雪は解け、奇跡は灯る
「ぅ、——ん……」
ヴェルメは閉じていた目をゆっくりと開く。
辺りは静まり返っていた。
後ろに迫っていたはずの魔物の鳴き声も聞こえない。
先ほどまでは心臓の鼓動すら騒音に感じられたが、今は自分以外の全てが消えたと錯覚しそうなほどの静寂。
月明かりすらロクに入らない小さな部屋の中、持ってきたランタンの灯りだけが周囲をぼんやりと照らしている。
「あの人形は……」
呪い元の人形を見つけ、夢中で手を伸ばした。
目を閉じてしまい見届けられなかったが、閉じた瞼からでも伝わるほど強い光がヴェルメを包んでいた。
最初の塔の時と同様、ペンダントの力で人形は崩れ去って消えたのだろう。
ヴェルメは自分の首にそっと触れる。
視認はできないが、ずっと首に感じていた虫が這っているかのような不快感がなくなっている。
呪いは消えた——その実感が気持ちと一緒に全身を包む。
「ありがとう、トマリ様……」
ヴェルメはペンダントを与えてくれた、かつての恩人に感謝をする。
力が抜けてしまいそうになったがなんとか踏ん張り、立ち上がる。
みんなの無事を確かめなければ。
ヴェルメは体を起こして、急いで塔を下りた。
* * *
「ヴェルメ——!」
塔の扉を開け、外に出るとこちらへ駆け寄ってくるリーベの姿が見えた。
「ヴェルメ! よかった——大丈夫だったっ?」
「おねえちゃんこそ、無事でよかった……!」
二人でお互いの無事を喜ぶ。
首を確認すると、確かにアザは消えていた。
呪いの除去に成功したのだと安心する。
「本当によくやってくれたわ……ありがとう、ヴェルメ」
「わ、私の力じゃないよ。トマリ様のペンダントがなかったら何もできなかったもん」
「ペンダントは手段。私が讃えてるのはあなたの勇気だよ。こんな小さい体にそんなすごいものがあったなんて——本当にえらかったわ、ヴェルメ……」
強く抱きしめる姉の温もりに覆われ安心から力が抜けそうになるが、まだ終わっていないとすぐに思い直す。
「お、おねえちゃん! あの子は——それにアシュティン様はっ!」
リーベもこくりと頷く。
もうアンデルの呪縛は消えたはずだが二人の殺し合いがどうなっているかはわからない。
「ええ。急いで戻りましょう」
どうか間に合って——と胸中で繰り返し祈りながら二人は王宮に向けて走った。
* * *
——今この瞬間において、思考など必要なかった。
自身が気がつくよりも先に身体は高見をしながら笑っている小さな怪物に向かって飛び、その爪を振り下ろしていた。
ほんの1秒前の結末をアンデル以外の、この場にいる誰もが絶望した。
アザが広がっていく光景を目にし、対峙していた一人と一匹は助けられなかったと無念を抱いた。
だが、アザの捕食行為が止まった瞬間に自分の体は動いていた。
もうどうするかと考え、迷う必要などない。
この状況が作られることを信じ、待ち望んで耐えていた。
だからこそその好機を逃さず、誰よりも速く動き、アンデルの命を刈り取る。
“……ッ!”
