愛惜の情
『雪! 散歩に行くぞっ』
——あの日もただ、喜んだ。
テツロウが散歩に行こうと声をかけてくれたことが、ただただ嬉しくて。
尻尾を振って、体を跳ねさせて、テツロウの周りを駆け回っていた。
ドサッ、と。鈍い物音が耳に聞こえてきた。
後ろを振り向くと地面に倒れ、苦しんでいる大切な人の姿があった。
何が起きたかわからなかった。
いつものように散歩に行った。途中、テツロウが少し休もうと言って公園で休憩をした。
そして家に帰ろうと歩き出した時のことだった。
テツロウは口から泡を吹き、苦悶の表情で胸を押さえながら倒れて動かない。
倒れた原因なんてわかるはずもなかった。
だから必死に呼んだ。起きて! とテツロウに向かって何度も呼びかけた。
名前を呼んでほしかった。“ゆき”と——いつものように元気な声で呼んでほしかったのに。
それだけを願い、動かない飼い主に必死に吠え続ける。
テツロウは動かなかった。顔もだんだんと蒼白に変わっていく。
"家……家だ!"
公園を飛び出して、家を目指して駆けた。
家にはテツロウの子どもが——キョウコがいるのを知っていたから。
生まれてから一度も全力で走ったことはなかった。だってテツロウと歩く時に走る必要なんてなかったから。
初めて必死に走り、住宅街を駆け抜けていく。家はもうすぐそこだ。
キョウコを連れて、テツロウを助けに戻る。
ただその為に、決して足を止めなかった。
だから大きな箱が自分にぶつかったなんてことにも……最後まで気がつくことができなかった。
△△
——結局あの後、ヴェルメの家まで来てしまった。
本当はあのまま村から離れるつもりだったのだが外まで追いかけてきたヴェルメが気になってしまい、振り切ることができなかった。
そもそも離れたところで行く当てもなかったこともあり、彼女に促されるまま村に戻ることになった。
ヴェルメの家はかなり簡素な作りをしていた。
小さな台所と食事をするためのテーブルがある居間と、奥には寝室と思われる小さな部屋があるのみだった。
テツロウの家がこれくらい簡単に作られていたら、彼もあんなにドタドタ歩き回らないですむのかも……とぼんやり考えた。
「何かあげたほうがいいかな……ねえ、おなかすいてない? のどかわいてるとか——」
言われてみてしばらく何も口にしていないような気もしたが、特に空腹や喉の渇きはない。
それよりも疲労感が酷く、すぐにでも休みたい気分だった。
その意思を示そうと、家の隅に移動してその場で丸くなった。
するとヴェルメが近寄り、そっと頭をなでてくる。
「……疲れたよね。でも、よかった。どこもケガはしてないみたいで」
……確かに身体には傷一つついていない。
魔族に切りつけられた個所もいつのまにか治ってしまったようだ。
「今日は本当にありがとう。私やおねえちゃん……村のみんなを助けてくれて。あなたは私にとって、まるで奇跡みたいだったよ。お礼にもならないけど……せめてゆっくり休んでね」
……ヴェルメの優しくなでる手が心地いい。
彼女の手が頭を一つ触れるごとに眠気に誘われ、やがて深い眠りに落ちた。
* * *
魔族の襲撃後、リーベは未だ休むことなく怪我人の治療に回り続けていた。
「——痛みはどう?」
「ああ、すっかり治ったよ。折れた骨まで元通りにしちまうなんて、リーベの魔法は本当にすげえな」
よかったと答える。
柔らかく微笑むがその額は汗ばんでいた。
「しかしリーベ、お前もかなり疲れた顔してるぞ。いい加減休んだほうがいい。怪我人は多いが命に関わるほど重体な奴はいないはずだ。このままじゃお前が倒れちまうぞ」
「わかってる。ちょうどおじさんの治療で最後だったから私ももう帰るわ。ゆっくり休んで」
「……ありがとよ、リーベ」
「——やっと終わったぁ……」
リーベは安心と同時に一気に押し寄せる疲れをなんとか堪える。
ヴェルメは休んでくれてるといいのだが妹のことだから眠らずに自分を待っているかも。そう思うとまだ一息つくことはできない。
早く戻るために帰路につこうとするが——
「リーベ、ちょっといいか」
