喪失と出会い
何度考えてもわからない。どうしてこんな事になったのか。
知らない場所に、知らない生き物。そして知らない姿に変わった自分の体。
こんなわからないことになった始まりは、やっぱり——あの部屋だろう。
◇◇
"…………なに?"
目が覚めた時、そこは見覚えのない真白い部屋だった。
いや、部屋という表現は正しいのか。床も壁も天井も全てが白色の空間。
それどころか出入り口らしきものさえも全く見当たらない。
まるで完全に密閉された白い箱の中に入っているかのよう。
電気の類も日が入る隙間もないのに、やけに明るい空間になっているのも気味の悪さを強調している。
「おや、これは珍しい——」
白い空間に透き通った声が鳴る。
そして部屋の中心には椅子とテーブルが一つ置かれており、一人の女が座っていた。
女はこちらの姿を認めるとゆっくりと立ち上がり、こちらを覗きこむように頭を少し横に傾ける。
肩よりも伸びた青白く長い髪がサラリと横に流れた。
「よく来てくれたね。歓迎するよ」
まるで待ってましたとでも言いたげに薄く微笑む。
見た目は……人間の女性。
裸足で淡い紫色をした薄手の布を一枚羽織っているだけの姿。
静かな落ち着いた雰囲気を感じるしゃべり方だが、声色には少し嬉しさも混じっており淡々とはしていない。
そして真白いこの場所のせいもあるのか——姿が見えづらい。
女は確かにそこにいるはずなのに酷く存在感が希薄だ。
線の細いその体つきも相まって吹けば消えてしまいそうな儚さがあった。
その存在を確かめるように凝視している。
すると女がこちらに一歩近づいてきた。
思わずビクリと体を動かし、唸り声をあげて女を威嚇する。
一気に警戒心が湧き上がる。全身の毛が逆立っていた。アレはまともな生物じゃない。
人間から感じる空気の動きや音、匂いがアレには全くない。
目の前にいる得体の知れない女に対して本能が危険だと全力で訴えていた。
そんな様子を見て女はニコリと笑いかける。
「怖がらなくても大丈夫だよ。ボクが君に危害を加えることはない。そして君もボクに触れることはできないんだ。だからそんなに神経をとがらせても疲れちゃうだけだと思うよ?」
そう言うと女はくるりとふり返り、椅子と一緒に置かれているテーブルに向かった。
そのテーブルに目をやる。何かが置かれているようだが位置のせいでイマイチ見えづらい。
「君も見たい?」
そう問うが別に返事を待つことはなく女はテーブルの端に置かれた物を手に取ると、それをそっと床に置いた。
女を警戒していたはずなのに一瞬忘れて思わずソレに近づいてしまった。
コレは、なに?
ソレは植物だった。浅鉢の中に土が入っており、その上には植物——葉の感じからして、たんぽぽと思われるものが植えられていた。
だが何か奇妙だった。
葉の感じはたんぽぽのソレに酷似している。しかし肝心の花部分がおかしい。
本来、花があるはずのその部分には球体がくっついていた。
球体——そうとしか表現のしようがないモノ。
少なくとも花に当たる部分についているものは植物ではなかった。
ちょうど大人の人間の握りこぶしほどの大きさだが、透明感があり見た目にあまり重量を感じさせない。
植物の細い茎で支えるには不釣り合いなソレは淡い黄色の光を放ちながら脈打っていた。
まじまじとソレを観察していると女がその鉢をひょい、と持ち上げてしまった。
「ごめんね。ちょっとすることがあるから」
そう言って女は鉢をテーブルの上に戻した。
テーブルは横長に作られており、その上には先ほどのと同じ浅鉢が横並びに五つ置かれている。
どの鉢も同じだった。鉢に植えられている植物らしきもの。
その花部分はどれも謎の球体がくっついている。
「ちょっと待っててね。えーと……」
女はテーブルの右端に置いてある鉢を眺めている。さっき見せてきた鉢だ。
そしてその鉢の植物……というより球体に人差し指で触れる。
すると何かを確認しているかのように女はうんうんと数度頷く仕草をすると、視線を戻し——
「——ユキ」
"!! え——"
馴染んだ言葉が聞こえ、耳がピンと立つ。
「君の名前は雪だ——うん、素敵な名前だね。ボクもそう呼ばせてもらうよ」
それをこちらが受け入れるかどうかを考える気はないらしい。
"なんで……なんで、名前を知って——"
「それにしても困ったなぁ。まさかここにやって来たのが人間じゃなくて犬だなんて、初めての事象だからどうしたものか迷うんだけど……」
よくわからないことを言いながら女はうーん、と何か考えこんでいる。
「まあいいか……ボクも選り好みをできる立場じゃないしね。うん、よし——君にお願いしてみよう、雪」
女は何かを納得したように両手をポンと合わせている。
……これは、なに? 何が起きてるの?