しかし、わずかに届かず。
アンデルの影が伸びてドーム状の壁を形成し、彼女を覆った。
鉄の壁と紛うほどの堅牢な盾に爪が阻まれる。
アンデルは影の内側で、ようやく状況を理解し始めた。
「アザがない……私の呪い、壊されたの? もしかして逃げたあの二人が? この為にずっと時間を稼いでいたの? せっかく、みんなにあげた私の呪いが——」
ドーム状の影に覆われアンデルの様子は見えないが、状況を把握するために口に出していた言葉は徐々に怒気を含んだ憎悪へと変わっていった。
「ひどい——ひどいわっ! 一生懸命、用意したのに! 私だけのお庭だったのに————っ!!」
アンデルの絶叫と共にドーム状の影から無数のトゲが伸び、体に突き刺さった。
しかし何を叫ぼうと、どんな癇癪を起こそうともう止まらない。
ヴェルメとは違う。
幼い少女の姿を象っていても目の前にいるのは人に苦痛をもたらし、嗤い、喰らう怪物だ。
彼らは人間を壊すモノだ。
そこに生物的な事情など存在せず、理由があってもなくても関係ない。
彼らにとって人は傷つけて、奪って、壊していいもの。
どうあっても相容れない生き物。
取り繕う余地もないほど、彼らは人間にとっての天敵だった。
だから悪いのは——オマエだ。
手を振り下ろし、アンデルを守るドーム状の影を再び叩きつけた。
「無駄だってば、怪物さんっ 力任せに叩いても破れやしな——」
——その瞬間。アンデルの体がぐらり、と傾いた。
「——え?」
アンデルは呆然とこちらを見ていた。
影の盾を突き抜けた爪がアンデルの体を袈裟に切り裂いていた。
先ほどまでアンデルを守っていた強固な守りは嘘であったかのように。
爪を受け止めた盾は形を失い、文字通り影の如く霧散した。
「————あれ?」
アンデルは後ろによろめきながら血をまき散らしていく。
「……どうして? ちゃんとシャトゥン様に許可を頂いていたのに……毎日がとても満たされていたのに、こんな……っ」
作り上げた成果が無に帰していく。
小さな魔族にとって受け入れがたい現実だった。
「邪魔するなんてヒドい……壊してしまうなんてあんまりだわっ 自分がされたらイヤな事を、相手に平気でするなんて……どうかしてるっ」
どの口で言っているのかと責める気にもならなかった。
きっとあの魔族には自分が他者を虐げているという感覚すら持ち合わせていないのだ。
トドメを刺そうとアンデルに一歩近づいた——
——その時だった。アンデルが手についた血を親子へ向けて飛ばす。
親子の近くに落ちた血は紫色に光ると、たちまち複数の魔物へと姿を変えた。
「きゃああっ!」
まだ動く余力があったのか。
まさか、せめてあの親子だけでも道連れにしようというのか。
「……どうするぅ?」
少女の皮を被った魔はニィ、と顔を歪める。
コイツ……!
逃げる為に親子を利用する気か。
こっちが人間の命を無視できないと考えて……!
追い討とうとした足を一瞬止める。
まんまと思惑に乗ってしまったことでアンデルは魔物に命じた。
「その親子を殺してちょうだい!」
親子に気を取られている間に、アンデルは出口へ向かって逃亡を図る——
だが、アンデルの狙い通りにいくことはなかった。
「え?」
アンデルが逃走を行動に移すよりも遥かに速く。
親子を囲んでいた魔物は高速で飛びこんできたアシュティンの斧槍の一振りによって一匹残らず絶命していた。
「あ……」
魔物を始末したアシュティンは無言でアンデルを睨む。
そして血を流し、座りこんでいるアンデルに向かってゆっくりと近づいていく。
すると突然アンデルはアシュティンに対し、命乞いを始めた。
「お、お願い……助けて! 本当はこんなことしたくなかったの! 魔王様やシャトゥン様の命令には怖くて、どうしても逆らえなかったのっ」
この期に及んで口にする言葉としてはあまりに稚拙な言い訳。
それでも外見だけは幼く可愛らしい少女のものだ。躊躇いを覚えてしまう者もいるかもしれない。
だがアシュティンは何も答えない。
