第108話 龍造寺のお家事情
1571年5月 佐嘉城 筑紫俊介広門
成富がスラスラと意見を述べるから察するに、二人はだいぶ事前に話し合っていたに違いない。
口がきけぬから当然ではあるが。
「よかろう。全員受け入れる。悪いようにはせぬ。だが今日はもう遅い。明日の朝に人質を連れて兵を入れる。全員武装解除しておけ。他に何か伝えておきたい話はあるか」
「臣従を御認め頂き、かたじけのうございまする。左様であれば於安姫を娶っては頂けませぬか。そうして頂けますと兵らも安心いたしまする」
良かった。望みを口に出してくれたか。
察してくれと示唆されても他家のことだ。思いもよらぬ希望を持っている事もある。
ただ二人とも周到に準備していたみたいだからな。そろそろ話は終わりだという雰囲気を示せば、慌てて話を続けようとすると思っていた。
しかしせっかく述べてくれた希望であるが、これには答えられない。首を横に振って短く否と答えた。
於安の方は新九郎と婚姻を結んでいる。しかも今回の戦で協力してくれているのだ。離縁を要求することはできない。
こんな無茶な要求をするということは、この二人は俺と新九郎との協力関係をまだ知らんのだな。
ただ保護した者とされた者としか思っていないようだ。
新九郎はかなり大らかな人物だったが、旧領地の領民が小田の支配下に戻りたいと思っている事を知ると、積極的に協力してくれた。
彼が妻の於安に頼んだことで、龍造寺へ助けを求める偽の手紙を出すことができ、勝尾城へ誘いだす助けになったのだ。
また於安の方が簡単に承知してくれたので、薄々そうでないかと睨んでいたが、彼女は龍造寺に愛想を尽かしていた。
家でどういう扱いをされていたのか少し気になるが、実家に戻る意思はないとはっきりと述べたのだ。
ならば龍造寺と縁を深めるために再婚させでもしたら、俺を恨みに思うはずだ。
二重の意味でありえない婚姻だ。
「であれば玉鶴姫は如何でしょうか。大変に器量良しで御座います」
声に力がある。こっちが本命か。
さてはそれで俺に顔を見せに来たのか。小細工をする。だがこれにも首を振った。
二人は目に見えて落胆を示す。
こいつら筑紫の状況を分かっていないな。琴音と離縁できる状況じゃないんだぞ。
お前たちが欲しくてここまで来たのに、思ったより戦馬鹿だった。九州で会った武将のほとんどがそうだ。
まぁいい、混乱と怪我のせいだと思ってやる。
「鍋島殿、成富殿。筑紫は龍造寺を併呑したのち、周りの国衆を臣従させまする。さて、どれだけの国衆が臣従するとお思いか」
二人は互いに顔を見合わせると、鍋島が頷いてみせ成富が答えた。
「筑紫と龍造寺の間にある国衆は全て降るでしょう。また今回の戦で当主や嫡男を亡くした国衆も降るかと。しかし西肥前の国衆らが再び大友に臣従するかは難しいと思われます」
「そうだな。だが西肥前が臣従しなくとも、筑紫の平野は俺の手中に収まる。二十万石といったところか。博多と合わせれば三十万石だ。大きくなるな。大友配下で最も石高が大きい蒲池家でさえ二十万石なのだ。さて大友本国は三十万石にもなる筑紫をどう思うかな。よくやったとお褒めの言葉を頂けるかな」
成富は黙った。口に出しにくい話題だ。それでいい。
その時に開いた襖から風が入って灯りが消えてしまった。
だが緊張のせいで誰も灯りをつけようとはしない。
月明かりだけが、かろうじてお互いの姿を照らしていた。
「大友に縁がある今の妻と離縁することなど有り得ぬ。大友は大名同士の勝手な婚姻を禁じている。許可いただけるとは思えぬな。分かるか。俺は今まで以上に大友本国に遠慮せねばならんのだ。二度と口に出すな。二度とだ。周囲にも言わせるなよ」
嫡男が生まれないうちに側室も避けねばならない。もし側室を設けて、その子に男子が生まれたらお家騒動になる。
俺の周囲は大友に良い感情を持っていない。担ぎ上げる家臣が出てもおかしくないのだ。