わからない……わかるわけがない。
ただテツロウと一緒にいただけなのに。
いつものようにテツロウと散歩をして、家に帰ろうとしていただけなんだ。
だからこんなのはおかしい。
今頃は家にいるはずで、こんなワケのわからない場所にいるわけがないんだから。
「……とは言ったものの、これまでの客人と違って君は獣だからね。言葉だけで伝えるのは些か以上に難しいだろう」
すると女は掬い上げるような動作で真ん中の位置に置かれていた浅鉢を両手で取る。
先ほど見せられた鉢とは別のものだ。
黄色く発光していた先の球体と違い、女が手に取ったそれは妙に黒ずんで見えた。
「だから、とりあえず——行ってもらうのがいいだろう」
そしてその黒ずんだ球体の鉢を、突然こっちへ向けた。
"な……、えっ!?"
その瞬間、足下の床が青く光り始めた。
慌てて飛びずさろうとしたが体が固定でもされてしまったかのようにその場から一歩も動かすことができない。
「まずは行って、観察して、そして体感してくるといい。その"花"の中に在る脅威と、その関わり方を。それらを生きて叶えることができれば……ボクの求めることにも自ずと応えてくれるかもしれないからね」
体を囲った光は上に向かって円柱状に伸びていき、それに合わせて女の姿が見えなくなっていく。
「グルルルッ! ワンッ! ワンッ! ワンッ!」
吠える。必死に吠え続ける。
イヤだ、と。あの人の元へ返してと。自分の居場所はあの人の傍だけなのだと。
そんな小さな願いすらも届かず。
意識が途切れる瞬間まで、ただ嫌だと吠え続けた。
* * *
——こうして後に残るのはいつもと同じ。
白い無機質な部屋とテーブルと椅子、そして女が一人だけ。
雪が消えた場所をしばらく見つめた後、手に持った黒ずんだ球体の入った浅鉢をテーブルに戻す。
「ごめんね、雪。でもこの“花”一つ一つはボクにとって大事なんだ。それはもう丹念に心をこめて育ててきたものだからね。だから腐り落ちるその時までは“花”を救うことを出来るだけ諦めたくはないんだ」
黒ずんだ球体を見つめながら思う。
雪の前にも何人かの人間をこの“花”に送った。しかしいずれもダメだった。
この“花”を救える機会は恐らく今回が最後。
そんな最後の機会に現れたのが、よりにもよって人間に飼い慣らされた一匹の獣だとは、嘆けばいいのか笑えばいいのか。
「まあ……おもしろいと言えばおもしろい、か」
目を瞑り、呟く。どうせ自分は無力なのだからと。
それに比べればどんなものにでも期待は持てる。
「いってらっしゃい、雪。君の出現がその"花"にあらゆる奇跡をもたらすことを願っているよ」
◇◇
雪がさ迷っている森から、ほど近い場所に小さな村が一つある。
普段ならとうに寝静まっている真夜中だがほとんどの家屋に明かりが灯っており、村の中全体が何やらざわついている。
村の真ん中にある広場。
普段は荷を横断させる道や集会のために使われる場所の中心には大きな血だまり。
そして人間の物と思われる服の切れ端と小さな肉片が複数落ちている。
それを足元にして男が悠々と立っている。
男は自分の腕を指でトントンと叩きながら退屈そうにため息をつく。
「遅いな。小娘一人を連れ戻すことすら出来ぬとは……思いの外、魔物というのは使いづらいな」
男は自分の隣に立っているモノを見て呆れたように言葉を続ける。
そこには三メートルはある巨大な人型の魔物が立っていた。
オークという名の怪物。
緑の肌で、ゴブリンに近い見た目をしているが違うのはその圧倒的な体格差。
手には身の丈に合わせた巨大なナタが握られており、見る者を威圧する。
口もとには大量の血が付着しており、地面の惨状の理由を物語っていた。
村人達は全員、その広場を囲うようにして座らされている。
同じ村の仲間が目の前で喰い殺されたのを目の当たりにし、恐怖の表情を隠すこともできず、ただじっと震えている。
男は感情のこもっていない声で語りかける。
「驚かされたぞ。まさか魔法を扱える人間がこんな小さな村にいたとは……キサマの邪魔があったせいで小娘を取り逃がしてしまった」
広場を囲う村人達とは別に男と怪物の目の前には一人の少女がいた。
ゴブリンに両手足を縄で拘束され、地面に押さえつけられている。
身動きが取れない少女は無言で男を睨みつけている。