「私、人間のこと大好きなのよ? 人間に憧れて、ずっと人間と仲良くしたいって思ってたの。きっとまだそれが出来るって信じてるわ! ね? だから、お願い。おにいさ——」
アシュティンは何も答えず————アンデルの心臓に槍を突き刺した。
「ぁ……、」
ぱたり、と。糸の切れた人形のようにアンデルは力なく倒れた。
自然と視界に入る天井を見ながら小さな魔族は不思議そうな顔をしている。
「……あれぇ、おかしいなぁ? 人間ってこういうのに弱いって聞いてたのに……話が違うわ。“ほだされる”って言うんでしょ? 私、知ってるんだから……」
自分を見下ろすアシュティンにアンデルはニィッと不気味な笑みを浮かべた。
そこにはもう幼い少女の皮で取り繕った愛らしさなどなく、魔性こそが持つ邪悪さのみが映されていた。
「とても冷たいのね、あなたって……まるで魔族みたい…………」
自分を討ち取った人間に対し、最大級の賛辞と皮肉を口にする。
最期の言葉を受け取ったアシュティンは感情をこめず答えた。
「せいぜい気をつけるよ。————じゃあな、クソったれ」
アシュティンは斧槍を振り下ろす。
これまでの悲しみと後悔を噛み締め、一年もの間この国を縛りつけた悪夢を断頭した。
* * *
……つか、れた
変化を解き、元の犬の姿に戻った雪はあちこちから血を流して伏せていた。
切りつけられた目は治り、いつのまにか視界は戻っている。
この分なら恐らく放っておけば勝手に完治するのだろうが、さすがにここまで手酷い怪我ではすぐに、とはいかないようだった。
「おい……おいって。しっかりしろっ 死んだりしねえよな? あぁ、くそっ マジで、頼むよ……」
アシュティンがフラフラとした足取りで傍に寄ってくる。
……こっちはいいから自分の心配をしてほしい。
手加減できず殴りつけてしまったし、何よりお腹を貫かれて今も血を流してる。
信じられないくらい頑丈な人だけど、彼の怪我は決して軽くないはずだ。
「アシュティンさん——!」
親子がアシュティンに駆け寄る。
血を流し、ボロボロのアシュティンを見てロミーが泣いている。
「よぉ、ロミー。ずっとハラハラしてただろ? 怖い思いさせちまって、悪かったな。結局、俺だけじゃ……お前らを助けられなかったよ」
「アシュティンさん、血が——どうしよう。お願いだから、死なないで……っ」
「落ち着けって、ロミー。確かにしんどいけど、まだ死んだりはしねえよ。それに……まだ死にたくねぇ。アンデルを倒したって実感がまだ湧かなくてさ。ちゃんと……しっかり噛み締めたいんだ」
アシュティンはアンデルを殺した場所を見つめる。
アンデルの死体は灰のように崩れ去り、もうその場所には跡も残っていない。
「一年もかかっちまったよ、兄貴……やっぱり俺はダメだな」
もっと早くにこのカタチを叶えるべきだったのにと、彼は悲しそうな顔で呟いていた。
「でも……やっと出来た。それもお前の——いや、お前とリーベ達のおかげ、なんだよな。ありがとうな……それと、本当にすまねえ。お前はずっと……俺を傷つけないように、してくれてたのに」
アシュティンは頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でてくれた。
「ヴェルメの言ってたこと、今はわかるよ。上手く言えねえけど……確かにお前は他の魔物とは全然違うな。魔族にも平気で逆らうしよ。……お前、ホント何者なんだ?」
答えようにも答えられない質問。
ただ黙って、アシュティンの撫でる手に体を預けている。
「……兄貴」
アシュティンは床に置いた白い斧槍を見る。
「……魔王を倒す、か」
ポツリと呟いたアシュティンの言葉に思わず耳がピクリと動く。
「魔王を倒せたら……全部、元に戻せるかな……兄貴」
彼のそんな言葉をただのひとりごとにする気はなかった。
アシュティンの衣服の裾をくわえて引っ張る。
「うおっ? な、なんだよ?」
困惑するアシュティンに向けて一吠えする。
「お前……」
