↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/36

月の影を取る猿

 一瞬、何が起きたか理解できなかった。


 アシュティンが凄まじい速度で突進し、自分の体の下に潜りこんだのはわかった。

 その後、全身に衝撃が走り、気がつけば真上へと吹き飛ばされていた。


“……ッッ!?”


 その勢いで天井に激突し、近くに吊るされていたシャンデリアを巻きこんで床に落ちた。


 ……今のはアシュティンの攻撃によるものだ。

 体の下に潜りこんだ彼は腹部に槍先を押し当てた。

 そして信じがたいことだが、そのままゼロ距離から槍を突き上げることでこの巨大な体を10m以上ある天井の高さまで吹き飛ばしたのだ。

 

 起き上がるスキも与えず、トドメを刺そうとアシュティンは斧槍を振り下ろす。


“……ッ!”


 とにかくアシュティンを離すために腕を大雑把に振るう。

 その思惑通りアシュティンは後ろに飛び退き、距離を開いた。


「——ガハッ!」


 血を吐いた。お腹が熱くて、痛い。

 でも今は気にしてる場合じゃない……!


 今のうちにと体を起こすが、体勢を立て直し終えるより先にアシュティンが目前に迫る。

 人間とは思えない尋常ならざる速度で一気に距離を詰め、一閃の突きを放った。


“……!!”


 なんとか横に跳んで逃げるが避けきれず、胴体がわずかに裂かれる。

 アシュティンは突進した勢いを使ってそのまま距離を取った。


「まともに喰らわせてやったのに……まだそんだけ動けるのかよ」


 腹立たしいとばかりに睨まれる。


 受け身を取ることもできなかった。アシュティンにとってみればそれほどの一撃だったはず。

 実際、倒れて動きを止めた瞬間、一息にトドメを刺そうとしていた。

 それをまさか即座に反撃に移れるとは思っていなかったのだろう。


「くそっ どこから現れたんだ、テメエ……リーベ達を惑わしやがって」


 再び槍を構える。与えたダメージの程を窺いながら次の攻撃の機会を狙っている。


 アシュティンは脅威を感じているようだが、こちらはアシュティンに対しそれ以上の戦慄を覚えていた。


 こ、この人……ヒト? 人間? なんだよね……?


 この世界にいる魔物や魔族といったものは自分にとっては初めて見る新しい未知の存在だった。

 だから最初こそ驚いても、一度目にしてしまえば“そういう生物なのだ”と受け入れることはできる。


 だが人間は違う。自分は人間という存在をすでに知っている。

 人間の持てる性能の基準というものを自分は理解している。

 元の世界で一緒に過ごしたあの人達も今の世界で出会った彼女達もその基準範囲だ。


 しかし彼は? 膂力も速度も次元が違う。

 リーベのように魔法の力を扱っている様子もない。

 黒い怪物となった自分の圧倒的な力に対し、自身の純粋な身体能力のみで肉薄していた。


 アシュティンの性能は自分の理解する人間の基準をあまりに逸脱しすぎている。

 人間というものを身近で知っているだけに、アシュティンというイレギュラーさはとてつもない衝撃を与えていた。


「ふふ、言ったでしょう? 彼はこの国で一番強いって。だからそろそろ本気でやったほうがいいと思うの。でないと、あなた——とてもつまらない死に方をしてしまうわ?」


 アンデルの煽りなど聞こえないが雪は焦りを感じていた。


 まずい……よ。


 アシュティンを傷つけずにリーベ達の時間を稼ぐことが目的だった。

 とにかくこの死合いを長引かせる——それは十分可能だと考えていた。

 だがこうなってくると話は変わってくる。


 甘かった——この人を軽く見すぎていた。様子見をしていたのは、この人も同じだった……!


