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【完結】はるかの市役所★特殊部隊  作者: 石和¥


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11/13

#11 彼女は真相に近付く

 日の当たる居間で湯飲みを手にしたまま、未知香は言葉もなく呆然としていた。

 菓子盆を持って戻った老婆は、青ざめた未知香を見て顔を覗き込む。


「あら、どうしたねぇ? 具合でも悪いのかい? 横になるんだったら布団敷くよぉ」


「いえ、なんでもないんです。ちょっと、驚くことがあって」


 懸命に笑顔を見せながらも、不安がチリチリと胸の奥を焦がす。


 ――係長も付いていてくれるし、日本人の〝国見美由紀〟が生きているからといって、それがなにかの犯罪につながっていると決まったわけじゃない……。


 まして、未知香はいま片道二時間以上も離れた場所にいるのだ、いまさら駆け付けたところで間に合いはしない。


「驚くことって、美由紀のことでなにかあったのかい?」


「妹が……」


 ぼんやりと宙を見つめたまま、未知香は老婆に打ち明ける。

 どう説明したらいいのか、どこまで話せばいいものかと、頭のなかに相関図を思い浮かべた。


「妹がちょっと前に、美由紀さんに似た人と会ってるんです」


「ああ、理恵子かい」


「えッ?」


 振り返った未知香の形相に、老婆は不思議そうな顔をする。


「お婆ちゃん、いまなんて」


「あれ、妹って、理恵子のことじゃないのかい? わざわざ遥野から国見の嫁に会いに来たって言うからさ、わたしぁてっきり理恵子のことかと思ったんだよぉ」


「待ってください、理恵子って……久保田理恵子ですか?」


「そうだよぉ。国見の嫁の、妹だぁ」


「まさか、国見美由紀の旧姓は、久保田?」


「知らなかったのかい? 昔は妹もここいらに住んでたからぁ、美由紀がいなくなる前にはよく顔を見せてたんだけどねぇ」


「いまは、どうしてるんです」


「結婚して、遥野に越したんじゃなかったんかねぇ、今西に訊けばわかるかもしれんがぁ」


「今西?」


「この先の突き当たりにあるウチだぁ。三男坊は、理恵子のアレだったからなぁ」


 親指を立てて、小さく手を振る。恋人のことらしい。


「まぁ、結婚する前の、だけどなぁ」


 老婆に礼を言って家を飛び出す。道に立って見渡すと、突き当たりまでは一キロ近くあった。全力疾走しながら携帯で君塚を呼び出す。不在を告げるアナウンスが入り、未知香は舌打ちをして携帯を閉じた。


 外で車が止まる音がした。

 武生はその音で我に返り、突き付けられた指を払いのける。怒りも露わにして女を睨み付けた。


「ば……馬鹿馬鹿しい! 彼女の正体を教えるっていうから、わざわざこんなところに来たんだ。そんな与太話を聞くためじゃない!」


 ドアを叩く音がして、君塚が駆け込んできた。


「明日香ちゃん!」


 拳を固め身構えた彼は、室内の状況を見てしばらく固まる。


「……武生さん? なにしてるんですか、こんなところで」


「答える必要はないでしょう。あなた方こそ、こんなところでなにをやっているんですか」


「しかし……」


 問いかけるような視線に、明日香は黙って肩をすくめる。女は吐息をついて顔を背けた。


「いろいろ邪魔が入っちゃったわね。お話はこれでおしまい。もう帰りなさい」


 武生は不機嫌な表情で部屋を出てゆく。

 ずっと煮え切らない印象だった彼が感情的になっているのを見て、明日香は少し意外に思った。それが〝美由紀〟への思い入れの強さからきているのだとしたら、理解できなくもないのだが。


「先週、彼女がここに来たの」


 靴を履きかけた武生に、女が静かに言った。


「きっと、あなたの部屋を出るほんの少し前ね。初めて会った頃とはずいぶん変わってたけど、でも不器用さと一途さだけは同じだった。彼女、もう時間切れなんだって、言ってたわ」