「アシュティン様——っ!」
ふと見ると、入り口の方からリーベとヴェルメが走ってきた。
「二人とも、無事だったのね……! よかった——っ」
「おばさんとロミーも——二人こそ無事でよかったですっ」
「お、おねえちゃんっ!」
ヴェルメがリーベを呼ぶ。
アシュティンと自分の状態を見て動転してしまったようだ。
「! 見せてください、二人とも。私が治しますっ」
リーベは二人の様子を見て、まずはアシュティンから治療を始めた。
「悪いな、リーベ。正直お前が戻ってくるのを、期待してた……っ」
ヴェルメはこっちを心配そうに見ていた。
「ひどいケガ……ごめんね、無理させて」
アシュティンは申し訳なさそうに顔を伏せている。
「すまねえ、ヴェルメ。俺がそいつを……お前の言葉を最初から信じてれば……」
「アシュティン様のせいじゃありません。それに……最後は信じてくれたから、みんな生きてるんだと思います」
「……いや、そいつのおかげだよ。俺を——いや。俺とロミー、おばさんを最後まで守ってくれた。そうでなきゃ、とっくに俺らはアンデルに喰われてた」
「そっか……頑張ってくれたんだね。本当にありがとう……」
目を閉じてヴェルメの優しく撫でる手を心地よく受け入れる。
アシュティンはそんな様子をしばらく見た後、リーベに話を切り出す。
「なあ、リーベ。お前らはこれからも魔族から逃げる旅を続けるのか?」
「……魔族がヴェルメを捜す限りは。私もこの子を守ることを諦めるつもりはありません」
リーベの固い意思を改めて目にし、アシュティンは決心したように自分の考えを伝えた。
「そっか……なら、リーベ。俺の家でした話の続きだ」
「え?」
「いいぜ。ヴェルメを守る為の旅——俺も一緒に行くよ」
「!! 本当に——よろしいのですかっ?」
リーベが頭同士がぶつかりそうなほど前のめりに接近したため、アシュティンはあわてて手で制す。
「ただし条件が二つある。一つは——逃げる為の旅にはしないってことだ」
「! それは——」
「ペンダントを魔族が狙うのは魔王の命令なんだろ。なら、お前らもわかると思うけど——逃げ隠れするだけじゃダメだ。元凶を叩かなきゃこれは終われねえ。つまり——」
魔王を————倒す。
傷だらけで弱っているはずの体に自然と力が漲っていく。
あの女に言われたことでもあり、ヴェルメを守る為に自分が必要だと考えていたこと。
それが彼らの中で目的として固まるのは自分にとっても望ましいことだ。
しかし、リーベとヴェルメは不安な気持ちを隠し切れないでいた。
「……仰ることはわかります。私も同じことを考えていました。でも……そんな事、が本当に可能なのか……そんな夢物語のような」
「……まあ、そりゃな。自信のほどを聞かれたら俺だって全くねえよ。兄貴——勇者一行が果たせなかったことを俺らが代わりにやるなんて、さ」
リーベとヴェルメを交互に見て、アシュティンは言葉を続ける。
「けどな、リーベ。可能かどうかで選択をする自由なんて俺らにはないんじゃねえか。ヴェルメの命を——妹を想うお前の意思を守りたいなら、やるしかないんじゃねえか?」
「っ……」
「それにこれは、そいつのやりたい事でもあるんじゃねえかな。……なんとなく、そう感じたんだ」
「……この子が?」
じっと自分を見てくるヴェルメを黙って見つめ返す。
「ここで決めてくれ、リーベ。お前らは俺らを……この国を救ってくれた。だから、お前がそう決めてくれるなら俺は——最後までついていく」
「……ヴェルメ」
リーベの手をヴェルメはぎゅっと握る。
今リーベ自身が言ったように最初からアシュティンと同じ考えには至っていたのだ。ただ決断することだけができないでいた。
そんな彼女の気持ちをヴェルメが後押しする。
「ごめんね、おねえちゃん……私のことなのに代わりにいっぱい悩ませて。でも、アシュティン様の言ってることは私にもわかるよ? おねえちゃんも同じ気持ちなら……私に遠慮なんかしないでほしい。やらなきゃいけないことなら……私も一緒に頑張りたいっ」