「……譲るわけにはいかねえ。選んじまったんだからな……選んじまった以上、もう俺には捨てられねえ。正否なんて知らねえ。俺は……捨てるわけにはいかねえんだッ!!」


 もう避けて適当に逃げ回るなんて真似はさせてくれないだろう。ここからは全ての攻撃が必殺に繋がってくるはずだ。

 こちらも全力の迎撃が必要になる。


 これ以上の手抜きは——死ぬことになる。


 リーベ……、ヴェルメ…………っ


「……オオオッ!!」


「……ふふふっ うふふふ。あはははは————っ」


 青年の哀れな覚悟を魔族が嗤う。

 そして黒い怪物がもたらす死を待ちわびている。


"……ふざけるなッ"


 引き返す術なしと観念した白槍の刃が、未だ覚悟の定まらないこの身体へと振り下ろされた。


* * *


 呪いを一つ解いた後、リーベはヴェルメと二本目の塔を目指し急いでいた。

 幸い二つの塔は町の真ん中にある大通りを挟んで互いに向かい合うように設置されている。

 一つ目の塔からなら、そう走り回されることはない。


「おねえちゃん、腕は大丈夫……っ?」


「うん、もう平気よ。最初からたいしたことはなかったし」


 瘴気に触れた直後はヒリヒリと火傷をしたような痛みがあったが、今はそれも消えているし痕も残っていない。気にすることではないだろう。


「それより急がないと——あの子もいつまで時間を稼げるかわからない……っ」


 ……とにかくこの呪いさえ解くことができればアシュティンも自分達も自由になれる。アンデルへの手出しも可能になるはずだ。


 あんなバカげたゲームは必ずここで終わらせると、リーベはより決意を固める。


「着いたっ ——これだよね、おねえちゃん?」


 目の前には一つ目と同じく細身の高い塔がそびえ立っている。


「うん、そうね。——ごめん、ヴェルメ。ペンダントを用意してもらえる?」


「あ……、そうだね。ちょっと待って」


 ヴェルメが胸もとからペンダントを取り出す。


 ここにも呪いの元があるなら最初の塔と同じく、きっと内部は瘴気で覆われているに違いない。

 ヴェルメに頼りきりになってしまうのは心苦しいがペンダントの効力がヴェルメにしか使えないとわかった以上、そうも言っていられなかった。


「いいよ、おねえちゃん」


「よし。……それじゃ、開けるわ」


 ヴェルメの合図を確認し、扉をゆっくりと開く。


「……あれ?」


 扉を開いている途中で何かおかしいと感じ、中の様子が見えたことでその違和感を理解した。


「アンデルの瘴気が……ない?」


 最初の塔のように空気が毒で満ち、侵入を妨害するものがない。

 見渡した限りでは異常はないようにも見える。


「なんともない……ね?」


「そう、ね……」


 ヴェルメが横から塔の中を恐る恐る覗きこむ。


 まさか、ここではなかったのか……?

 その可能性が頭をよぎる。

 だがアザが消えていない以上、呪いの元は確実にまだ残っている。


 それに町の真ん中に建てられた高所の建物というのは、アンデルのこの呪いにとっては拡散させやすい、かなり好条件な立地のはずだ。


 実際、一つは塔に仕掛けられていた。

 二つ目を同じ条件下に仕掛けない理由などないはず。

 少なくとももうここ以外に思い当たる場所はなかった。


 なんにしても確かめてみなければ。しかし——


 気になるのは最初の塔のように侵入を阻む為の瘴気がないことだった。

 一つには妨害を仕掛けておいて、もう一つは無防備などということがあるだろうか?


