第106話 慶誾尼と玉鶴姫
1571年5月 佐嘉城 筑紫俊介広門
訪れた慶誾尼は龍造寺隆信の実の母である。結構な年齢のはずだが、健康的で体の大きな肝っ玉婆さんといった印象だった。
玉鶴姫は龍造寺隆信の実の娘だ。年齢は十代半ば、俺と同じくらいの年だろう。
史実だと以前に紹介した鉄の義心と呼ばれる蒲池宗雪の息子の元に嫁ぐことになる。
そして実の父親の隆信に裏切られて夫が騙し討ちにされ、玉鶴姫は夫の後を追って自害する。
後世でも有名なエピソードだ。
両親のいる龍造寺家に帰ることを良しとせず自害したのだ。隆信をよほど嫌っていたのか、それとも夫を大事に思っていたのか。
いずれにせよかなり意思の強い、気丈な子に違いない。
目の前にいる玉鶴姫は筑紫の兵に囲まれながら物怖じする様子もなかった。
実の娘ではないものの、於安姫も気丈な強い目をしていたな。玉鶴姫といい、慶誾尼といい、龍造寺の女は心が強いのかもしれない。
とはいえ、どんなに気が強くとも首を確認する代表者に母親と娘が来るのは奇妙だ。
何か意図があるに違いない。首の確認だけであれば身内である必要はないのだから。
「筑紫上野介で御座る。慶誾尼殿と玉鶴姫であらせられますな。ご足労いただき誠にかたじけなく」
「ご丁寧に感謝申し上げます。まずは首を確かめさせて頂いて宜しいでしょうか」
女の身で交渉の場にやってきたのだ。礼を尽くして俺が出迎え、さっそく例の場所まで案内することになった。
陣幕には首桶を置いてあった。首桶と仮に呼んでいるが、漆で塗った重箱のような立派な入れ物である。
もともとは首桶のつもりで購入したのではなかった。
見た目の絢爛さの割に安かったので、何かに使えるだろうと商人の宅之丞が購入していたのだ。
それを俺が店で見かけ、死んだら豪華なこいつに首を入れてくれと冗談を言ったら、それでは持っていってくださいと頂いてしまった物だった。
まさか本当に首桶として使う日が来ようとは……。
部下にやらせず自分で蓋を開ける。そして中から首を取り出して、白木の膳に乗せた。龍造寺隆信の顔は穏やかなものに整えてくれたようだ。
「こちらになりまする」
「間違いありませぬ。息子の長法師丸の首です」
流石は九十を超えても佐嘉藩を支えた女傑、涙どころか悲しむ素振りすら見せない。
これなら落ち着いて話を続けられそうだ。
部下に命じて首をゆっくり片付けさせる。
布が血で汚れたから新しいものに変えさせ、馬鹿丁寧に綺麗にさせる。
そしてこの隙に話を切り出した。
老獪な彼女であれば俺が話をしたいこと、話を受け入れなければ首の返却をやめることだって出来ると勘づくはずだ。
「佐嘉城は今、どなたが差配していらっしゃるのでしょうか。まさか慶誾尼殿でありますまいが」
「孫四郎が差配しております」
鍋島直茂か。あいつ前線にいないと思ったら城で留守番をしていたのか。
だが龍造寺のナンバー2がなぜ留守番であったのか。
それに鍋島ほどの男が守っているにしては城の守りが疎かだ。
俺の疑問が顔に出ていたのであろう。慶誾尼が疑問に答えた。
「上野介殿、孫四郎が城に残っていたのが不思議ですか。とある事情で孫四郎は戦に出ることが出来ませぬ。また同じ理由で城内をまとめることもできませぬ。城内は今、降伏するか徹底抗戦をするかで意見が割れておりまする」
徹底抗戦は嘘だな。そんな士気がある城じゃない。宝満城を無血開城した事があるが、あの時の方がまだ反撃やら挑発に対する反応があったぞ。
あとはいつ、どうやって落城させるかだけだと思っている。
「失礼ながら、総大将を失ってなお戦を続ける必要がおありでしょうか」
俺はごく普通に思ったことを口にすると、慶誾尼は顔を横に振った。
「そなたを恐れているのです。佐嘉城は焼き討ちから逃れた兵を多く受け入れました。その者らはそなたを鬼であると呼んでいます。皆殺しにされると言うのです」
「それは」
仕方ないとはいえ色々とやりすぎたな。
皆殺しなんてしない、焼き討ちは戦のことであると否定しようとしたが、その前に彼女が口を開いた。
「かく言うわたくしも恐れています。城を攻め立てながら息子の首を返すと甘言を弄し、礼節を用いながら冷めた目で首を取り出すそなたを。もはやわたくしでは是非を見定められませぬ。上野介殿、警戒なされるのは承知で御座いますが、城に来て孫四郎と話をして頂けませぬか」
そんな無茶な。
有利な状況なのに敵だらけの城の中に入れるわけがない。
罠があるかもしれないのだ。
そもそも貴方は若造の俺を恐れるような心胆じゃない。
よく言えたものだ、と思った。史実じゃ貴方は孫娘を見捨てるし、息子の首を返しにきた島津に対して、運の尽きた息子の首なぞ要らぬと追い返したりもする。
だから隆信の首は肥前にはないし、対応に困った島津が熊本県で埋葬して現代でもそのままだ。
「鍋島殿がこちらに来られては如何か?」
「寡兵で一度、そなたと大友をも破った孫四郎は、城に残った兵らの心の支えです。兵らは孫四郎が城から出ることを許さぬでしょう。そなたを警戒しておるのです」
そこを説得、あるいは命令してでも実行するのがリーダーだろう。いや鍋島が城内をまとめられない理由があるような話をしていたな。