ヴェルメはリーベを見て真っ直ぐ自分の考えを伝えた。
そこには姉の後ろに隠れて守ってもらっていただけの頃にはない意思の強さが今のヴェルメからは感じられた。
「覚悟ができてなかったのは私だけ……かな」
リーベは一度深く息をつき、改めてアシュティンに向き直る。
「どうかよろしくお願いします、アシュティン様」
「決まりだな。これからは文字通りお前らの為に命を懸けるぜ、ヴェルメ」
「か、懸けないでください……でも、ありがとうございます」
ニッと笑ってヴェルメに誓いを立てているアシュティンにリーベが質問をする。
「あの、アシュティン様。条件が二つあるということでしたけど……あと一つは?」
「ん? あー……」
そうだった、とアシュティンは二人にその条件を簡単に伝える。
「敬称はやめてくれ。普通な感じでいこうぜ。普通な、さ」
* * *
「はぁ……マジで、疲れた……な」
王宮での決着を終え、リーベ達はロミー親子の家に。アシュティンは自分の家に戻ってきた。
今夜はしっかり休み、明朝出立することになる。
「町のみんなは……もう気づいてるかな」
外に出歩いている人間は見当たらなかった。
さすがにアザが消えたことは気づいているだろうが、まさかアンデルが死んだとは考えもしてないだろう。
明日、ロミーとおばさんがみんなに説明をしてくれるらしい。
「押しつけて逃げることに、なっちまうな」
王を手にかけたのは魔族。だけど自分だって間接的に王を殺したようなもんだ。
町の人は、きっとアシュティンという人間を許さないだろう。
「……ごめん。償う方法なんてわからねえ。そんなもん、ないかもしれねえけど」
制裁されるっていうならそれでもいい。
ただ、今はダメだ。悪いけどもう少し待ってくれ。
行き先でそのままくたばる可能性が高いから、戻ってくる保証なんてないけど——その時は、甘んじて受け入れに帰るから。
「荷造り終わり……と。さて、もう休むか——」
その時、扉をノックする音と名前を呼ぶ馴染んだ声が聞こえてきた。
「入っていいぞ、ロミー」
「——えへへ、ごめんね。休んでたよね?」
「ちょうどそうしようって思ったとこさ。ロミーこそ休めよ。散々怖い思いしたんだから、メチャクチャ疲れてるだろ?」
「うん……」
ロミーは何か言いにくそうに唇を結んでいる。
「ロミー?」
「……アシュティンさん。本当に、魔王を倒しに……行くの?」
「! ……そうか。それを言いにきたのか」
城では横で話を聞いてたとはいえ、勝手に決めたことだ。ロミーが心配するのも当然か。
「ああ。ま、そういうことだ。ぶっちゃけ俺もきついなーとは思ってるんだけどさ。なんでかこう、ここに来て急に男の子の挑戦心ってヤツが燃えてきちまって——」
「無理だよっ」
つい軽いノリで誤魔化そうとしてしまったアシュティンをロミーが強く制する。
「できっこないよっ リヒト様にだって無理だったんだよ? ロート国だって一瞬で滅ぼされちゃったんだよ? 魔王に直接挑んで勝てるわけないじゃないっ」
ロミーの言葉は正しい。
魔に敗北した今の世界においてアシュティン達の考えこそが異端だった。
「やめよう、アシュティンさん? リーベさん達だってそんな危ない事することない。私、あの人達も説得するからさ。一緒に——」
「ダメだ。あいつらはあいつらの事情がある。そして俺はその手助けをしてやりたいんだ。助けてもらった恩に報いる為にもな」
「……魔王どころか、きっと魔王の配下にだって勝てないよっ アシュティンさんだって災魔のことは知ってるでしょっ? あいつらはアンデルだって比較にならないくらい恐ろしい力を持ってるって——」
「わかってる、ロミー。もちろん全部わかってんだ。その上で……行こうって決めたんだ」
殺されちゃうよ、と消え入るような声でロミーは言う。
「どうして……? この国の人だって、みんな勝手にアシュティンさんを嫌うような人達なのに。アシュティンさんがそんなに頑張らなくたって……っ」