 ここは時間を多少取られても念のため、探ったほうがいいかもしれない。


 そう判断をしかけた時、ヴェルメが前へ出てしまう。


「急ごう、おねえちゃんっ」


「え、あっ ちょっと待って、ヴェルメ——」


 慌てて声をかけるがすでに遅く、ヴェルメは中に足を踏み入れた。


 すると塔の中——階段の手前の床が紫色に光り始めた。


「え?」


 ヴェルメは足を止める。

 そこから出現したのは3mはある巨大な人影——いや、魔物。オークだ。


 ああ、最低だっ ただの杞憂だったらよかったのに——っ


 リーベは目の前の現状を心底、厭った。

 オークがヴェルメを両断しようと大ナタを振りかぶっている。


 後ろからヴェルメを抱えて横に飛び、その凶刃から逃れた。

 飛び退いた勢いで二人一緒に倒れこむ。


 すぐに立ち上がり、ヴェルメの体を引き起こしてから指示をする。


「ヴェルメ、行って! 階段を上るの! はやくっ!!」


「で——」


 でも、と言いかけたようだが有無を言わせる気がない状況に押されてヴェルメは走った。

 体勢を戻しきっていないオークの横をすり抜け、階段を駆け上がっていく。


「グ、ゴ……ッ!」


 オークはそれに気づき、逃がさないとばかりにヴェルメに手を伸ばす。


「草木よ、眠りに誘え(プランツェ・スレイプ)!」


 リーベが呪文を口にすると、どこからともなくオークの頭上に花びらが現れる。

 はらはらと流れるように落ちたその一枚が体に触れた瞬間、オークは力が抜けその場で倒れた。


「っ……、あ……っぶなかったぁ……」


「おねえちゃん! 大丈夫っ?」


 上からヴェルメの声が聞こえる。


「平気よ! 今、私もそっちに——」


 行くね、と言いかけた時、床が再び紫に光り始めた。

 そこから二体目のオークが出現し、巨大な体でリーベを見下ろしている。


「う、そ……でしょ……!?」


「っ、おねえちゃん! はやくこっち来てっ!」


 確かに階段からは近くこのまま駆け上がることもできるが、この魔物を無視して行くのはあまりに危険に思えた。


 この魔物のサイズでは狭い階段を上ることはできないと思うが、下で暴れられでもすれば階段どころか、この塔ごと崩されかねない。


「私はいいから! あなたは早く上に向かって!」


「グオ……ッ!!」


 壁を背にしたリーベは間一髪、横に跳びこみ振り下ろされた大ナタを避ける。

 ナタを打ちつけられた後ろの壁が一部崩れた。


「こ、の……! こんな狭い場所に出てきていい大きさじゃないでしょ、あなた達は——!」


 この中で戦うのはまずいと考え、リーベは扉に向かい外に飛び出した。

 そして注意を引くため、外からオークに呼びかける。


「ここよ! こっちに来いっ! 私が相手だっ!」


 オークはリーベの声に反応し、扉を狭そうに潜りながら出てきた。


 とりあえずヴェルメからは引き離せた。

ただこの後の問題は自分一人でこいつをどうにかできるかということ。


 だが、どうにかするしかない。こんな罠が仕掛けてあった以上、やはりこの塔にも呪いの元があるのは確定と考えていい。

 すぐにヴェルメの後を追うためにも、リーベは目の前の魔物を倒す覚悟を決めた。


「もう少しのはずなんだから……邪魔しないでっ!」



* * *



「はぁ、はぁっ、……おねえちゃんっ」


 本当はすぐにでも姉を助けに行きたかったが、今は呪いを消すことが最優先だとヴェルメは理解した。


 呪いを解いて、魔族を倒すこと——それが現状この国で起きている全ての窮地を救うことに繋がるはず。


 リーベはその上で自分を先に行かせた。

 なら止まるわけにはいかないとヴェルメは必死に階段を上る。


 このペンダントがあれば呪いを消してみんなを助けることができる。

 それを可能なのが自分だけなのだと理解した今、必ずやりきるという決意がヴェルメの中に生まれていた。


「はぁっ、はぁっ——……!」


 ヴェルメは元々、臆病な気質で勇敢な子どもではない。

 昔から辛い時も怖い時もリーベが傍で守ってくれて、ヴェルメもそんな姉の後ろに隠れることばかりだった。


 こんなに怖がってばかりの自分では誰かの助けになんてなれないと考えていた。


(でもあの子は——怖がってても、守ってくれた。悲しくて泣いてたのに、一緒に来てくれた)