「また訳のわからないことを言うつもりなら……」


 憤怒の表情で振り返る武生に、女は真顔で首を振る。


「これ以上、あなたとの関係を続けるわけにはいかない。だから……賭けてみるって」


「賭けるって、なにを」


「もしあなたが自分の秘密に気付いてくれたら、すべてを打ち明けて結果を委ねる。もし気付かないままタイムリミットが来たら……そしたら、すべてを終わらせるって」


 その〝すべて〟がなにを意味するのか、明日香にはわからない。しかし、どのみち幸せな結末につながってはいないことだけは、痛いほどにわかりきっていた。


「……タイムリミット?」


「知らないわ。なんかの、記念日みたいだったけど」


 武生は首をひねる。思い当たるものはないようだ。


「でも……」


 思わず口に出した明日香の言葉に、女が問うように首をかしげた。


「でも、それって逆じゃないんですか? ふつうはバレたら逃げるし、一緒になるならなにもかも隠して……」


「そこが、お嬢ちゃんにはまだわかってないのよ。それだけ本気だったってことじゃない? 最初は騙してまで愛されたいと思ってても、のめり込んでいくとそれが辛くなることって、あるのよ」


「でも、その秘密って……そんなに重大なことだったんですか」


「さあ」


 女は、内容については知らないと言った。


「でも、女にはひとつやふたつの秘密があるものじゃない? それがいい女なら、なおさら」


 いまの明日香には、そんなことはわからない。わかりたいとも思わなかった。彼女は出て行こうとして思い出し、女に向き直る。


「そうだ、彼女の……本名はご存知ですか」


 武生の動きが止まるのが、視界の隅に見えた。

 女はしばらく黙り込んだが、無表情で首を振る。


「知らないわ。お互い、もう捨てた名前だし。聞いたかもしれないけど、忘れちゃった」


「そう、ですか。ありがとうございました」


 どうやら無駄足だったようだ。色恋沙汰だけの話なら、それこそ市役所のクチバシをはさむことではない。


「でも、確か……聖書かなにかから付けられた名前だったはずよ」


「聖書?」


「いっぺん聞いたことがあったの。ホラ、あるでしょ? がんばればできる、とか……門を叩けば入れてくれる、とか」


 知識も教養も信心もない明日香に、それは難しすぎる問題だった。

 帰って未知香に訊くしかないと思ったとき、武生がボソボソとつぶやくのが聞こえた。


「求めよ……されば与えられん。望めよ、されば見い出さん……」


 明日香は振り返る。

 立ちすくんだままの武生は、不思議に穏やかな表情をしていた。その目は一点を見据えたまま、唇だけが勝手に言葉を吐き出す。


「門を叩け、されば開かれん……すべて求める者は得、捜すものは見いだし、門を叩くものは開けてもらえるからである」


「ああ、たぶんそれね。なんだったかしら……?」


「新約聖書。マタイ伝、第七章七節」


「そうね、そんな感じのタイトルだったわ。自分の名前は前向きなのに、現実の人生は正反対だって」


 武生は泣き出しそうな顔で笑う。明日香の視線に気付くと、彼は恥じ入るように顔を背けた。


「武生さん、クリスチャンだったんですか?」


「無神論者だよ、もちろん。いまも、むかしも……きっとこれからもずっと」


「ごめんください!」


 未知香は古ぼけた農家の玄関に立ち、室内に向かって声をかける。返答はなかった。静まり返った敷地内からは、なんの反応もない。

 今西と書かれた表札の下には、光一郎、光恵、義彦、公彦、達彦と書かれている。かつて久保田理恵子と交際していたというのは、この達彦という三男らしい。


「すみませーん」


 未知香は奧に呼びかけながら、家の裏手に回る。

 井戸と、離れと、小さな納屋。見渡しても動くものはなく、耳を澄ませても物音ひとつしない。田舎の暮らしは防犯に無頓着なのか、門も窓も玄関もすべてが開け放たれたままだ。ここまで無防備だと、却って居心地が悪い。