「哀れだな……村人は皆、怯えている。どう思う、女? キサマがあの小娘を逃がしたりしなければ村人が犠牲になることはなかったかもしれん」
「……適当なことを言わないで。人間をいたぶって苦しめることを愉悦にするのがあなた達、魔族でしょう。こっちが何をしたって、あなたは私達を生かさないくせに」
「その通りだが……何故それを咎める? 人間で言うところの娯楽が、たまたまキサマ達の悲鳴だっただけの話だ」
「……反吐が出るっ」
「むしろ悪いのは、いたぶった程度で泣き叫ぶ人間の方だとは思わぬのか? いちいちあのような声を出されては、こちらもつい滾るというものだ」
少女の言葉に答えを返す男は人間ではなかった。
魔族と呼ばれたソレは人の姿とあまりに酷似しており、頭部から伸びた2本のツノがなければ見分けがつかないほどだ。
突然、魔物を引き連れて村を襲ってきた魔族の男。
戦う術を持たない村人は魔物達の暴威に抗えなかった。
唯一、魔法を扱える少女も多勢に無勢であり、そもそも敵を倒すことに使う魔法をロクに知らない。
かろうじて少女に出来たのは目くらましをしている間に自分の妹を森に逃がすことだけ。
「ヴェルメ……どうか、逃げきって……っ」
抵抗する術を失い、死を待つだけの無力な身となった少女は、大切な妹が無事であることをひたすらに祈っていた。
* * *
「……!」
「……! ……!」
……何か音が聞こえる。近くで聞こえているはずなのによく聞こえない。
どうしてだろう……
……何をしていたんだっけ?
……そうだ、テツロウだっ テツロウを助けないと——
でも……体が動かせない。どうして……?
目も、開けられない……瞼を開く力も入らない……
「犬が轢かれ——……!」
「こ、この犬……急に飛び……てきたから!」
「うそ……この子、哲郎さ……ところの……」
おなかの辺りから何かが流れていってる……
……さむい。すごく、さむい。箱の中にいた時みたいだ……
テツロウ……こわいよ。テツロウに……会いたい。
名前を……呼んでほしい。“雪”って呼ぶ……テツロウの声が聞きたい。
テツロウ…… テツロウ————……
「ねぇ……っ ねぇ、大丈夫……?」
聞こえる声と体をわずかにゆすられる感覚が伝わる。
微睡んでいた意識が少しずつ覚醒し、目をゆっくりと開いた。
「あ……起きた?」
ザァッと木々の間を抜けて流れてくる風が毛皮を撫でる。
……この子は。……ここ、は?
ぼんやりとした頭でなんとか状況を整理しようと努める。
——そうだ。あの白い場所に連れてこられて、女と話した。
それで何もわからないままこの森に飛ばされた。
土埃を払うために一度ブルブルっと体を振り動かしてから改めて少女を見た。
「へ、平気……?」
少女は心配そうにこちらを気にしている。
そんな彼女の姿を見てようやく頭がハッキリしてきた。
アテもなくこの森をさまよっていたら、この子が襲われていた。それを助けようとしたんだった。
だけど結局、返り討ちにあって……でも、その後、は……
その後のことは正直あまり覚えていない。
いや、一応覚えてはいるが自分がやったことという自覚が薄いと言うべきか。
あれは本当に夢ではなかったのだろうか。
しかし目の前の少女の存在、そして辺りに散らばった緑色の骸が紛れもない現実を示していた。
「起きてくれて、よかった。苦しそうに震える時があったから、心配しちゃった」
少女はホッとしたようにそう話す。
……確か、名前はヴェルメって言ったっけ。
どうやらあの戦いの後、眠った……というより気絶していたのを、この少女が側で見守ってくれていたらしい。
"ありがとう——"
「……さっきは助けてくれて、本当にありがとう」
お礼を伝えたくて声を出したのに逆に感謝されてしまった。
少女——ヴェルメは優しく微笑みながら頭をそっと撫でてくれた。
紫色の瞳と紺色の長い髪。その髪を左右に分けて黒いリボンで結んでいる。
あどけなさのある小さな人間の女の子。
その姿は舞菜という哲郎の家族を思い出させた。
そして先ほど緑色の群れを倒した直後もそうだったが、こちらの感情をどこか見透かしているような雰囲気がある。
不思議な印象を受ける少女だった。
「私……ヴェルメっていうの。あなたは、なんていうの……?」
「………ワウっ」
すでに一度試したやり取り。
“雪だよ”と名乗ってみたがやはり少女に伝わっている様子はない。