 どこから来たかもわからない、夜の森で出会った不思議なケモノ。

 あの優しい温かさを思い出すと怖くて震えるこの体でも立っていられる。

 知らない人間を守るために戦うあの勇敢な姿を思い出すと、こんな怖がりな自分にも勇気がわいてくる。


 あの子は、私にとって————


「名前……決めたよ」


 一生懸命、私なりに考えたの。気に入ってもらえるかは自信ないけど。

 でも……がんばるから。あなたみたいに勇気を出して、がんばるからっ


 だから、あなたに聞いてほしい。


「————待っててね」


 より固めた決意と共にヴェルメは上階を目指した。


* * *


 黒い怪物である自分から鮮血が飛び、玉座の間の床を赤く染めていく。


 アシュティンの一方的な攻勢は変わらず続いており、ひたすら耐え凌いでいる。

 だが彼の猛烈な攻めは回避に徹するこちらを逃さず、容赦のない斬撃が身体を切り裂いた。


"………ッ"


 せめて外だったならもっと逃げ回れたはずだが、やはりこの場所ではどうしても避けきれない。


 この玉座の間も一つの部屋として見た場合、かなりの広さを誇っているが、この巨体が自由に駆けるにはやはり不自由と言わざるを得なかった。


 そして何より本気を出したアシュティンの攻撃は、もはや地肌だけで防げるものではない。

 槍の攻めを受け続けた身体からはおびただしい量の血が流れていた。


「怪物さんったら、まだ粘るの? 本当に死んでしまうわよ?」


 アンデルの茶々と同時にアシュティンが高速で接近し、下段に構えた斧槍を振り上げる。

 躱しきれず顔の右側を眼球ごと切りつけられ、視界を半分失った。


"……ッ!!"


 思わず腕で殴りつけていた。

 横合いから振るわれた足に反応できず、まともに食らったアシュティンは吹き飛ばされ思いきり壁に叩きつけられる。


 っ、しまった……!?


 反射的に動いてしまい力を抜くことができなかった。

 普通の人間なら即死でおかしくない一撃のはずだが——


「ぐッ……、ハァ……ッ」


 崩れた体を立て直し、アシュティンは再び槍を構える。


 ホッとすると同時に改めてアシュティンという男を恐ろしく感じた。

 人間としての範疇をはみ出すぎたフィジカル。

 本当にテツロウやヴェルメ達と同じ種族なのかと疑いたくなる。


「ぐっ、……く……そッ」


 膝が崩れるのを強引に踏ん張る。やはりかなり無理をしているようだ。

 人間としては飛びぬけた肉体をしているアシュティンも今の一撃は効いていたらしい。


「そのでかい爪を使ってりゃ……今ので殺せただろうよ……テメー」


 アシュティンは歯噛みし、睨む。


「クソ……ありえねぇっ 理解不能だ、ちくしょうッ なんで、テメエは——」


 俺を殺そうとしないんだ——そう続けたいのがよく伝わってきた。


 ——するわけない。こんなに悲しんでる人を殺すことなんてできない。


 だって、そんなこと教わってないから————


 そんなひどいこと、あの人から教わってないから。


「なんなんだ、オマエは……これじゃあ、まるで俺のほうが……」


 アシュティンはチラリと横を見る。

 玉座で観戦するアンデルの近くには怯えた顔でこちらを見守る親子の姿がある。


「……クソ、知るか。俺にわかるのは今、俺が折れたらあの二人が助からないってことだけだッ!」


 アシュティンは跳んだ。

 真っ直ぐ駆け、こちらに向けて渾身の一刺を放つ。


“……”