急に大きくなった家によくあるパターンだった。
「り……ゥ……っ、……あ……」
鍋島が口を震わせながら何か紙に書いて示してきた。字は震える指のせいだろう、歪んでいた。
『龍造寺へ心を配って頂けませぬか?』
「大友を刺激しない限り格別の配慮を行う。そうでなければ単身でここまで来ぬわ。俺は居城を立花城から佐嘉城へ移すつもりだ」
「佐嘉城を取り上げまするか」
「そうだ。俺が筑紫平野を豊かにする。そのためにこの城が必要だ。ゆえに居を構える」
博多は周囲に敵がいないので安定し、栄えつつある。もう任せても大丈夫だ。だが佐嘉城は違う。西肥前に大友へ臣従しなさそうな大名が多くいる。
俺が上手く治めていないと見れば国衆を取り崩しにかかるだろう。
この地に腰を据え、直接治める必要があった。
「おぉ」と成富は安心した表情を見せたが、鍋島の心配そうな表情は変わらない。
成富の表情を見るに佐嘉城は龍造寺の優先順位の一番ではなさそうだ。
ならば佐嘉城は譲らん。
「それと鍋島殿は評定衆に加われ。成富殿も補佐に就いて同席せよ。玉鶴姫の縁談も俺に考えがある」
「上野介様、いえ殿。御礼申し上げまする。安心いたしました。ただし玉鶴姫様のお相手はお家の大事に御座りまする。何卒慎重にお取り計らい願いたく存じます」
「分かっている。残った中将殿の御子はまだ小さいのだからな。無理強いもせぬよ」
成富が礼を述べる横で、やはり鍋島の緊張した表情は変わらない。
玉鶴姫の縁談や隆信の遺児を案じているようだった。
考えてみれば当たり前か。
この場において降伏したということは、目の前の勝利ではない。龍造寺のお家を残す事こそ彼らの大事としたのだ。
すると最優先事項は玉鶴姫と二人の小さな息子か。
よし分かった、任せろ。三人とも俺が面倒を見てやる。
それで信任を得られるなら安いものだ。
「鍋島殿、成富殿。今晩この時をもって、お互い過去のことを水に流すこと能うだろうか。筑紫にとっても、龍造寺にとっても、それがお互いのためになると思うのだ」
『問題ありませぬ』と鍋島は筆談で応じてきた。
「評定に呼ばれることなれば無論にございまする。過去を掘り返すことは致しませぬ」
成富も頭を下げてきた。大丈夫そうだな。
俺の親父も、祖父も、たびたび龍造寺とは戦を起こした。逆に少弐氏を潰すために協力したこともある。
昔から一方的に恨むだけの関係ではないのだ。
「そう言ってもらえると助かる。俺も過去を水に流すと誓おう。何しろ俺は父上を自害に追い込んだ義父殿と、今でも良好な関係でいられるような男だ。恨みつらみはせぬぞ」
だから心配するなと、ハハハと笑って言ったのだが二人とも顔が引きつっていた。
ジョークで話を締められると思ったのに……そうか、この冗談はダメか。
戦国時代には良くある話だと思っていたが……。
冗談は失敗してしまったが、スタートの配慮はこれで大丈夫だろう。あとは肥前を豊かにして民衆の不安も無くしていく。
ただそれは少し時間がかかる。だから玉鶴姫の婚姻は急いで進めるつもりだ。
新しい支配者が地元を気にかけている、それを実感するのに良いイベントにするのだ。
お相手候補は孫太夫だ。美人な年上好きだと俺は気づいているぞ。たまたまだが条件にピッタリだ。
爺を説得しないとな。
「ぉ……の……っ」
うん、うんと将来を考えて俺が一人納得していると、鍋島が震える声で何か伝えようと急ぎ筆を動かしていた。
『殿が城の中まで参ったのは如何なるお考えであったのか』
紙にはそう書かれていた。
「お前が欲しかったからだ」
すぐさま答えると鍋島の目が大きく開いた。
はっはっは。今度こそ驚いてくれたか。
間髪容れずに答えてやったからな。
『お戯れを。殿の冗談好きは分かり申した』
「冗談のつもりではないのだが……。お主も思うところがあったからこそ呼んだのだろう?」
「……」