 戻りかけた未知香は、納屋の隙間から覗いているものに気付く。半ば閉じられた扉を静かに押し上げ、薄暗い内部に目を凝らした。

 伸びをする仔牛のような、すらりと背の高い青の車体。ヤマハXT660X、明日香からの報告に出てきた、〝美由紀〟が乗っていたというオートバイだった。

 ナンバーを確認するべきか逡巡している間に、証拠は向こうからやって来た。さくさくと草を踏む音。そこには足音を隠そうとする意思はなかった。


「あら」


 まだ若い、女の声だった。

 振り返ると、見知らぬ女性が穏やかに微笑んでいた。農家の嫁には見えないし、年齢からして表札に出ていた三人兄弟の母親でもない。


「久保田、理恵子さんですね」


 答えの代わりに、小さく吐息を漏らす音。だが、それだけだった。否定も肯定もしない。

 彼女は逃げも隠れもうろたえもせず、ただ静かに笑う。


「やっぱり、追いかけてきちゃったのね。……あなたは、〝市役所のなんでも屋さん〟でしょう?」


 明日香と会っている姉から、話を聞いているのだろう。

 理恵子の余裕に満ちた微笑みを見ながら、未知香は漠然とした違和感を覚える。


「お姉さんは今頃、拘束されていますよ」


「そうかもね。でも、きっと立件できる材料はないわ」


「では、もう一人の国見美由紀は? 彼女はどうなるんです」


「それは本人の問題ね。止められないし、止める気もない。行くところまで行って……」


 握り拳をぺちんと、手の平に叩き付けた。


「それで、おしまい」


 笑顔のまま行われたその仕草を見て、未知香の違和感はさらに強まる。

 理恵子はどこか吹っ切れてしまったような穏やかさを見せながらも、表情のところどころに殺伐としたものを覗かせていた。その原因がわからなかった。そして、理由も。


「あなたは……あなたがたは、いったいなにをしようとしているんですか。どうしてそんな……」


 微笑み。理恵子は小首を傾げ、少女のようにクスクスと笑う。


「……〝どうして〟?」


 いぶかしげな顔の未知香を、女は楽しそうに眺めた。

 その目は犯罪者のものではなく、復讐者のものでもなく、慈愛に満ちた母親ようにさえ見える。それが逆に、未知香の背筋を寒くさせた。


「理由なんて無いわ。好きだったから、それだけよ」


「好き、って……誰をです? 武生さん? 美由紀さん? 佐藤さん? それとも、他人を脅迫することがですか?」


 女は答えない。ゆったりした足取りで未知香の前を横切る。

 納屋の奧を見据えて、小さく鼻を鳴らした。


「正解」


「え?」


「……全部よ。佐藤のことも愛していたし、武生のことも好きだった。美由紀もまあ、あれはあれで嫌いじゃなかったわね。でも、それと同時に……みんな地獄に堕ちてしまえとも思っていた」


「……いったい、なにを言って……」


「だから、こうしたの。誰もが束の間しあわせで、最後はみんな地獄に堕ちる……そんなやり方にね。わかる?」


「……いいえ」


 困惑して首を振る未知香に、理恵子は微笑む。心から嬉しそうに笑い声を上げ、優しく未知香の両手を取った。


「わからないわよね、こんな気持ち」


 一瞬の困惑が、未知香の注意力を奪った。音もなく忍び寄る気配に、気付いたときには背後を取られていた。襲いかかる男の息遣いと、その手が振り上げる黒い影。避けようとする未知香を拘束し、耳元で女が囁く。


「ごめんね」


 理恵子は、静かにそう言った。


 アパートを出た武生は足早に歩き去る。黙って見送る君塚に、明日香は不満そうな声を上げた。


「係長、止めないんですか」


「止めてどうする。武生さんになにかの容疑がかかっているわけじゃないし、もしそうだとしても、それはわれわれの仕事じゃない」


「じゃあ、あの管理人は? あの女を捕まえに来たのかと思ったのに」


「だから、ぼくらに逮捕権なんてないんだって。彼女に罪を問うかどうかは、警察か入管が判断することだよ。来るとき山下さんに経緯は伝えたし、必要なら県警で対処してくれる」