 動かない。

 アシュティンの突進を正面から待つ。


 猛スピードで迫る槍を見て、これは深く刺さるな——と、呑気な感想が浮かんだ。



 ズグッ——っと嫌な音が自分の頭の中で響いた。


 喉元には彼の槍が思いきり突き刺さっている。

 ああ、やっぱりすごく痛い——でも、ただそれだけだ。

 車に轢かれたあの時みたいな、寂しさと怖さはない。


 だからこれでいい。多分今の自分はこれくらいじゃ死なない。

 ここはとても狭くて彼はとても速いから。


 捕まえるには——これでいい。


「っ!? 槍が——」


 槍はこの体に深く刺さったまま引いても押してもビクともせず。

 動きの止まったアシュティンを振り下ろした前足で床に押さえつけた。


「ぐっ……こ、のっ……!!」


 アシュティンは人間とは思えない力で足を押しのけようとする。

 気を抜けばあっさりと振りほどかれてしまいそうだった。

 絶対に圧し潰さないように、しかし逃げられないように力を加える。


「ぐッ……!、…………」


 やがて諦めたようにアシュティンの体から力が抜けた。

 アシュティンは黙ってこちらを眺めている。

 その目にはもう、戦う意志が見えなかった。


「ふふ、勝負あったわね。おめでとう——あなたの勝ちよ怪物さんっ さあ、彼を殺して。あなたの残虐さを早く私に見せてちょうだいな」


 応えない。何もせず、ただ黙ってアシュティンを見る。

 そんな自分を睨みながらアシュティンは言う。


「……なんなんだよ。ワケわかんねえ……なんで俺を殺そうとしないんだ。ずっと——最初からずっと、お前には全然殺意がなかったっ」


 声が震えている。事実を自分の言葉として形にすることで、無理やり堰き止めていた彼の感情は一気に決壊した。


「リーベとヴェルメを守ろうとしてるんだろっ? だったら、なおさら——なんで俺を殺そうとしないんだよ!? あの二人を助ける気なら、それが必要だってわかるだろうがッ!」


 声を荒げる。感情を爆発させるように、ただ叫んだ。


 それでも動かず、黙っている。

 期待している何かが起きるまで、ただ待つ。


「マジでなんなんだよ、お前……いい加減にしてくれ。魔物なら魔物らしくしてくれりゃあ……よかったのに」


「どーしたの、怪物さん? 早く殺してみせてよ。その後、あなたとはゆっくりお話がしたいんだからっ」


“…………”


「な……」


 アシュティンを押さえつけていた足をどかし、後ろへ下がる。

 そして体に突き刺さった槍を口でくわえて乱暴に引き抜き、アシュティンの近くへ放り投げた。


 アシュティンは体を起こして、こちらを見てくる。


 ……体からは多量の血が流れている。

 塞がってきている傷もあるが、積み重なったダメージはまだ大きい。


 言葉にはできない。それでも意思でアシュティンに訴えかける。

 まだ終わってない——終わらせるわけにはいかないと。


「っ……」


 アシュティンは槍を手に取る。

 感情の整理がつかないまま再び向かい合う。


 そうだ——まだ続けるんだ。まだ、終わってないんだから。


 二人の為に頑張ると決めた。あの二人はきっと、まだ頑張っているはずだ。

 だからそれが済むまでは自分の役目も終わらない。

 まだまだ。全然、我慢できる。


 再びアシュティンとの戦いを耐える覚悟を決めた。


「…………」


 だがアシュティンは構えを解き、槍を下げる。

 その顔は苦渋に満ちていた。


 今にも泣きそうな表情のままアシュティンは親子の方を振り返る。


「アシュティン………」


「ロミー……おばさん……っ 俺————っ」


 親子に向けて何かを言いかけたアシュティンの口から零れたのは続きの言葉ではなく、血だった。


「コフッ——」


 何かがアシュティンの腹部を貫いていた。

 アシュティンはそのまま崩れ落ちるように倒れる。


「いやあ! アシュティンさん——!!」


 それはアンデルの影だった。

 アンデルの影が伸びて鋭利なトゲの形となりアシュティンを貫いた。


「——ごめんなさいね。本当はこんなカタチで水を差すのは好きじゃないんだけれど……私、どうしてもその子に残ってほしいのよ」


"オマエ……よくも————ッ!!"