俺が、そういう事をする奴だと何となく感じていたはずだ。そうでなければ呼ばなかった。
「筑紫平野を豊かにする。そのためにはお前たちが必要なのだ」
「……それだけとは思えませぬ」
成富が頭を下げながら話した。
鍋島はこちらを真っ直ぐに見つめている。
上手く説明するのが難しいな。ゆっくりと言葉を選んで紡いでいく。
「そうだな。お主たちのような利口な人間が、無茶な要求をする時、そうせざるを得なかった理由があるものだ。……残った重臣で健康な者は成富だけか?」
「はい」
沈痛な面持ちで頷いた。
「そうか。それは不安であったろう。城の守りの様子、そしてお前たちからの要求を聞いた時、俺は苦しんでいるのだと思った。助けが必要なのではないかと感じたのだ。当主も、頼りになる同僚も失い、自分の声まで失くせば、不安にもなろうな。心が休まらなかったに違いない。鍋島、それで俺を呼んだのではないか。龍造寺家を案じてくれるならば良し。何も考えずに訪れるような暗愚であれば命を取る腹づもりだったな?」
床をコンコンと叩く。
「床か天井に忍ばせているな」
ニヤリと笑う。
ブラフだ。俺ならそうすると思っただけだが、成富がハッとする顔を見せる。
これは当たりかな。
突然に泣くような声がして隣に視線を移すと、鍋島が一歩ほど後ずさりながら額を床にすり付けていた。
嗚咽を漏らしながら置いた手が震えている。
史実から簒奪者でもあると思っていたが、想像よりずっと忠義で、戦以外では気の小さい人間だったな。
秀吉の人物評も侮れん。
立ち上がって隣に寄り添い、肩に優しく手をかけた。
「良くやった。三人の遺児は俺が責任を持って大事にする。お主は家を守り通したのだ」
泣いているせいか、口の痙攣で嗚咽のようになっているだけか、それは分からない。
確認するのは野暮であろう。
大の男が床に顔をつけて震えていた。
しばらくそうして落ち着いてきた頃、意を决した様な表情で成富が尋ねてきた。
たたずまいを直して、少し頭を低くしている。
「恐れながら殿、間違いがあった時に命を落とすとお考えにならなかったのでしょうか」
「命を落とす心配をする武士が大事をなせるはずがあるまい。生きることが戦だと知れば後悔するような生き方は出来ぬのだ」
命を落としても自分と伴の者くらいならば、まぁ良いかと思ってしまう。
遺書には今後起きる史実を書き連ねてある。孫太夫なら上手く活用すると信じる。
我ながらなんとも自分勝手な話だった。
前世の俺は嵐の船に一人残って死んだ。今の成富は船に残ると言った時に俺を見ていた船員と同じ目だ。
分からぬだろうな。
自分でも上手く言葉にできぬのだから。
だが後悔はなかったのだ。
だから戦国の世で生まれ変わって、前世を反省して、器用に生きるチャンスをやろうなどと言われても心は何も動かない。
己らしく全力で、心動くことに誘われて走りきるのが俺の生き方なのだ。
「鍋島、そろそろ顔を上げろ。むしろ俺の方が聞きたい。なぜ俺が城に来るような男だと思った」
すると鍋島はゆっくりと顔を上げて、黙って筆を取った。
月灯りしかなくて幸いだな。顔が暗くてよく見えなかった。
ただ手渡しされた紙は水滴で滲んでいた。
『殿は今山で影武者になっており申した。大将相手とはいえ、当主が他家の影武者をするなぞ聞いたことがありませぬ。大胆でありながらも慈悲深い人物でなかろうかと推察いたしました』
そんなところを見ていたのか。
意識していなかったな。
十代半ばの子供より自分の方が命をかけるべきだと、無意識に思ったのかもしれない。
現代人の感性が慈悲深いと評され役に立つとは思わなかったな。
そうして夜遅くまでの会見は終わった。
翌日の昼、城のあちこちで、お互いの兵がうつらうつらしながら舟を漕いでいた。
春下りの暖かい日だ。騒動を心配していたが疲れてそれどころではないか。
戦が終わったと感じ、安心しているならば嬉しいことだった。




