第101話 焼き討ち
1571年5月 勝尾城 筑紫館 宗仙
よじ登ろうとする敵が居なくなった事を確認し、最後に残った兵を連れて城壁の上から退去した。城門はすでに破壊されており、わざわざ登ってこようとする敵は視界にはいない。
城壁の内にはすでに数千の敵が侵入していた。登るためのハシゴは全て外してあるので簡単には城門の上まで来ることは無かろうが、自分らも降りることはできない。
自分らは城壁の行き止まりにある急斜面の山を、縄を使いながら登り脱出した。自分の最初の役目はひとまず終わった。いくばくか達成感を感じながら、山の中にある若山砦に兵を送り届けた。
次は殿の元に向い役目を果たした報告をせねば、木で遮られて見えぬが戦の音が山に響いていた。戦の経過はどうなっているだろうか。
自分は新しい主君が主導した戦の行く末に興味があった。
こうして大胆な罠を仕掛けるような主君である。思うに会心の出来となるか、歯牙にもかからず無駄な結果に終わるのではなかろうか。
願わくば自分を破った主君は前者のような戦上手であって欲しいものだ。
殿のおわす場所がもっとも城下を俯瞰できる。こうした戦場の霧が晴れる瞬間が最も愉快な瞬間だ。
ようやく殿の元に赴いた時には、思っていた通り戦場の様子は様変わりしていた。
城下は赤く燃え盛っていた。それは伝えられていた策の通りだった。
太陽が季節外れの厚い雲に隠れ、黒い煙が空を覆うと、山々は暗闇の中で炎に照らされていた。
揺れる炎によって木の影が、まるで生きているかのように踊っていた。
何かが燃える臭いが、人間の叫び声が、この先で城下を眺めておられる殿に、地獄を見せているのだと伝えていた。
陣太鼓の音も、ほら貝の音も鳴りを潜めていた。
火矢も空を駆けてはいなかった。
城壁を超えて山に入ろうとする敵もいない。ただ時おり銃声が鳴り響いていた。
事前の作戦では腕利きの銃兵が、城門に殺到する敵を撃ち殺す手はずであった。この分では大いに働いたに違いない。
城門から逃げたくとも付近に死体が転がっていれば足を取られる。
混乱するはずだ。どれだけの人間が脱出できたのかは見当もつかぬ。
上から岩を落として城門を閉じることも出来ると献策したが却下された。死兵となって壁を越え山に入ってこられては堪らぬらしい。
敵が逃げる道は残っていなければならぬのだ。
到底安全とは言い難い道であったが……。
殿は自分が近くに来たことに気づかぬのか、燃ゆる城下を眺めながら何やら呟いていた。
「鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる。小角の音も 敵見たる 虎が吠ゆると 諸人(あらゆる人)が 怯えるまでに 捧げたる」
これは歌か。
「旗のきらめきは 風と共に ひらめくがごとく。取り持てる 弓弭(弦をかける部分)の騒ぎは つむじ風が い巻き渡ると 思ふまで」
「殿、いったい……」
「一度しか聞いたことがないので間違いもあると思うが、柿本人麻呂だ。今の光景を見て思い出した。聞いたことさえ忘れていたのに……思い出すものだな」
後ろから話しかけたのだが殿は振り向きもしなかった。腕を組んでずっと城下の炎を見つめておられる。
「随分と昔のことだ。懐かしい気になる」
哀愁を思わせる気配を漂わせながらそうお答えになった。悲鳴が、怨嗟の声が聞こえる。
「城門と城壁の守備、見事であったぞ。容易であったか?」
「あ、ありがとうございまする。は、はい。この程度であれば」
お褒めの言葉を頂けた。
肉の焦げる臭いがする。
「そうか。流石だな」
一発の銃声が鳴り響いた。
「は、恐縮で御座りまする」
ガラガラガラ、と炎で建屋が崩れる音がした。
しばらくの間、殿は城下を眺めながら沈黙をしていらした。
返事を待つ間、悲鳴がよく聞こえた。
熱さを感じぬのに汗が滝のように流れる。
「良し」
いったい何が殿の機嫌を良くしたのか分からなかった。
額から流れる汗は、決して炎によるものだけではなかった。恐ろしい。
「宗仙、喜べ」
自分は主人を前にかしこまらず、立ったまま失礼を働いていたことに今更気づいた。急いで膝をついて頭を垂れる。
「な、なにを、で御座いましょうか」
勝利をだろうか、もう負けはないと思うが……。
顔を上げて殿を見る。
殿は熱風で吹き上がる下からの風に髪と首巻をたなびかせ、悠然と炎に沈む城下を見下ろしていた。
「良心の呵責を感じぬ。戦国大名に向いているようだ」
殿がこちらを振り向き、その様におっしゃった。
炎の赤い光に下から照らされて、そのお顔は喜んでいるようにも錯覚された。
「ははぁ」
自分は思わず頭を土に付けていた。
ここは地獄で、殿は閻魔大王の生まれ変わりか。
悲鳴も臭いも早く収まって欲しいと心底に思った。
この場から離れれば少なくとも小さくはなる。一刻も早く離れたいと思った。だがそうはならなかった。
「宗仙、ここは任せた」
「ど、どちらに行かれるので?」
「より高い場所で敵陣を俯瞰したい。葛籠砦に行く」
下がる殿に一部の兵が付き従って行った。確か周防組という殿の直属の兵だ。
殿が去った後、自分の心は嵐のごとく乱れていた。良き思いも、悪しき思いも収拾がつかぬ。
一仕事を終えた満足感は天の彼方にでも飛んで行ってしまっていた。
膝をついたまま立ち上がる事が出来なかった。
炎の熱気を浴びていながら体が寒さに震えていた。
殿のように炎に燃える城下を見下ろす気にはとてもなれなかった。
主人の器を見誤った。仕えたことに後悔はない。自分は強い主君に仕えたかったのだから。だが恐怖で仕えるようでは生きがいにならぬ。このままでは不味いと本能が告げていた。
「はっはっはっはっは!」
体が勝手に笑い出していた。そうだ、恐怖を吐き出すのだ。
心して仕えなければならぬ。今ここで恐怖を克服できなくては、自分は一生、今日の出来事を怯えながら仕えなければならなくなる。
それでは生き長らえた甲斐がないではないか。
自分は強い主君に仕える強い武士となるのだ。
体が恐怖から自分の支配下に戻ったことを感じて立ち上がった。
「はーはっはっは! ふは、わーっはっは!!!」
叫び、口を閉じ、すぐさま目の前の太い枝に刀を振るった。太刀筋が光ると枝が落ちる。
枝には綺麗な斬り口が残っていた。
「良し」
もう震えてはいなかった。