 アンデルに怒り、吠える。

 今はまずいとわかっていても飛びかかってしまいそうだった。


「ああ、襲いかかってはダメよ? 私の作ったこの呪いは自動的なの。一度アザが動いてしまったらもう私にも止められないのよ。そんなつまらない事であなたを失いたくないから、お願いね?」


 アンデルは玉座からピョンと飛び降りつつ語る。


「正直に言って、あなた達の戦いはとても期待外れだったわ。だってあなたってば、ちっとも本気で戦わないんだもの。彼を殺さないようにどころか傷つけないようにって一生懸命だったでしょう?」


 その言葉に反してアンデルはとても嬉しそうにしている。

 愛らしくも気味の悪い笑顔で話し続ける。


「だからこそますます興味が湧いたのっ 魔族を殺し、人を助け、人を傷つけたがらない魔物なんて在り得ないんだもの! あなたって本当に素敵だわ。期待外れだからこそ素敵っ 私の物にしたくてたまらない!」


 アンデルはロミー親子とアシュティンを一瞥し、ニコリと笑う。


「だからごめんなさいね? 今回はそういう事情があるから、あなた達には謝っておくわ」


「ひ……っ」


 耳元で死刑宣告をされ、ロミーが青ざめる。


「ア、アンデル! 待て……! ロミー、おばさん……っ!」


 敗北者と認識された三人に刻まれたアザが蠢き始める。

 それは首から一気に全身に広がり、肉体を一瞬で溶かす。

 そして残った影がアンデルの糧となり消えていく。


 ——だが、三人に広がるアザは途中でその動きを止めた。


「————え?」


 驚くアンデル。

 理解が追いつくより先に雪の躊躇のない巨大な爪が襲いかかった。


* * *


「はぁっ、はぁ——っ!」


 リーベは追ってくるオークからなんとか距離を取ろうと走っていた。

 しかしサイズ差もあって、オークの大きな歩幅から中々逃げられない。


 せめて細い道にと考えたが、塔が大通りに面した開けた場所にあったため、オークを連れた状態で狭い路地を探して逃げこむ余裕がない。

 今は広々とした道を闇雲に走っている状態だった。


「しっかり私を標的にしてるわね……っ」


 それは望んだ状況ではあるものの、そのせいで対抗する術がない。


 リーベは複数種の魔法を扱える。

 傷を癒す回復魔法の他に水や草花の力を利用でき、中でも草花の魔法は相手を眠らせたり、幻覚を見せて視界を混乱させることができる。

 塔の中でオークを眠らせたのはその力を使ったものだ。


 ただしそれらは術者のリーベから意識を逸らした相手にしか効果がない。

 塔ではヴェルメに意識を向けていたから不意を打てた。

 だが今の状況では——


 ほんの少しの間でいい。どうにか自分から意識を逸らせれば——


 そう考えながら後ろを振り返るとオークが足を止めている。

 それを疑問に思っているとオークは手に持っていた大ナタをリーベに向けて大きく振りかぶっていた。


「え、まさか——うそでしょっ!?」


 オークは自分の得物をリーベに向かって思いきり投げてきた。

 リーベは全力で横に跳びこんで地面を転がる。

 先ほどまでリーベが立っていた地面がナタによって砕けていた。


「いっ…、たぁ……っ」


 間一髪で避けることはできた。

 目の前にあった段差に手をかけ、すぐに起き上がろうとするが——


「ぁ……」


 すでにオークは目前に立って、少女を見下ろしていた。


 動けない。

 さっきまであれほど必死に逃げ回っていたのに、今は蛇に睨まれた蛙のように身動きができなくなっていた。


 ……殺される。もう逃げられない。

 あの大ナタで真っ二つ? それともあの大きな手で掴まれて握り潰される?

 それともあの大きな口で噛みつかれて、頭からムシャムシャと食べられて——


 思考が急速に死の方向へと染められていく。

 しかし今も足掻いているであろう妹やアシュティン、雪の存在が浮かぶ。

 それらがリーベの頭の中で、この状況をどうにか打開しようという思考の余地をわずかに残していた。



 その時、リーベの耳にチョロチョロと水が流れる音が聞こえてきた。

 起き上がろうと手をかけた段差が噴水の縁だと気づいたリーベは——


(噴水————水っ!)


