第107話 成富甲斐守信種
1571年5月 佐嘉城 筑紫俊介広門
城内は子供に案内された。
誰かの小姓だろう。
これは敵対するつもりがないというアピールだろうか。案内人への警戒を薄く出来るから、ありがたいと言えばありがたい。
孫大夫と同じくらいの年齢で利発そうな子供だった。武器を持った大勢の大人を案内しながらオドオドしている様子がない。
俺は城の中を歩きながら周囲の敵兵の様子を観察した。護衛に囲まれる中、横目で何度も確認する。
「五郎太、どうだ? 俺たちに敵愾心を示しているように見えたか」
「いえ、そんな感じには見えないっすね。遠巻きに隠れて見る感じで……やる気あるんすかね。飛び道具を手にした兵が一人もいませんでしたし、襲う気はなさそうです。数も少ない。これ、今から戻っても簡単に落とせるんじゃないっすか?」
こういう時に夜でも目がいい五郎太は便利だ。
俺も概ね同意見だった。
怯えた雰囲気がする。異常なほど士気が低い。敗走直前じゃないか。
指揮官が活を入れていれば、最低限ここまでにはならない。
鍋島は何をしている。兵を放っておくことに意味があるとは思えなかった。
やはり何かあるのだ。
遠くから怯えて見られて、脱走した猛獣のような気分になりながら、俺たちは館に入って進んでいく。
案内人である千代法師丸と名乗った子供が、目的地に着いたのか足を止めて跪き、襖に手をかける。
「こちらになります。左衛門大夫様と甲斐守様がお待ちしております」
左衛門大夫は鍋島直茂だ。甲斐守は誰だろう。同席するのは護衛のはずだが、甲斐守の名を持つならば立場がある人間だ。
襖が開けられると、奥の部屋の中心に二人の人物が見えた。あれが鍋島と甲斐守か。
大広間だった。
俺の席はどの壁までも遠いような配置だ。壁に隠れて襲う気はないという配慮だろうか。
待っている二人は刀も腰に差さずに後ろの刀立てに立てかけてあった。
あれなら大坊の一振りでやれる。
「大坊、ついてこい。五郎太らはここで待機。千代法師丸殿、ここの襖は少し開いたままにしてもよろしいか」
「御随意になさって結構であります」
見た感じ襲う気はなさそうだな。
俺は大坊を連れて部屋の中に入り、中心に一畳だけ敷かれた畳へと向かった。
上座を空けておいて、俺だけ畳が敷かれている。大した気の使いようだ。
畳の上に鉄板を敷いて、兜を被ってから座りたいところだった。上下から襲われたら流石にどうしようもなさそうだ。
ただそういう訳にもいかない。俺は龍造寺家からの信頼を得にここまで来たのだから。
今後の……広大な所領を収めることを考えると龍造寺家臣団は必ず必要だ。
座る前に対面の二人を見る。並んで座っていた。護衛であれば並んで座るはずがない。
二人は同格なのか。
俺は大坊を後ろに立たせて畳に座り、知っている一方の男だけを見た。
肖像画にあったような少し細長な顔、耳と鼻が大きい。齢三十四、まさに男盛りの時期だろう。
鍋島直茂、久しぶりだな。煮え湯を飲まされた。
どうした、下を向くな。目を合わせろよ。覇気が感じられないぞ。
その鍋島が頭を下げてきた。
「……な、……あ……っ、……。……ご、……ッ……る……」
なんだ? 何を言っている。
頭が混乱した。
「上野介様、成富甲斐守信種で御座います。横から失礼いたします。孫四郎殿は口がきけませぬ。そのため私が隣で口を挟ませて頂きまする。お許しください」
「口がきけない? 何があった」
思わず自分の挨拶を忘れて聞いてしまった。
鍋島は「……う、……く……」と何か話そうとしたが言葉になっていない。
この口の震えは演技ではできない。
城の様子から何かあったのだろうと思っていたが、まさか声を失っていたとは。
「今山での傷が膿んだように御座います」
「怪我をしていたのか? 和約の直後に戦場に出たと聞いていたが」
於安の夫、小田新九郎が治める蓮池城を落としたのは鍋島だと聞いていた。
「口が痙攣し、体力が落ちた以外は以前の通りでございますので。その場に居るだけで士気を高めるほどに名を上げましたならば、城主のいない城を落とすのは難しくありませぬ。私も側におりました。されど突然戦場に出なくなりますと、あらぬ噂が流れまする。それゆえ無理を致しました」
城を落とした早業に気を取られて、その後の確認を怠っていたな。諜報部隊がないのは筑紫の弱点だ。
「あ……ぁ……」
「真実であると証明のために傷を見せるそうです」
鍋島が上の服をはだけ包帯を外すと、確かに酷い傷だった。
刀傷じゃないな。アスファルトで擦ったような傷が、上半身の半分ほどを覆っていた。
「一人崖を飛び降りた時の傷だそうです。その後、湿田と沼地の中を帰ったのが傷を悪くしたのではないかと聞き及んでいまする」
破傷風だな。
重症化すると激しい痙攣や呼吸障害を起こす。戦国時代では珍しくない。
発症すると大人でも半分近くが死ぬ。
口の痙攣はかなり危なかったはずだ。酷いと呼吸が出来なくなる。
数日で発症したはずだ。命は長らえたのだろうが完全には治らなかったか。
「もう完治せぬのか?」
「こればかりは人によりますので何とも」
「その事は佐嘉城を守っている兵らには打ち明けていないのか。何故打ち明けぬ」
「中将殿が亡くなり、兵らの心の拠り所は孫四郎殿なのです。その孫四郎殿が口もきけぬとなれば……」
「城内を一つに纏められぬし、混乱が起こるか」
今も混乱しているようなものではないかと思ったが、より酷くなるという事だろう。
城内の様子を見るに裏手から逃げ出してもおかしくはないほど士気が低い。
残念だった。五体満足のお前を配下にしたかったのだが……。だがこればかりは仕方あるまい。戦場の出来事だ。
それに龍造寺の家臣達には他にも戦える者がたくさんいる。
この期に及んでは鍋島の傷は些末な事だと思おう。本題に入ろうと講和の話を切り出した。
「それで……、主らは降伏するのか。しないのか」
「降りまする。全て上野介様のおっしゃる通りに致しまする」
「条件を出さなくとも良いのか? 全員に放逐を命ずるかもしれぬぞ」
もちろんするはずがないけれども……。
「危険を冒してまでこちらにいらした上野介様は我らの協力を必要としているはず。そうでなければ兵が集まるのを待って安全に城を落としていたでしょう。足を運んで頂けたならば軍門に下ろうと、あらかじめ孫四郎殿と話し合って御座います」
俺が来た理由を分かっているな。そうだ。お前たちが欲しい。これなら話し合いになりそうだ。
条件を口にしないのは、察して大事にしてくれということか。
二人とも歓迎して全面降伏のように言っているが、まだまだ油断はできない。
どのようにして俺が大事にするか示す必要がある。よほど大変な要求をすれば、今からでも寝首をかかれる事だってあり得る。
相手の望むことを察し、それに応えることで支持され支配する。
肥前におけるその一歩にするのだ。
まだ敵の虎口にいると考えねば。