アシュティンは小さく体を震わせるロミーの頭にポンと手を置いた。
ニッと明るく悪戯っぽく笑うその表情は、かつてリーベとヴェルメも見知った頃の懐かしい笑顔だった。
「ははっ 違うぜ、ロミー。他人のためにーとか、俺がそんな殊勝な奴だと思うのか? 俺が行くって決めたのはな——俺の私欲の為なんだ」
「し、私欲……?」
ああ、と答えアシュティンはテーブルに置かれたバスケットを見る。
ロミーが持ってきたバスケット。中に入っていたパンは一つ残らず食べられている。
「お前の店のパン、本当に美味いんだよ。兄貴達がいなくなって、世界が魔に支配されて、毎日が最悪の気分だった。でも……そんな最悪な気分でも、お前とおばさんが作って持ってきてくれるパンは、いつだって美味かった」
ロミーは空になったバスケット手に持つ。
「……いつも、全部食べてくれてたもんね」
「ああ——だからさ、ふとこう思ったんだよ。最悪な気分で食ってもすげー美味かったのに、もし魔王や魔族がいなくなった平和な世界でこのパンを食ったら、一体どれだけ美味いんだよ!? ——ってさ」
「アシュティンさん……」
「確かに魔王討伐なんて途方もないって思うよな。でも、それを想像したら抑えきれなくなっちまった。俺のこの欲望、どうしても叶えてみたいんだよ」
アシュティンは無邪気な少年のように明るく未来を語る。
他者を考え、助けることを是とし、自分が落ちこんでいることは隠し、他人の落ちこんでる状況を変えようと不器用なりに必死になる。
無理をしていると言えば無理をしている振る舞い。
しかしこれがアシュティンの本来の性格でもあった。
「だから、ロミー。もし——もし全部が上手くいったら、必ず帰ってくる。だからその時は……また、パンを作ってくれるか?」
「っ……!」
ロミーはアシュティンにしがみつき、堰を切ったように泣いた。
その涙が疲れて止まるまで、アシュティンは少女の傍に寄り添った。
△△
その夜は、夢を見た。かつての夢の続きだ。
『アシュティン。最後に一つ聞きたいんだが——お前、どうして自分を鍛えてるんだ?』
『えっ?』
『どうして強くなることを目指すんだ? 魔王軍と戦うことに拘らずにどこで拘るんだって言ってたが、逆にそこまで拘る理由は? 英雄になりたいってことか?』
『そ、そりゃあ……えっと……』
『——アシュティン。お前、今何か立派な答えを頭の中で探してるだろ?』
『う……』
ニヤニヤしながら言う兄貴に少しムカついたけど否定はできなかった。
『はは。こういう訊き方されると意外とパッと出てこないもんだろ? 強くなって最強を目指す、とか大金持ちになって豪邸を建てるとかを目的にする奴はいる。けど、じゃあそうなったその先は? って訊くと不思議と答えに詰まっちまう奴が多いんだ』
『お、俺は——その……』
『特に誰かに語り聞かせようって時は人間、ついつい耳障りの良い言葉を選んじまうからな。もちろん別にそれは悪い事じゃないし、それらが本心ならそれでいいと思うんだが——お前はどうなんだろうと思ってな』
兄貴は真っ直ぐに俺を見る。
『俺に聞かせてくれないか、アシュティン? お前は——どうして強くなりたいんだ?』
『お、俺は——』
別に迷うようなことじゃないはずだ。
ただ頭に浮かんだことをそのまま口にした。
『……守りたいからさ。近所の優しいおじさん達、美味いパンを作ってるおばさん、この国の人達——民のことを考えてくれてるグリューン王、その全部を守りたいからだよ! キレイ事だって思われてもこれが俺の本心さ! 別に変じゃないだろっ?』
偽りはない——つもりだ。
それでも自分が正しい事を言っているのか不安で、兄貴に答えを求めた。
『俺は全部を守れるようになりたい。英雄とか、そこまで考えてはないけど……ヴェルメやリーベみたいな子が辛い思いをしなくてすむように……そんな世界に……したいんだ』
自分の答えに少し自信がなくなり声が小さくなる。でも、偽りはない。