呼び止めたのは村の男性だった。
「どうしたの? まだ誰かケガをした人が?」
「い、いやそうじゃなくて……ついてきてくれないか。村長がお前を呼んでる。お前に話を聞いてもらいたいって」
男性は沈痛な面持ちでひどく言いにくそうにしている。
その反応を見て頭によぎるものがあったが、ここで口にはしなかった。
「……わかった。今、行くね」
——村長の家には彼以外に村の大人が何人か集まっていた。
老齢の長は申し訳なさそうに口を開く。
「来たか、リーベ……わざわざ足を運ばせてすまんな。本当は私がそちらに行くべきだったのだが……」
「足が悪いんですから無理なさらないでください。……それでお話というのは?」
「ああ、うむ……」
言いにくそうに口ごもる村長の代わりに村の男性が答える。
「リーベ。お前とヴェルメには……出て行ってもらうことが決まった」
「っ……」
ああ、やっぱり——とリーベは思った。
理由が想像できてしまい、どうしてと問う気力が湧かなかった。
「ちょっと! 何を勝手に決まったことにしてるのよ!?」
「いいの、アーダおばさん——」
「よくないわ、リーベ! 私は反対です! リーベとヴェルメを追い出すなんて!」
「いいや、決まった事だ! そうでしょう、村長!?」
詰め寄られた村長はゆっくりと重い口を開く。
「……リーベ。理由はわかるか?」
「……魔族の狙いがヴェルメだったから、ですか?」
村長は否定せず話を続ける。
「あの魔族は魔王の命令を受けていると言っておった。となればそれを果たす為に何度でも奴らは来るだろう。ここにヴェルメがいる限りはな」
否定できないリーベの代わりにアーダが反論する。
「待ってください! 魔族はペンダントだけが目的だって言ってたじゃありませんか! ならあんな物どこかに捨ててしまえば——いえ、欲しいと言うならくれてやればいいんです! そうすればヴェルメだって——」
「いえ、おばさん……魔族はヴェルメを知っていたわ」
自分達をかばってくれているはずのアーダを否定してしまう。
そう、知っていたのだ。
この村に来たのが居所に大体の当たりをつけてのことなのか、それともただの偶然だったのかはわからないが、少なくともペンダントの持ち主がヴェルメだと魔族は認識していた。
なら仮にペンダントをどこかに捨てたとしても、ペンダントを目的にヴェルメを狙ってくる状況は変わらないだろう。
「それに渡したところで奴らはヴェルメを助けない。実際、あの魔族は私達を殺そうとしました。多分、村の人達も誰一人生かす気がなかった……魔族がそういう生物だってことを私は知っています」
脳裏にかつて体験した時の光景がチラつき、思わず握っていた手に力が入る。
「……魔族の狙いはヴェルメだ。だから本来はお前まで出ていく必要はない。だがリーベ……お前はあの子を見捨てられないだろう?」
「……当たり前です」
村長の言葉に対し、わずかに語気が強くなる。
「だ……だから二人を追い出すって言うの? ヴェルメはまだ9歳なのよ? ここを出ても行くアテなんてないのに……! あんな小さな子を——!」
「大人とか子どもとか関係あるかっ!!」
それでも食い下がるアーダを村の男が叱責する。
「考えろ、アーダ! 今夜、俺達はどうなってた!? 魔族と魔物が仲間割れするなんて意味のわからない奇跡が起きてなきゃ今頃、みんな奴らのエサになってただろ!?」
「で、でもだからって……ヴェルメもリーベも村の為にいつも一生懸命、働いてくれてたじゃない! みんなのケガだってリーベの魔法があるから……っ」
「……俺達だって憎くて追い出したいわけじゃない。でもここに置いたからどうなるっていうんだ? 相手は魔族だぞ。自分の身も守れない俺達じゃ二人を守ってやることだって出来ないじゃないかっ」
まるで自分の口から出る言葉に苦しんでいるように、男は頭を抱えてしぼりだすように話した。
その姿がリーベには辛かった。
「いいの、おじさん……わかってるから」
「……お前とヴェルメの存在は村の者にとって安らぎだった。お前の魔法で、みんながどれほど救われたか……本当に感謝しておる」
