば、無条件に頭を下げてもいいと仰った。
ただし、馬鹿者であれば首を刎ねてしまえとの言葉を添えて……。
はぁ。
日が変わろうかという深夜、手元の灯りすらない大部屋で、私は一人ため息を吐いてしまった。
いや一人ではなかったな。講和の後、私が残って思案したいと言うと孫四郎殿もここに残ったのだった。
孫四郎殿は飲み物すら持たずに、私の思案が終わるのを待っていた。
話を切り出すのを待っていたに違いない。
「孫四郎殿、私は貴殿に謝罪せねばなるまい。同じ重臣として貴殿の心の内を何も分かっておらぬのだった」
先ほどの孫四郎殿を思うと少し話しずらかった。だが月の光だけの暗闇と筆談による会話が、照れ臭さを優しく覆い隠すようだった。
気にするなと言うように軽く手を挙げられ、話を変えるように一枚の紙を差し出された。
『評定衆に任じられるとは思わなかった』
「はい、驚き申した。今の孫四郎殿のご様子を見ていきなり評定衆として召し抱えて頂けますとは……」
孫四郎は筑紫上野介殿と今山で直接相対したと聞く。互いに多くの戦死者が出たのだ。そして最後は孫四郎殿が大将を討った。
筑紫側は恥をかかされたと恨みに思っておかしくないが、そんな様子は出さなかった。
隠しているのではなく本当に恨んでいないのではないか。そうでなければ評定衆に抜擢するはずがない。
隣に座る孫四郎がゆっくりと頷く。
そして差し出された紙には短く、『お主はどう見る』と書かれていた。
こうした筆談を始めて何か月も経つ。慣れたものだ。
「お恥ずかしながら。私のごとき凡夫では理解に及べないほどの人物だと感じました」
なぜ敵の城まで入ってきたのか。危険の方があきらかに大きいのだ。
だが孫四郎殿の心を掴んでしまわれた。
「しかしながら疑いの余地がないことがあります。筑紫は残った我らを重要視している、ということです。中将様の遺児を責任を持って引き受けて頂けるとのこと。これは大きな僥倖ですぞ」
上野介殿、いや殿は尋常でない人物としか言いようがない。
私が一人で仕えることになったのならば困惑して過ごすしかなかったであろう。
幸いに孫四郎殿は相感ずるところがあるようだ。それが救いであった。私は補佐に徹すれば良い。
『龍造寺のお家の事をよく存じておられる』
その通りだ。若武者であるので降伏の際に龍造寺のお家事情を考慮しないのではないか、そう懸念していたのだ。
器量良しの玉鶴姫を先に見せたのも、筑紫上野介の年齢を鑑みて、慶誾尼様が仰ったことだ。
姫の容姿に気を取られるような暗愚であれば、何も考えずに城に来るような暗愚であれば、お家事情を考慮できない暗愚であれば……。
その時は天井と床に潜ませていた忍びを動かす予定であった。
「はい。単に大胆な人物という訳ではないですな」
『随分と先までを見通していると思った。頼りになるお方だ』
「そうですな。玉鶴姫の婚姻の提案は軽率で御座いました。我らの提案を聞いて頼りないと思われたやもしれませぬ。しかし既に縁談の相手を考えているとは。前もって想定していなければ出来ぬことです」
孫四郎殿が全くだと頷いたが、満足していた顔が突然に鋭くなった。
『筑紫と大友との関係性をどう見る?』
紙には震えていない字でそのように書かれていた。