笑われるか呆れるかされるかとも思ったがそんなことはなく。
兄貴は少しの沈黙の後、どこか安心したように優しく微笑んだ。
『なるほど、な……そっか。——ああ、全然変じゃないぞ? それを真っ直ぐ言い切れるなんて、お前はホント大した奴だよ。俺の弟とは思えないくらいの誠実さでまいっちまうぜ、まったく』
なんだよそれ、と——からかわれてる気がしてムッとなると、兄貴は笑って誤魔化す。
『よしっ そんな立派なアシュティン君に兄貴からプレゼントだ』
そう言って兄貴は背中にかけてた布に包まれた長い棒状の物を俺に手渡す。
布を取ると中には金色の装飾がデザインされた白い斧槍が出てきた。
『えっ、は——っ? あ、兄貴。これって——』
『ああ。災魔を討ち倒した功績と魔王討伐の意志を讃えられ、ゲルプ王より賜った贈呈品さ』
『ばっ、何考えてんだよ!? こんなの俺が受け取れるわけないだろ!』
『なんでだよ? もらった俺がいいって言ってるんだから気にせず受け取っちまえばいいだろ』
兄貴は頭をかきながら一国の王からの賜与品を、荷物になって困ってたんだよなーとか抜かしている。
『そもそも俺が普段使ってるのは剣なんだ。一応、槍も使えなくはないが旅のお供にわざわざ持ち歩くほど活用できるとは思えないんでな。それに俺の見立てじゃ、お前は槍の扱いが一番上手い。自分でもそう思ってるだろ?』
『そうだけど……だからってなぁ』
まあまあ、と兄貴は軽く流す。
そして兄貴は満足したように俺に背中を向ける。
『兄貴っ』
『お前の答えが聞けてよかったよ、アシュティン。そんな思いを持ってくれてるお前がこの国に残ってくれるからこそ、俺は安心して旅立てる。あー、ただな……こいつは余計なお世話だとは思うんだが——』
兄貴は悪戯っぽい笑みを作りながら口にする。
『夢はでっかいほうがいいとは言うけどな。もうちょいスケールダウンさせても罰は当たらないと思うぞ? なにせ俺もお前も所詮、そこら辺にいる若僧の一人だ。どこにどう手を伸ばしても限界はあるもんなんだからな』
そう言って、今度こそ兄貴は振り返ることなく弟の前から去っていった。
『行ってくるぞ、アシュティン。必ず帰るから兄貴を待っててくれよな』
……まったく。最後の最後で水を差すかよ、フツー。
ホント、兄貴らしい————……
△△
朝の光で目を覚まし、アシュティンは天井を見上げている。
「……誰もかれも守るってか。ははっ、確かに大言壮語もいいとこだ」
かつての自分の発言に苦笑する。自分も兄を見習うべきだろう。
「スケールダウンさせてくれ、兄貴。俺は——美味いパンがたらふく食べたい! はは——、俺にはこれくらいがちょうどいいや」
荷物を抱え、アシュティンは部屋を出た。
* * *
早朝。リーベ達は親子に挨拶をして、国を出た。
しばらく歩いているとアシュティンのお腹が空腹の合図を出す。
「腹へったぁ~……なぁ、リーベ。そろそろメシにしない?」
「出発して、まだそんなに経ってないでしょ。お腹減るの早すぎでしょ、もう……」
「だってロミーとおばさんが用意してくれたパン、すげーいい匂いするんだもんよ。そんないい物、これ見よがしに手にぶら下げて持ち歩きやがって。俺が持ってやるから代われっ」
「あなたに持たせたら全部食べそうだからダメっ」
「でも、おねえちゃん。早めに食べたほうがおいしいと思うよ?」
ヴェルメがそう提案する。
自分もそわそわして落ち着かず、リーベが手に下げたパンの入ったバスケットの周りを鼻を鳴らしながらウロつく。
「……まあ、それもそうね。じゃあ、もう少し歩いたら休憩しましょう」
「それでいいですか、アシュティン様?」
「いいけど……ヴェルメ、言ったろ? 様とかそういう敬称はなしだって。主人と召使いってわけじゃないんだし……落ち着かねーんだよ、それ」
「ご、ごめんなさい。まだ慣れなくて……むしろ、おねえちゃんはよくすぐに直せたね?」