村長はそう口にし、一つ溜め息をついてから話を続ける。
「勇者様一行がいなくなり、魔族どもが台頭し、人類が魔に敗北を認めて一年だ。どの道、今の世で平穏に生きるなど不可能だろう。だが——」
だが、それでも。理不尽に殺されたくない。
少しでも生き長らえる時間を延ばせるのならソレを選んでしまいたい。
たとえ身内を切り捨てでも。
「すまない、リーベ。……憎んで、いい」
頭を深く下げる村長にリーベは静かに首を横に振る。
「私はここが好きです。私とヴェルメを快く受け入れてくれたこの村には感謝してます。……だから憎んだりなんかしません」
「リーベ……」
「かばってくれてありがとう、アーダおばさん。私、荷物をまとめなくちゃ。——それとヴェルメを説得するので、せめて夜が明けるまでの時間を頂けますか?」
アーダに礼を言いつつ村長に交渉をする。
「ああ、そうだな……わかった」
「それじゃあ失礼します。……今までお世話になりました」
頭を下げ、リーベが出て行った後に誰も言葉を発することはなかった。
「——そう……当然、よね」
あんな言葉を彼らに言わせてしまったことは申し訳ないし、言われてしまったことはやはり悲しくはあった。
だが、みんなを巻きこんで一番後悔するのは自分とヴェルメだ。
そうならない為にここを離れるのは仕方ない。十分に理解はできている……が。
「ヴェルメに伝えるの……気が重いな」
そしてどこに行くべきか、この先どうやってヴェルメを守ればいいのか。
何一つ先の見えない今後に気が沈んでしまい、隠れていた小さな影が自分の家に向かって走っていったことに気がつけなかった。
◇◇◇
“こ、こは……”
——雪が目を開けるとそこは見覚えのある場所だった。
部屋と呼べるかも怪しい扉も窓もない完全に壁で囲まれた全てが白色の空間。
そして空間の中心には椅子に座っている一人の女。
「やあ、雪。大活躍だったみたいだね?」
呆然としていると女はニコリと微笑んだ。
「無事でよかった、雪。最初の危機を上手く乗り越えられたみたいだね」
間違いない。あの部屋と、あの女だ——
「君の肉体はあの世界にあるから安心していいよ。君の眠った意識だけを一時的にここに呼んだんだ。まあ、夢だと思ってくれればいいよ」
「グルルルッ! ワンワンワンッ!!」
ふざけるな! と強く吠えた。
確かにこの女にどうにかまた会いたいとは思っていたが、いざ会えると、考える前に何よりもまず怒りが湧いてきた。
「まあまあ、そんなに怒らないでよ。ロクに説明もしなかったのは認めるけれど、まずは直接体験させるのが一番だと思ったんだ。なにせ説明しようにも犬の君じゃ言語が——あれ?」
なにやら言い訳を述べようとした女が不思議そうに首をかしげる。
「雪。君、もしかして——こっちの言葉を理解しているね?」
“——え?”
ピタリと抗議を止める。
「もともと賢い子ではあったようだけど……今は完全に人間の言語を人間と同じレベルで理解しているみたいだね。ふぅん……? へえ……」
——今さらながら女の言葉で気づいた。
いつからだろう? あの世界に飛ばされてから?
確かにヴェルメやあの村の人達が言っていることは、違和感なく自分に入りこみ、ハッキリと聞き取れていた。
いや、思い返すと初めてこの部屋に来た時にはもう、そうだったかもしれない。
最初はぼんやりとだったけど、今はより鮮明にわかる。
「おもしろいなぁ。これも君の環境適応になるのかな」
“環境適応……ってなに?”
こっちの疑問を他所に女は口もとに指を当てて何やら考えている。
「君がボクの言葉を理解しているのにボクが君の言葉をちゃんと理解できてないのは、なんだか悔しいなぁ。——ちょっと待っててね」
すると女はテーブルに置いてある例の浅鉢に植えられた球体の一つに指で軽く触れる。
そしてまるで口紅を塗るような動作で、自分の唇を小指でなぞった。
「言語を獣に合わせるのは初めてなんだ。上手くいってるかちょっと心配なんだけど……何かしゃべってみて?」
“……環境適応ってなに?”