それが出来ない理由があるのか。
だがそれでも無茶な要求だ。
……無茶な要求をするワケがあるのか。
「人質としてわたくしと孫の玉鶴がここに残りまする」
分家の重要人物が二人も人質になる。本家の於安の方もこちらが預かっているようなものだし。
公平な立場であれば充分な人質ではある、か。
そうだ。人質ならもっと良い人物がいる。龍造寺隆信の嫡男、政家だ。
「政家殿も人質になって頂けないのだろうか。さすれば安心なのだが」
たしか俺と同い年だ。病弱で、息子が自決するとショックで亡くなるほど繊細な人物。そんな人物であるので、彼が当主であれば龍造寺を取り込めると考えていた。
「戦場に行って帰ってきてないよ」
これ以上ないほど冷たい声で慶誾尼に答えられた。
あぁ、おそらく隆信と一緒に討ち取られたに違いない。
首実検を後回しにしたせいで、隆信以外の重要人物の誰を討ち取ることができたのか把握できていなかった。
ちょっと思慮に欠いた会話になってしまったな。言い訳をさせてもらうと嫡男と当主が一緒に戦場に行くのは少し珍しい。
筑紫を攻める前までは破竹の勢いだったからな。若い息子に戦場で箔を付けさせようとしたんだろう。
初陣だった可能性もある。
皮肉だな。大友宗麟と同じことをして息子を亡くしている。
『何卒よろしくお願い申し上げまする』
息子と父親の死を目の前にした女性二人が膝をつき、両手を合わせて綺麗な手を土で汚しながら頼んできた。
――断りにくい。
この婆さん、裏表が上手くて女の武器も使う嫌いなタイプだ。孫娘を連れてきたのも、さてはこのためか。
俺を怖いと仰るが、情に絡めて説得にかかる慶誾尼も十分したたかで怖い人間なのだ。
そんな相手だ。疲れていても冷静に判断せねば……。朝から晩までずっと戦場だった。
面を上げよ。暫し待てと偉そうに言って考える時間を作る。
くそ、二人とも頭を上げないな。だが女二人を土下座で待たせようとも、ここは熟考が必要な場面だ。
もし俺を騙して討ち取ったとして、龍造寺のメリットは何だろうか。
目の前の危機を脱する事ができる。
これが最大のメリットだろう。
逆にデメリットはなんだ。
人質が殺される。筑紫から悪感情を持たれる。
その程度かと思ったが、よくよく考えると、筑紫から悪感情を持たれるのは族滅の危機だ。
龍造寺は次の跡継ぎが、もう幼い息子くらいしかいない。
鍋島あたりが後ろ盾になって家をまとめれば生き残るかもしれないが、本家と分家で最近まで内紛していた家を、実力があるとはいえ、ただの一家臣である鍋島がスムーズにまとめられるかは疑問だ。
それが出来るなら秀吉も信長の死後に苦労しないのだ。
鍋島が史実でそれができたのは、もっと大きな力、秀吉の後押しがあったからに過ぎない。
今ある危機を脱しても筑紫はまた攻めて来る。その時にもう周囲の国衆は龍造寺の味方はしないだろう。
負けて求心力が無くなった上に隆信がいないのだから。
単独で守り切るのは無理だな。今回の戦で兵は半減している。筑紫の兵は減っていない。
大友が助力する想定だって必要だろう。
野心が足りないと称された鍋島がそこまでのリスクを取るだろうか。
俺が知る限り、あいつがリスクを取ったのは自分の命を賭けた戦ばかりだ。
熊本に埋葬された隆信の首だって、胴体と同じところに戻してやれば良かったのにやらなかった。
おそらく龍造寺家を継ぐという政治的メッセージに取られる事を恐れたのだろう。
外交や政治でリスクを取れる人間ではないと見ている。勇気と知恵があるから戦は強いが、大器がないと評されたのはそうした所だ。
後世の龍造寺家は四家も残るほど鍋島から大事にされていた。
こっそり毒殺したり、子供や養子を送り込んで乗っ取ったり、徳川のように難癖つけてお取り潰しをするような方法もあり得ただろう。
秀吉から気に入られていたからな。多少の無理はできたはずだ。
だがやらない。野心が足りないから。
だからそこは怖くなかった。
小心者の孫四郎には出来ないと思った。
やはり俺を呼ぶのは罠以外の狙いがあるのだ。
たぶん、それは……。
「家臣を二十人ほど連れて行く。話し合いの場には護衛を一人同席させる。鍋島殿も同条件で、お互い武器は手放さぬこと。だが一人でも武器に手を掛けたら話し合いは取り止める。また護衛以外の家臣は部屋の前で待機させて頂く。そして話が終わるまでは城門は開けたままでいること。その条件であれば宜しいが」
「城門を……それは、いえ、それでよろしゅう御座います。上野介殿、感謝いたします。ありがたき次第に御座います」
島がいたらぶん殴られているだろうな。島以外の将でもここにいたらそうしたかもしれない。
慶誾尼はただの狸ではない。何十年も龍造寺家を引っ張ってきた女傑だ。
無茶な要求をした理由があるのだ。
そしてそれが俺の思った通りのものだとしたら……俺は城まで助けに行くべきだ。
念のため遺書を伝令の1人に渡して、俺が死んだらこれをもって孫大夫の元へ行くように伝えた。
同じ遺書は琴音にも渡してある。
勝尾城の焼き討ちが上手くいかなかった場合に備えて書いておいた遺書だった。
よし、虎穴に入りに行くか。