 オークの巨大な手がリーベを掴もうと伸びてくる。

 その前に一瞬早く魔法を唱える。


「水よ、包め(ウォーテ・ラップ)!」


 すると噴水の水が集まり大きな水球が作られ、それがオークの頭をすっぽりと覆った。


「!? グ、ゴオオ……ッ!!」


 オークは水球を振り払おうと体を動かし、暴れている。

 リーベがなんとか体を起こした途端、オークが腕を振って殴りつけてきた。


「きゃあっ……!?」


 ギリギリ当たらなかったが後ろにのけぞったことで噴水に落ちてしまう。


 オークは頭を覆った水球を取り除こうと手を顔に近づける。

 しかしいくら水を掻き出そうとしても手は水球の中に沈むだけで全く意味をなさなかった。


「グ……ッ ゴ…………ッ」


 呼吸する術のなくなった魔物はやがて意識を失い、倒れた。


「ぷはっ! けほっ、けほっ ——や……、やったぁ……」


 この状況じゃ噴水を利用するしか私に反撃手段はなかった。……本当に運が良かった。



 安心から思わず噴水の中でへたり込んでしまいそうになるが、ハッと我に返る。


「だめだめ! ヴェルメの所に戻らないと——!」


 妹の無事を祈りながら、リーベは塔へと急いだ。


* * *


「はぁ……はぁ……も、もう少し……っ」


 長い階段も終わりが見え、最初の塔と同じく小部屋へと続く小さな扉が見える。

 ヴェルメはペンダントを手に握りしめる。


「トマリ様……どうか力を貸してください」


 ヴェルメは一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 そして進もうと残りの階段に足をかけた——その時だった。


 小部屋に続く扉の前の床が紫色に光りだした。


「え——」


 そこから現れたのは三匹のゴブリン。

 ヴェルメの決意を揺らがせるように行く手を阻んでいた。


「こ、ここにも仕掛けられてた……」


 恐怖で体が震えているのがわかる。

 ヴェルメは思わず後ずさりそうになるが、なんとか踏みとどまる。


 ここで逃げ出すわけにはいかない。今、ここには自分一人しかいないのだ。

 助けてくれる存在は近くにいない。ここは自分でなんとかするしかない。


(怖がってもいい……でも、すくんじゃダメ!)


 ヴェルメは勇気を出してゴブリン達をキッと睨みつける。


「大事なことをしなきゃいけないの……! だから、そこをどいてっ!」


 ペンダントを握りながらヴェルメはゴブリン達に向かって走りだした。


「ギヒャッ……!!」


 ヴェルメを捕まえようとゴブリンが掴みかかる。

 だがペンダントの力が発動し、光に包まれたヴェルメの近くにいたゴブリンは皆、霧散した。


「はぁ、はぁ……っ!」


 どうにか扉の前に辿り着くことができた。

 ペンダントの力についてはもう理解してはいるものの、やはり怖いものは怖い。

 まして魔物の群れに突っこんでいくなど普段なら到底できることではなかっただろう。


「この中に、きっと……」


 ギヒャ……! ギ……ッ!


 すると今度は階下から複数のゴブリンの声が聞こえてきた。


「し、下からも来てる……!?」


 ヴェルメは扉を開け、中に入った。

 急いで小部屋に入り、扉を閉める。


 しかし鍵らしきものは見当たらず扉を押さえつけておけそうな重しもない。

 大体そんな物があったとしてもヴェルメにそれを動かす力はない。


「はやくっ はやくしないと——っ」


 ヴェルメは小部屋の奥を見る。

 最初の塔と同じで奥にある椅子の上に黒髪で黒いドレスの少女の人形が置かれていた。


「あった……!」


 ギヒャ……! ギヒャッ!


 ゴブリン達の声が近づいてきている。もう後がない。

 乱れた呼吸を繰り返しながらヴェルメはペンダントを握る。


 もしこれでも呪いが消えなかったら。

 まだ呪いの元が他にも残っていて、それも消さなければならないのだとしたらもう打つ手がない。

 この国の人達もアシュティンも。ヴェルメ達も皆、ここで終わってしまう。


「トマリ様……トマリ様、どうかお願いします……!」



 ヴェルメは強い気持ちで祈りながら呪いの人形へと手を伸ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。