「ああ、わかるわかる。ふふっ、成功してよかった」
女は無邪気に喜んでいる。怒りはまだ収まらないが、言葉が通じるというのはこっちにとってもありがたい。
まずは出来るだけ疑問に答えさせようと努めることにした。
「環境適応は言葉通りの意味だよ。例えば“ある場所”に生まれた生物はその環境に合わせる為に自分の形態や行動を変化させるだろう? それと同じように別の“花”へ移された生命は新たな環境を生き抜く為に自身を変質させるんだ」
どういう仕組みでそうなるかはボクもよくわからないけど、と女は付け足す。
“待って。じゃあ……怪物の姿に変えられるのも?”
「“花”に送ってからの君の様子は見てたよ。つまりはそう——あの黒い怪物の姿は君があの世界で生き抜く為に君自身が適応した結果だね」
“環境に適応……アレが?”
確かにあの姿のおかげで生き延びることができたしヴェルメを助けることもできたのだが、あの姿が自分の進化だと言われてもイマイチ実感ができなかった。
「まあ最初は戸惑うだろうけど違和感はすぐになくなるよ。実際、二回目は簡単に出来ただろう?」
“……言葉がわかるようになったのも、そういうこと?”
「多分そうだね。環境適応で得る力はその命ごとに全く違うものなんだけど……ある程度、共通しているのはその命が持つ願望やこだわりというのがカタチとして反映されやすいみたい」
例えば鉄をも破壊できるような力を得たり、万病を治せるほどの技術や力を得たりと様々だね——と女は語る。
「だから、雪。“人の言葉を理解したい”という願望が君にあったんじゃないかな? 自覚はないようだけど、そういう想いが反映された結果なのかもしれないね」
——願望。
それを聞いてテツロウのことを思い浮かべる。
確かに自分は人間の言葉を理解したいとずっと思っていた。
あの人を知りたい、あの人の言ってる言葉をわかりたい。
そうすればもっとあの人に寄り添えるのに——と。
——そうだ……テツロウの家に帰らないといけないのに。
この女に会えたらまず言うべきことはそれじゃないか。
この女が口にする怖い話なんてもう聞きたくない……!
“テツロウ……テツロウは?”
「まだ訊くことがあるのかい? 今回はボクのやってもらいたい事を改めて説明したくて君を呼んだんだけど……」
“そんなこと知らない! お願いだからもう帰して! あの家に帰りたい! テツロウは……テツロウはどうなったの!?”
必死に訴えかける。
たとえ人ならざる存在が相手だろうと、縋るしかなかった。
ふう、と女は軽く息をつくと再び浅鉢の球体の前に立ち、何かを操作するように指を動かす。
すると小さな光が女の指先に現れた。
「まずはそれを教えてあげないと聞いてくれそうにないね。とりあえずこれを見るといい」
そう言って女は指をちょい、と動かすと光が一人でにこっちへ近づいてくる。
その光が自分の額に触れた途端、頭にある映像が流れてきた。
そこには——よく知る人物が映っていた。
——ここはテツロウの家だ。そこに小さな女の子とその母親が座っていた。
ああ、キョウコだ……マイナもいる。テツロウの大切な家族。優しい人達。
でも様子がおかしい。キョウコは酷くやつれていて、よく知るいつもの明るい表情はどこにもない。
マイナもキョウコにしがみついて動く様子がない。
そして寄り添うように誰かがキョウコに話しかけている。
……見覚えがある。近所に住んでる人でテツロウとも仲が良かった。
話し声が聞こえてくる。
『響子さん……大丈夫? 舞菜ちゃんは……』
『……泣き疲れて、今眠ったところです』
『哲郎さんのこと……なんて言ったらいいか。それに、雪ちゃんまで……』
キョウコは重たそうに口をゆっくりと動かす。
『父は……心筋梗塞だったそうです。公園で倒れていたのを近くを通った人が、見つけて。でも、救急車が到着した時には……もう』
普段の明るいキョウコとは、かけ離れているほど弱々しい声で話す。
『雪は……家の近くで倒れていました。お父さんが倒れたから、きっと私を呼ぼうとしてくれていたんだと思います。でも車に轢かれて……血を流して……痛かったよね』
『響子さん……っ』
『考えても意味ないってわかってるの……! でもっ、もっと早く気づけたはずだって……せめてあの時、散歩になんて行かせなければって……そんなことばかり考えて……っ!』
私がお父さんと雪を死なせた——
響子は泣きじゃくりながら、そう何度も繰り返している。
その様子を最後に映像は消えた。
……テツロウが、死んだ?