「係長はそれでいいんですか?」


「ぼくは明日香ちゃんさえ無事なら、とりあえず彼女に文句はない」

「……またそんな悠長なことを」


「本当はね、山下さんから、手を引くように言われたんだ。そろそろ警察の方で引き継いだ方が良いと考えているらしい。ぼくも、そう思うよ」


 明日香は駐車場の隅に転がったモールトンに向かう。また徒労だけで終わるのだと思うと、やり場のない怒りが沸いてきた。

 傷だらけになってしまった愛車を起こす。


 ――この件が解決したら、一度きちんとメンテナンスをしよう。


「帰るなら車に積んでくよ」


 君塚が声をかける。その気をつかった言い方が、明日香にはかえって重たい。彼女は振り返って笑う。


「武生を追います」


「なんで? もう手出しはしないでくれって、ついさっき」


「あんなにイチから十まで怪しい奴をほっとけないでしょう?」


 君塚は携帯電話を手に、いまにも走り出しそうな明日香を止めた。


「ちょっと待って、未知香ちゃんから連絡が入ってたみたいだ」


「そんなのどうでもいいですよ、早く行かないと武生が」


「まあまあ。それならそれで、ぼくも行くからさ」


 要するに、監視役なしでは動くなということだ。

 明日香はサドルにまたがり、苛立たしげにペダルを回す。君塚は携帯を耳に当てたまま、なかなか動き出そうとしない。


「係長、まだですか」


「出ない。なにかわかったのかな」


 留守録音には未知香の舌打ちと、短く鼻を鳴らす音だけが入っていた。


「いいから行きましょう、用があれば折り返してきますよ。……ああ、ほらね」

 鳴り始めた携帯の画面を見て、二人は顔を見合わせる。

 そこには、山下警部補の名前が表示されていた。


「はい、SAS君塚」


 電話に出た君塚の硬い声で、なにか状況に動きがあったのがわかる。明日香は電話を奪い取った。


「あ、ちょっと!」


「山下さん、なにかありましたか」


『ああ、明日香ちゃん。国見美由紀の指紋が出た。どうも妙なことになってきたよ』


「そうでしょうね。彼女が行方不明の死亡者だということは、本人も認めていますから」


『違う、そっちじゃない。武生の家から持ってきた例の写真立てから、指紋が出ているんだ』


 ボロアパートで燻る〝生きた死人〟ではなく〝内縁の妻〟だった方だ。

 写真立てごと借り受けた写真は、コピーした後でオリジナルを山下に渡してあった。


「じゃあ、彼女には犯罪歴でも?」


『ああ、子供の頃のどうでもいい悪さでね。未知香ちゃんには〝金と女を洗え〟なんて言ってしまったんだが、彼女の提案で調べるまでこちらはまったくのノーマークだった。被害者の妻と思われていた人物は……佐藤望、年齢二十八歳』


「佐藤? ちょっと待ってください、それって……」


『そうだ。武生の友人……彼から理恵子を奪ったという、あの〝男性〟だ』


 首筋に触れたものから火花が散り、背筋を衝撃が駆け抜ける。それがスタンガンだと認識したときには、すでに四肢は力を失っていた。倒れた未知香に目隠しがかけられ、両手を後ろで縛られる。振り払おうとした手は、地面を叩いただけだ。


「……ッひ、ひゆ、ひ」


「美由紀? あいつなら、もう行ったわ」


 理恵子は冷え切った声で吐き捨てる。


「持ってって」


 男の気配が近付き、拘束した身体を軽々と抱え上げた。どこかに運ばれると知り、未知香は身を強張らせる。必死に抵抗を試みるが、筋肉はまともに動かない。


「こ……こぉ、ふ?」


「誰も殺したりしないわ。誰もね。あなたには……あなたたちには、少しの間だけ目を瞑っていて欲しいの。それだけよ」


 納屋のなかに横たえられた後、未知香の記憶は途切れた。

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