「敬称はなしで! っていうのは昔から言ってたしね。年齢も近いから友達みたいな感覚にもなれたし。それに一応礼儀として敬語を使ってたけど、尊敬の念があったかと言われるとそうでもなかったからね」
「この野郎……そんな本音を持ってたのかよ」
「じゃあ、アシュティンさん……ならいいですか?」
「ああ、いいぜ。後は敬語をやめてくれれば完璧だ」
「が、がんばり……るます」
和んだ空気のまま道のりを歩いていたが、しばらくしてアシュティンが真剣な表情で次の行き先について話し始める。
「悪いな、みんな。魔王を倒しに行くって息巻いといてなんだけど、寄り道をさせてほしいんだ」
「出発前にもそう言ってたね。でも、どこに?」
「マーギアの村」
「! でも、確かそこはもう——」
「わかってる。でも、だから一度行っておきたいんだ。これまでアンデルに縛られて、気力も失って、確かめることもできなかったからな……」
アシュティンは暗い表情をしている。
どうやら話に出たその村は彼に所縁のある場所らしい。
ヴェルメを守り、魔王を倒すことに力を貸してくれる約束をしてくれた彼の願いだ。
反対する者など誰もいない。
「マーギアの村はこの陸の南西……ここからなら西に向かうことになるわね」
「アシュティンさ……んのお願いだもん。——あなたも、それでいい?」
一つ吠えて返事をする。
「……ありがとな」
ヴェルメと自分の頭を撫でながら礼を言う。
ヴェルメと一緒にアシュティンの手の動きの心地良さに委ねている。
リーベはその光景を微笑ましく見ている。
「魔王を倒す……か。アンデルも村で倒した魔族の男もシャトゥンの配下だって言ってた。きっと、災魔ともそう遠くないうちにぶつかることになるよね。もしかしたら、もう目をつけられているのかも」
これからの先行きに思わず不安を漏らすリーベをアシュティンが励ます。
「ま、そう悲観するのはよそうぜ。その時が来たら全力で立ち向かうしかねえさ。約束した以上、俺も最後までつきあう。——それにさ、あながち無謀な旅でもないかもしれないぜ?」
「え?」
聞き返したリーベに、こいつだよこいつ——とアシュティンがこっちのことを指差した。
「俺はこいつを全然知らないけど——ああ、二人にもわかんないだっけか。けど、なんでか上手く言えねえんだけど……俺はこいつに希望ってのを感じてるんだ」
アシュティンは毛並みの気持ちよさを味わうように、顔を両手で挟むようにして撫でまわしてくる。
「メチャクチャ強ぇし、人間を助けるし、容赦なく魔族をぶっ倒す。こんな奴がいるなんて、きっと魔王だって夢にも思ってねえはずさ」
ホント、奇跡みたいな存在だよ——とアシュティンは口にした。
「奇跡——そう、奇跡だよっ!」
すると突然ヴェルメが駆け寄ってきた。
その表情はとても嬉しそうでこっちを見つめながら話す。
「あのねっ あなたの名前を決めたの。聞いてくれる?」
その言葉に耳がピクリと動く。
ああ、そっか。忘れかけてたけど、そういう話だった。
グリューン国でも色々とあったからそれどころじゃないと思ってたけど、ヴェルメはしっかり考えてくれていたらしい。
……なんか、ちょっとだけドキドキする。
ヴェルメは少し興奮しすぎた自分を抑え、ゆっくりとその名前を口にした。
「ヴンダー。あなたの名前は————ヴンダーっ」
————ヴンダー。
「ヴンダー、か。——うん。いいんじゃないかな? 悪くないと思うわ」
「つか、名前なかったんだな……こいつ。ふっ——、よかったじゃねえか、ヴンダー」
ヴンダー…………名前は、ヴンダー。
その名前を自分の中で何度も反芻する。
「改めて……本当にありがとう、ヴンダー。私を助けてくれて、おねえちゃんや村の人達を助けてくれて、アシュティン様や、ロミーさんやおばさん、国の人達を助けてくれて——あなたは本当に私たちにとっての奇跡だよ」
ヴェルメはぎゅっと強く抱きしめてくれた。
「あなたに会えてよかった……ヴンダー」
こうして、彼の世界で雪の降る夜に拾われた小さな子犬は。
此の世界で出会った幼い一人の少女に奇跡と名づけられた。