「恢凪哲郎は死んだ。病に蝕まれ公園で倒れて。君が車に轢かれたのと同じぐらいのタイミングで息を引き取ったみたいだね。つまり君の会いたがっている人間はもうどこにもいないということだよ」
テツロウがもうどこにもいない? もう……会えない?
「もちろん君も死んでいるよ、雪。今は肉体があるからその実感がないだろうけど」
女は雪の求める答えと尽く逆の現実を突きつけた。
「結論を言うと——君は元の場所には帰れない。いじわるじゃなくて言葉通りの意味でね」
暗い底なしの水に沈んでいくような感覚。
悲嘆に暮れる二人の姿が目に焼きつき、これは全て嘘だと安易に逃げることすら許されなかった。
女はまるで当てが外れたかのように話す。
「君が助けを呼べてたとしても恢凪哲郎は手遅れだった。もっと言えばあの時、散歩に行かず病院に向かったとしても彼に先はなかっただろう。だから君が気にする理由は何もないと慰めるつもりだったんだけど——」
女は言いかけて止めた。
「逆効果だったみたいだね。こういう時の心の複雑さは人も獣も変わらない。君達、“花”の中の生命は色々と本当に難しいなぁ」
言い終わると女は時間を告げる。
「今回はこれで終わりにしよう。あまり長くここに留めるのもよくないからね。その“花”の情報を伝えるのはまた次にするよ」
女が指を横に動かすと意識が急に遠くなっていく。
「おやすみ、雪。また次の夢の中で」
◇◇
目を開けるとそこはヴェルメの家だった。
あの女の言ったように体はずっとここにあったのだろう。
……目なんて覚まさなければよかったのに。
テツロウが死んだ。
その事実があまりに重くのしかかり、体をほんの少し動かす気力もなかった。
——キョウコとマイナのあんな姿、見たことなかった。
あの二人はこれからもあんなふうに生きていくの?
あんなにも弱々しくて寂しい姿のまま……
テツロウはもうどこにもいない。もう会えない。
あの家に帰ることはもうできない。
じゃあ……どうして自分だけが今、ここにいるの?
何のためにここにいればいいの?
こんなの……何の意味もない。
その時、家の扉が開き誰かが駆けこんできた。
ヴェルメだ。どこかに出かけていたのだろうか?
ヴェルメはそのまま寝室に入るとワラでできた自分の寝床に飛びこむように横になった。
小さな体を丸めて少し震えているのが見える。
“……”
のそりと起き上がり、そっとヴェルメに近づいた。
その気配を感じたのか、ヴェルメは寝床にうずめていた顔を向ける。
その顔は涙で濡れていた。
「ご、ごめんね。うるさくして起こしちゃ——」
言いかけたところでヴェルメはじっとこっちを見つめだした。
「……泣いてる、の?」
森で会った時と同じことを訊いてきた。
ヴェルメは顔をそっとなでながら謝る。
「ごめんね。泣いてるのはわかるのに……それがどうしてかまではわからないの。わかってあげられなくて……ごめんね」
泣いてなんていない。そもそも人間と違って、悲しくて涙を流すことはないのだから。
それでも少女は泣いている、と口にした。
今、泣いてるのは——君のほうなのに。
自分の悲しみを他所に少女はこんな自分の心に寄り添ってくれていた。
「——ヴェルメ、まだ起きてたのね……」
扉が再び開き、リーベが帰ってきた。
「おねえちゃん……」
「! ヴェルメ、あなた……」
妹の涙の跡を見て、リーベは察する。
「……話を聞いてたの?」
「ごめんなさい……」
「謝ることないっ、むしろ私が——っ」
リーベは一瞬、口をつぐむが一呼吸置いて言葉を続けた。
「……聞いてくれる? ヴェルメ。辛い話になっちゃうけど……私達、ここを——」
「大丈夫だよ」
「え?」
「今、泣き終わったから。私、もう……いっぱい泣いたからっ だから……もう私は大丈夫だよ、おねえちゃん」
「っ……!」
リーベは妹を抱きしめる。
この大事な存在が決して失われないように強く強く。
「ヴェルメ……絶対にあなたを一人にしない……ずっと一緒だからっ」
お互いを想い合う二人の姉妹の姿を見て、自分の心に少しの嬉しさと安心感——そして大きな寂しさが生まれていた。