先ほどまでの雰囲気からもしかして心を読めるのではないかと考えていたが、どうやらそういうわけでもないようだ。
「あなた、どこから来たの? この森に住んでたの? でも、あなたみたいな子が森にいたなんて誰からも聞いたことない——、あっ!?」
ヴェルメは質問を投げながら自分の首もとに目をやると、突然ハッとし、あわてたように辺りを見回している。
「な、ない……! どうしよう……ペンダントがっ!」
“ペンダント? そういえば……”
あの時、ヴェルメが緑色達に押し倒された時に何かが彼女から飛んでいったのを見た気がした。
もしかしたらアレがそうかもしれない。
ヴェルメは泣きそうな顔をしながら暗い地面を手探りで探している。
そんなヴェルメの体を足で軽くポンと叩いた。
「え……っ?」
“ついてきて”と小さく一吠えし、歩く。
鼻を頼りにヴェルメの匂いと一致するものを探す。
すると、そう時間をかけず草陰にそれらしき物が落ちているのを見つけた。
「あ! これ——っ」
ヴェルメが駆け寄る。彼女が探していた物で間違いないようだ。
金属の輪っかに丸いガラス玉がはめこまれている。
そのガラス玉には夜の星空のような絵柄がついていて、夜闇の中でも青くキレイに光っている。
ヴェルメはペンダントを拾うとホッとしたように両手で握りしめる。
「探してくれてありがとう。……見つかって、よかった」
ペンダントをしっかり首につけなおしながらヴェルメは感謝を口にする。
「……これね、大事な物なの。私を……私とおねえちゃんを助けてくれた人がくれた……すごく大事な物……」
そこまで話すとヴェルメは急にしゃがみこみ、静かに泣きだした。
「おねえちゃん……っ やっぱり、ダメだよ……っ みんなを……おねえちゃんを置いてけない……よぉ……っ」
"……泣かないで?"
すすり泣くヴェルメを慰めようと体をすり寄せる。
なぜ泣いているのかはわからないが、とにかく今は彼女が悲しむことを止めたかった。
ヴェルメは涙に濡れた顔でこちらを見る。
そして頭をそっと撫でた後、優しく抱きしめてくれた。
「あなたは……優しいね。あなたに会えてよかった……」
そう口にしてからヴェルメは立ち上がった。
逃げる時にできたのだろう切り傷やアザが辛そうだが、少女は一人でどこかへ歩き出す。
それを見てついていこうとしたが、ヴェルメはダメ! と首を横に振りながら手で制する。
「この先はダメ。私の村……魔族が襲ってる。さっきのゴブリンより、ずっと強くて怖いモノが……来たら、あなたも殺されちゃう」
同行することを強く拒む幼い少女の目に無意識に足を止めてしまう。
「もっとあなたのこと知りたかったけど……おねえちゃん達を助けないと」
ヴェルメは走り出し、遠ざかっていく。
「助けてくれて、本当にありがとうっ! どうか元気で、いてね……!」
そう言い残してヴェルメは草木の奥に消えていった。
……なんてことだろう。あの子は死のうとしている。
ただ家に帰ると口にしてくれたのなら、こっちも安心して見送ることができたのに。
襲われてる? 助けに行かなくちゃ——だって?
「ウゥゥ……ッ」
すぐにでもヴェルメを追いかけて引き止めたかったが、先ほどの彼女の言葉を思い返し二の足を踏んでしまっていた。
魔族というのが何かはわからないがヴェルメは来たら殺されると言った。
あの緑色とは別の何か? あいつらよりもっと怖いもの?
姿を変えて緑色の群れを蹴散らしたあの力をヴェルメは見ていた。
それを踏まえた上であの言葉を口にしたのなら、魔族というのはそれほど恐ろしい相手ということかもしれない。
そもそも何故あの姿になったのか、あの姿がなんなのか。どうやってそこから元に戻れたのか何一つわからない状態なのだ。
あの力をまた使えるかもわからない。大体、また使っていいと信用できるものなのかもわからない。
追いかけたとしても何も出来ず、今度こそ本当に死ぬかもしれない。
……それでも
“テツロウ……”
あの子を見捨てたくないという思いと、かつて哲郎に教えてもらった言葉を、弱腰になっている自分の体に乗せる。
するとあれだけ前に進むことを躊躇していた足が不思議なほど、すんなりと動いた。
行くんだ——
この瞬間、自分に強く誓った。
自分の何を失ったとしてもこの気持ちだけは失くさない、と。




